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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第一部】王国逃亡
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【第一章】城からの逃奔(一)

 闇の中をただひたすら駆けていく。

 一度も振り返らなかった。コガレがそうしろと言ったからだ。


 夜目は利く方だった。泥を跳ねながら、とにかく北へ走った。

 できるだけ遠くへ、遠くへ。そう言い聞かせた。


 しかし、それでも限界がある。


 普通の兵ならばともかく、王国には《濡烏》という特殊暗殺部隊があった。彼らは視覚で誤魔化されるような者達ではない。

 聴覚、嗅覚、時には第六感――あらゆる機能を使って、確実に獲物を仕留める。


 そして今、自分のすぐ傍にいる。

 少し前から、クロノは背中に殺気を感じていた。


(もう逃げ切れないか……)


 立ち止まり、くるりと振り返った。ここに剣があったとしても《濡烏》には敵わないだろう。その上、今は先ほどの木棒一本しか持っていなかった。

 だが大人しく殺される訳にもいかない。


 クロノは木棒の手元から先を指で辿った。

 下から剣首、柄、剣格……そしてここが、剣身。

 息を止めないよう、ゆっくりと吐く。


 左右上にそれぞれ一人、背後に三人、正面に二人。持っているのは短剣か。


(ほとんど気配がしない)


 どこから動くか。

 じっと待っていると、左上が動いた。すぐに正面も。


 やはり暗殺には慣れているらしい。考えもなく全員でかかってくることはなかった。多数の人間が一斉に闇の中で動くと、味方同士で切り合うような混乱に陥ることがあるのだ。


 相手の短剣が木棒に刺さる。

 まずい、と思った。しかし、やすやすと木棒が折れてしまうような扱い方はしない。


 一度間隔を空け、全身の気迫を木棒に込めた。切れる、と思った。短剣と再びぶつかる。

 これは剣だ。誰が何と言おうと、剣なのだ。負けるはずがない!


 出した左足を踏ん張った。

 パリンッ……。


 何かが宙に飛ぶ。


(まずい……折れたか!)


 クロノは音がした方へ顔を向けた。きらりと遠くへ落ちていく光るものが見えた。

 相手の刃が折れたのだ。


「まさか」


 《濡烏》が呆気にとられた一瞬を見逃さなかった。

 想像上の柄で、その腹を突いた。小さく呻いて、彼は倒れた。


 すぐに右から風切り音が聞こえ、クロノは身をかがめた。攻撃を避け、下から喉元を軽く突く。苦しそうに咳き込む声が後から聞こえてきた。


 背後に二人。そろそろ焦って来たらしい。


 クロノは乱暴に額の汗を拭った。


 相当息の合っているふたりだ。攻撃する瞬間も同時で、防ぎきれなかった。


「っ……」

 思わず声が漏れた。

 何とか腕で首元は守ったが、そこから重い痛みがじわじわと襲ってくる。

 しかしクロノは止まらなかった。

 木棒を斜め上に振り上げて一人を投げ飛ばし、もう一人は蹴りあげた。


 ほっと息をつく暇もなく、次の刺客の攻撃を交わす。

 先ほどと同じ要領で突こうとした瞬間、不意に右手から下りてきた人影に右腹を刺された。


(しまったっ……)


 片膝をつく。刺された場所に手を当てると生ぬるい感触があった。


 様子を見るように《濡烏》の三人が少し間を空けた。これでも悪魔が宿っている体だ。警戒しているのだろう。行き先を塞ぐようにして立っている。


 逃げることはできないし、倒すことも不可能だ。


 でも、あの手紙を届けなくては。そう、ウサギと約束した。


(死ぬことも許されない……)


