【第三章】西へ(一)
次の日、ラスを発った。
呉羽もツテシフに帰るということで、一同に加わっている。そらが気になっているらしい。しかし、もう季姫という名を口にすることはなかった。
クロノの足取りは変わらず、淡々と歩みを進めていく。そのすぐ後ろに呉羽、そしてそら、マキバ、リト、ユーリ……と続いた。
昨日の夜に積もった雪は、太陽に照らされ大部分が溶けている。そらは滑らぬよう気をつけながらも、雪を手にとっては小さな玉を作ってマキバと投げ合っていた。
呉羽がクロノに好意を持っていることには皆すぐに気づいた。そりゃあ、あんなピンチを助けてもらったら好きになるしかないだろうとも思う。彼女はクロノとそらの関係をどこまで知っているのか。
呉羽がクロノに話しかける様子はどこか、そらに似ていた。
そのクロノの対応も、自分に対しての反応とよく似ているようにそらには思えた。
あの、山小屋での出来事は思い出さぬようにしていた。
どうしてあのようなことを口走ってしまったのか、今でも分からない。
自分がクロノだったら、引く。男に好きだと言われて嬉しいはずがない。
(だからあんな……意地の悪いことをしたんだ)
あの夜に感じたクロノの熱は、偽物だったのだろうか。
はっきりとした言葉がなければ、伝わらない。彼が何を考えていたのか、分からない。
……口づけさえしてくれなかった。
色々と思いを巡らせたが、段々疲れてきて、結局二人の間に入ることもせず、厚みのある雪を踏みしめるのだった。
天気が良かったのも正午までだった。太陽が西に傾きかけた頃、雲行きが怪しくなり、びゅうびゅうと強い風が吹き始めた。
「……嵐になりそうだな」
クロノが呟く。
降り始めた雨があられに変わると全く進めなくなり、六人は洞窟の中に逃げ込んだ。
「うっわ、寒い……」
マキバは呟き、狐の姿に戻ってユーリの懐の中にもぐり込んだ。
「薪集めてくる」
クロノが立ち上がり、そらも後を追おうとしたが、呉羽が先だった。
「私も行くわ」
二人の後を追えばいい話だが、何となくもやもやした感情が残り、そらは口を閉ざした。
彼らの背中を見送り、四人は洞窟の中を調べて回った。ずっと奥まで続いているらしく、マキバが「やっほー」と叫ぶと、随分遠くまで響いていった。
「気味悪いなー……」
「俺、水探してくる」
そらが奥へ入ろうとすると、ユーリが慌てて立ち上がった。
「え、じゃあ俺も……」
「私も行くわ」
この洞窟で一人で待っているのは怖い。二人でも恐ろしい。できるだけ大人数で行動した方がいいと思ったらしかった。
***
「この間水神様と話していたの、聞いたわ」
薪を拾いながら呉羽は言った。
「……死ぬつもりなの」
クロノは一度手を止め、大きく溜息をついた。
「この状態でどうやって生きてけっていうんだ」
「じゃあこのまま死ぬのを待つわけ」
思ったよりもずっと悲しい声が出た。この人に助けてもらった時から、異性に対しての恋というものを始めて知ったのだ。生きていてほしいと思う。
……否。そう無理に思おうとしている。
「ねえ……クレアスにいるのが危険なら、ツテシフに来ない? 私が何とか住ませてもらえるよう交渉するし」
クロノは答えない。
「ねえ、本当に諦めちゃうの。私は……、もしも姫様の側近をやめることになっても、あなたの傍にいたい」
違う! と心のなかで叫ぶ。
姫と離れなければならないという焦りとクロノに対して無理矢理抱いた恋情に、躍起になっているだけだ。分かっていても止まれなかった。
「そんなの、自殺と同じだわ……許されないことよ」
ぴくりと彼の肩が揺れた。振り向いた彼は随分と怖い顔をしていた。
「それはあんたの勝手だろ。何も知らないくせに」
「自ら死ぬという決断は間違ってる」
「そうかな。少なくともそらは、そんなこと言わなかったが」
「そら、そらって……何なの、そんなにそらのことが好きなの。姫もクロノも同じだわ。あんな小さな子に希望を託してる。訳わかんない」
竜を呼び起こしたのは自分ではなくそらだった。
彼に対してのライバル意識や嫉妬が芽生えていたのかもしれない。
しかも自分はそらに一度助けられている。
嫌になるほど自分は醜くて。
「っ……」
