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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第二部】逡巡
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【第三章】西へ(二)

「クロノさんッ」


 薪を抱えて戻ってきているクロノを、少し遠くに見つけ、リトは精一杯走った。

 声が聞こえる距離まで近づくと、大声で叫んだ。


「クロノさん、大変なの! そらが、そらが死んじゃうっ……」


***


「何があった?」


 駆け寄ってきたリトの顔は、蒼白になっていた。

 尋ねる自分の声もまた上擦っている。


「あの大蛇を連れた女の人が来たの。アオイって人も。そらが私達を逃がしてくれたわ」


 彼らの狙いはクロノであること。マキバがやられたこと。アオイがそらの過去を語ろうとしたこと。そらはクロノに逃げてほしがっていたこと。細かい状況を一息に言うと、リトはぼろぼろと涙を流した。


「ごめんなさい……逃げることしかできなかった……!」

「いや。俺の責任だ」


 早く行かなければ。


「ねえっ、でもあなたが行けばさらに状況が悪くなるんじゃない?」


 もっと慎重に動くべきだ、と呉羽は言う。待っているのがそらでなければ、もう少し慎重に判断ができたかもしれない。しかしクロノは、そらのことになると頭が回らなくなるのだ。


「リト、案内しろ!」


 リトが先頭を走り、その後にクロノ、呉羽と続いた。

 マキバは地面に寝かされていたが、何とか無事であるらしかった。ユーリは再び奥へ行ったのだろうか。


 不安な気持ちのまま辿り着くと、そこには、立ち止ったまま動けないユーリと、アオイに刃を当てられたそらの姿があった。


「そらっ……」


 ユーリの前に出て、クロノは言葉を止めた。

 そらは首から右肩にかけて、大量に血を流していた。黒い液体が顔半分を覆い、ひどい切り傷が体中に残っている。その前髪をアオイは掴み、無理矢理起き上らせている。


「アオイ、てめえ……」


「遅かったですね。でも、俺はコガレみたいに優しくないですからこういう状況でも楽しめるんです。でもこの子、さっきから全然反応してくれない。神経死んでるんですかねえ……」


 やっぱ撫でるくらいじゃ甘いかなあ、とアオイは言う。

 そらの目は薄く開いているが、そこに意識があるのかどうかははっきりわからなかった。


 しかし、その瞳の中にクロノが映った瞬間、目が大きく見開かれる。


「クロノさん」


 普段のそらからは想像できないほど、乾いた声だった。


「逃げてくださ……」

「はっ、口開いたと思ったらそれかよ」


 クロノは小さく舌打ちした。


「アオイ、お前何考えてんだ。隣にいるのは王国ごと滅ぼそうとしてる恐ろしい化けもんだぜ」

「さあ……。俺はフォグ=ウェイヴ様のために動いているだけ」

「俺をどうしたい」

「生かしたまま連れていく」


 そらがもう一度、逃げろ、と言う。


「アオイ、そいつの口塞いでろ。集中できねえ」

「ええ、嫌です。やっと可愛らしい声が聞けたんですから」


 クロノの額には汗が滲んでいた。


 アオイは自分のことを、見習い兵の頃から嫌っていた……と思う。自分も彼が気味悪かった。

 生き物を殺すことに躊躇がないのだ。幼い子どもが蟻を潰して遊ぶような感覚で、身の回りの生き物を殺していく。


「ねえ、師範。この子を見捨てて逃げる道もあるんですよ」


 悪い笑みを浮かべ、アオイは言った。


「この子も、何も知らずに生きてきたなんて、ほんとおめでたい頭ですよね。仕方ないから俺が教えてあげます」

「……」

「この子の母親は、山の中で自然と共生する一族の一人だったそうです。平和に、静かに暮らしていた」


 彼女には恋人がいて、いずれ結婚する約束もしていた。しかしある冬の日、山で狩猟をしていた王子にたまたま見初められ、半ば無理矢理城に連れていかれてしまったのだ。

 子どもが産まれなければ、村に帰れる。長男である王子には、とにかく後継ぎが必要だった。


 彼女は、愛していた村の男を思い、産まれるな、産まれるな、と毎晩お腹に言い聞かせたそうだ。そのせいか、女は二度、流産した。皆が諦めかけた三度目、そらが産まれた。

 産まれた赤子は病弱で、途中死ぬかと思われたが、結局四つにまで育った。そして、ある日、重い病にかかる。


 そのころ、双子の次男の娘がすくすくと育ち、権力争いの影が見え始めた。

 ここで一人息子を失う訳にはいかない。そう思った長男は、ある噂を聞きつけ、悪魔と取引をする。


「そらには関係ねえだろ」


 クロノは刀を抜いた。そこからの話も呉羽から既に聞いていたのだ。

 そらに聞かせる訳にはいかなかった。

 今にも切りかかろうとするクロノの前に、そらを掲げる。


「動いたら、殺しますよ」


 そらは何も言わない。もはや口もきけないのかもしれない。ひたすら、自身の感情を押さえ込んでいるようにも見えた。


「……そこで、この子の父親は悪魔と取引をしました。息子を助ける代わりに自分の体を悪魔に明け渡すという条件で」

「……」

「悪魔は人の弱い心につけこむのが得意ですから、きっとうまいこと言ったんでしょうね。結局、父親は周りの人間をたくさん殺した。……あとは、この子の記憶のなかにあるんじゃないですか」


 言葉を失くしていると、アオイはにこりと笑った。


「この子が何かした訳ではないですけど。ここまでひどいとね、生まれてこなかった方が良かったと思うでしょ?」

「……」

「生まれてこなければ、この子の母親も村で幸せに暮らせただろうに」


 呉羽からこの話を聞いて、一晩。

 ずっと考えていた。そらのこと、そらの母親のこと。


「師範、どうします? 放っておいてもこの子、たぶんもう死にますよ。きっと身体の中、毒でぐちゃぐちゃです」


 逃げてもいいんですよ、とアオイは言った。彼は目的もそっちのけで、この場を楽しんでいるらしい。

 じりじりと、近づいて来るふたつの気配。後ろから大蛇の大きな鎌首がにじりよる。

 少しでも動けば、アオイはそらを躊躇なく殺すだろう。


 自分は何を。

 何をこの旅で望んでいたのか。


 水の流れる音だけが聞こえていた。暗い洞窟のなか、水面が緑色に怪しく光る。土は湿っていて、下手をすれば足場を崩してしまいそうだった。


 ひんやりとした風が、どこからか入ってきた。

 そのときだった。


「……クロノさん、怖い……」


 今まで黙っていたそらが、ぽつりと言ったのだ。そして、ぼろぼろと涙を零した。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

次回【第三章】西へ(三)は 明日2017年5月18日23時 投稿予定です。

お楽しみに!

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