 この状況で生きることが、罪滅ぼしのような気がした。クロノはゆっくりと、傷を庇うようにして立ちあがった。


 すると、不意にどこからか声が聞こえてきたのだ。

――悲しい、悲しい……。

 再び雨が降り始めた。


 クロノは説明のつかないモノに対する恐怖に襲われた。まるで相手が見えないのだ。倒すべき相手が分からず、まして倒す術など思い浮かびもしない。

 悪魔に魂を喰われたとき、人はどうなってしまうのだろう。


「雨だ……」


 前方から気味悪そうに呟く声が聞こえた。


 このままでは拙い。

 クロノは耳を澄ました。


 しかし、あの歌は聞こえない。歌声を追う意識が雨の音に打ち消されていく。


 雨が降ったのは幸運だった。自分の気配を掻き消してくれるはずだ。


 相手にとってもそれは同じことだが、こういう場合、逃げる方が有利である。

 辺りはまだ、真っ暗闇だった。

 耳元で悲しい声を聞きながらも、クロノは誰もいない西方向に走りだした。


 追いかけてくる足音。


 無我夢中に走った。捕まった時が自分の最期だった。しかし、クロノの予想に反し、しばらくして《濡烏》の足音は聞こえなくなった。仲間をとったのかもしれない。

 しばらくクロノは走り続けた。


 *


「あーううー……」


「大丈夫? そら」


 秋祭りの準備のため、道場に閉じこもる日が続いた。

 肩に手を当てて呻くと、子ども達が心配して集まってきてくれる。


 祭りとは皮肉なものだ。どれだけ雨が続こうと――どれだけこちらの願いが届かぬとも、収穫祭はする。そしてしぶとく次の豊作を祈る。

 今は祭りで使う蓑を必死に編んでいた。人の少ないエレム村では一人一人の負担が重い。隣ではアンジュを含め、村の大人達数人がふうふう言いながら藁をつないでいる。


 一方、リクは別のグループに加わり、市場に買い出しに出かけていた。夕方頃に戻ると言っていたが……。


「それにしても雨、止まねえなあ」


 ひとりがぼやいた。こうじめじめしていると、気持ちまでが沈んでいくと言うのだ。


「あの悪魔、早く捕まってくれねえかな」


「……やめろよ。子どもがいるんだ」




 昨日のことだ。


 雨もちょうど治まってきた頃、城から使いがやってきた。

 亜麻色の短髪とエメラルドの瞳が印象的なその男は、馬から下り、集まってきた村人に一枚の似顔絵を見せた。


「雨の原因だ。城から逃亡した極悪人でな。この男を見たら殺すか、捕まえて城に送ってくれ。賞金を与える」


 使いは相当疲れているようだった。

 朝から晩までたくさんの村をこうして回っているのだろう。


 その似顔絵には、この王国では珍しい、黒髪の男が描かれていた。


「何でこの人が雨の原因なんですか?」


 思わず、手前にいたそらは尋ねた。

 使いは一瞬答えに詰まり、わざとらしく手元の資料をめくった。少し唸る。


「悪魔……いや、こんな子どもに言ってもしょうがないか。とにかく見つけたら殺すことだ。この村もそろそろまずいだろう?」


「……」


「何だ、その目は。悪いが俺は忙しいんでね、質問にいちいち答えているほど暇じゃないんだよ」


 男の言葉にふつふつと怒りが込み上げてきたが、そらはそれを呑みこんだ。

 その代わり、無言で彼を見上げじっと抗議の瞳を向けた。


 その視線に気づき、書類から顔を上げた男が首を傾げる。


「……やけに美しい顔立ちをしている……男か」


 気持ち悪いな、と思いつつそらは頷いた。


「色々無礼を働いてすまなかった」


 何やら剣呑な気配を感じ、そらは腰を引いた。


 しかし彼は構わず片膝をつき、硬い両手でそらの手を包んできた。


 真摯な目で見つめられ、そらは逃げるタイミングを失ってしまった。

 また、男の瞳があまりにも綺麗で、思わず見とれてしまう。

 優しそうで、しかし、芯の強い瞳だった。


「まあ……不安にもなるよな。でも大丈夫だ。今王国全体で探しているから、雨なんかすぐに止んでしまうさ」


 そらは固まったままだ。


「俺の名前はシトラ。また会ったら、茶でも一緒にどうかな」


 再び雨が強く降り出した。

 シトラの後ろに控えていた兵が「早く行きましょう!」と叫ぶ。


 シトラはふっと目を細めた。そして、背を向け、無駄な動き一つなく、精錬された動きで馬に跨った。



次回【第一章】城からの逃奔(二)は 今日2017年4月16日23時 投稿予定です。


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