自分の前で薪を拾う背中。
色々な感情がごちゃ混ぜになった。幸い辺りには人影もなくて、呉羽はその背中に抱きついた。
いくらそらでも、こんな風に背中を抱きしめたことはないだろうと思った。
そして、知ってほしかった。自分の寂しさも。
突然仲間に裏切られ、ずっと一人で見知らぬクレアスの地を踏んできたのだ。一番苦しかったとき、助けてくれたのは彼だった。
手を離し、見上げたクロノの顔。ひどく戸惑っていた。
***
「あ、水発見」
先頭を歩いていたそらが駆け出した。後をついていくと、洞窟の中に大きな湖があって、そこには澄んだ水が溜まっていた。
「綺麗な場所だな……」
まずマキバが水面に近づき、恐る恐るその水を口に含んだ。
隣ではそらも手で水をすくってこくこくと飲んでいる。そして、持ってきた水筒を湖の中に浸けた。
「ちょっと持って帰ろうっと」
そらがそう言ったときだった。
ふと振り返りリトは悲鳴を上げた。
そこにはいつかの女と大蛇が、こちらを見下ろしていた。
「久しいのう、そら……!」
名前は確か、青丹。
美しい黒髪を今日も垂らし、赤い口を覗かせ笑っている。
マキバが真っ先に飛び出した。体の周りに火の玉を五つ連れている。
火花が散った。しかし相手も妖物の類だ。効果はあまりないらしい。
ユーリの短い悲鳴が聞こえたと同時に、彼は後ろから叩き落とされた。
「いっ……」
頭を強く打ったようだ。
「クロノはどこにいる? まさか隠れているわけではあるまいな」
「……」
「まあいい。いなを復活させるのにお前らは邪魔じゃ。ここで殺してやる」
そらは腰に差していた短刀を抜いた。クロノから預かっていたものだ。
女をキッと睨みつける。
すると、彼女の影から、もう一人、アオイが現れた。
「待って。殺しちゃうのは勿体ないでしょ?」
ぞっとするような笑みをその口元に浮かべている。童顔の少年だった。
「ねえ、師範をここに連れてきてくれるなら、ここの大蛇は僕が止めてあげてもいい」
そらは短刀を掲げた。それは拒絶の意。
アオイはわざとらしく肩を竦めた。
「死体の臭いでも嗅ぎつけてくるかな」
そらは走り出していた。短刀を振り、当たる寸前で刃を返す。
しかし、それが彼に当たることはなかった。いつの間にか、彼はそらの背後に移動していたのだ。
「どうしてそんなに殺すことを怖がるかな……。君なんか、とうに大切な人達を殺してるのに」
「え……」
そらの動きが止まる。一瞬だけ垣間見えた記憶の一部。
「君の過去を少し調べさせてもらったよ」
にやあ、と嫌な笑みを浮かべ、アオイがそらに近づいてきた。
「そらっ、後ろ!」
マキバが叫んだが、そらの身体は石のように動かない。思わずリトは目を瞑った。
「あ……」
そらの肩に、大蛇の鋭い歯が噛みついていた。
叫ぶこともできず、そらは地面に膝をつく。首元が赤く染まった。
「そらっ……」
「来るなっ、マキバ!」
マキバの足音にはっとして、そらが怒鳴る。
「ねえ、誰でもいいから早く師範を呼んできて。順番に殺していくよ」
アオイがリトの方を向く。
リトはびくりと肩を震わせたが、それでも悲鳴を飲み込んだ。
彼女に向かっていった大蛇を見て、そらが動いた。そして短刀を大蛇の喉元に突き刺した。
断末魔のような悲鳴が聞こえて、その大蛇は床に倒れた。
そらは頭から黒い液体を被った。返り血のようだった。その液体はゆっくりと体の中を浸食していき、やがてはその体を死に至らせる。
額の汗を拭い、力なく笑みを浮かべた。
「ユーリ、お願い。ふたりを連れて逃げて」
「そんなことできるわけ……」
「やるんだ。クロノさんに言って。早く逃げてって」
「……そら」
「早くっ!」
ユーリの決断は早かった。マキバを抱えリトの手を握ると、元きた道を戻り始めたのだ。
元の場所まで戻ると、ユーリはそらの荷物を掴んで叫んだ。
「今すぐクロノさんを呼んできて」
「でも、私……」
「早く! そらが死んじゃう!」
リトは弾かれた様に駆け出した。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
次回【第三章】西へ(二)は 明日2017年5月17日23時 投稿予定です。
お楽しみに!




