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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第二部】逡巡
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【第二章】廃都ラス(五)

「そら、いる?」


 クロノが出ていったあと、暫くしてリトが部屋に入ってきた。

 風呂上がりなのか、普段は下ろしている髪を一つにまとめている。木の宿の女将の面影があり、どこか頼もしく感じられた。


「リト、さっきは……」


 ごめん、と言いかけたそらを、今度はリトが目で制した。落ち着いた瞳だった。冷たい訳ではない。むしろ海のように深い愛情がその瞳に宿っているかのようだ。


「……」

「まあ、飲もう飲もう」


 彼女はいつも通りの笑顔で、小さなコップをふたつ掲げた。


「お酒?」

「オレンジジュースよ」


 カーテンを開けて、二人並んで部屋の中から空を見上げた。

 長い間、無言だった。

 そらは話したいこと、話さなければならないことを頭の中で一生懸命整理していた。


「あのな、リト」


 切り出した。


「さっきは、ありがと。かなり混乱してたから助かった。でも……」


 言い淀んでも、リトは待っていてくれた。言いたくなければ、言わなくていい--穏やかな瞳はそう伝えていた。

 ゆっくりと息を吸って、そらは口を開いた。


 月が傾くまで、そらは話した。アンジュのこと、リクのこと、エレム村のこと――話し出したら止まらなくて、気が付いたら記憶が無い話云々よりも、村の魅力を山ほど語っていた。暗い話のはずが、蓋を開けてみれば、たくさんの人達に愛された、温かい記憶だった。


「だから……俺の帰る場所は、この王国のエレム村しかないと思ってる。俺の親はアンジュさんで、血を分けた兄弟がリクだ」


「そっかあ……」


 リトはほっとしたような笑みを浮かべ、残っていたオレンジジュースを一気に飲み干した。


「じゃあ、何にも心配いらないね。そらはエレム村出身だって、胸張ってればいいよ。でもまあ……呉羽ちゃんには一応話した方がいいのかな?」


「そうするよ。でも……記憶を思い出せないなんて、何だか情けないな」


 リトには素直な気持ちが言えた。

 忘れるほどつらい記憶だったのか、それとも頭を打って忘れてしまったのか。

 ……本当はもう、どこかで気づいている。


「知りたいよ、自分に何があったのか。でも、怖い。きっと思い出したら元のようには戻れないと思う」


 その言葉に対してリトは否定も肯定もしなかった。

 ただ一つ、思い出さなくていいんじゃないかな、と提案した。


「きっと、忘れないと死んでしまうくらい悲しい記憶だったんじゃないかな。私はそらが記憶を取り戻しておかしくなっちゃうより、そらにはそらでいてほしい。生きていてほしいと思うの」


「でも……でもな、リト。こんな俺は出来が悪いのかなって、打たれ弱いのかなって、思っちゃうじゃん……悲しすぎて忘れちゃうなんて、ずるいだろ……」


「そうかなあ……。私はそれを弱さとは思わないよ。それに、たとえそれが弱さだったとしても、それを全部ひっくるめてそらがいる。そのそらに救われた人もいるんだから、私は、幼かったそらが記憶に蓋をしてくれたことに感謝したい」


 でも……。

 リトは続けた。


「でもね、万一思い出しちゃうことがあっても、それはそれでいいとも思うの。記憶を失くしたとき、そらはひとりだったかもしれないけど、今はエレム村の人達がいるの。頼りないかもしれないけど、私だっている。マキバも、ユーリも、クロノさんだって。そらはきっとここに帰ってきてくれるって、信じてるから」


 そらは手の中のコップを握りしめた。頷いて、顔を上げた。

 先ほどの混乱していた頭が、嘘のように落ち着きを取り戻していた。


***


 あ、すれ違う。


 そらの部屋から帰る途中、向かい側から呉羽がやってくるのを見た。気の強そうな女の子だ。仲良くなれそうな気がしなかった。向こうも多分、合わないと考えているに違いない。


(でも挨拶くらいはした方がいいよね……)


 うっかり見とれてしまうくらい美人だ。身長こそ自分と同じくらいだが、向こうの方がずっとスタイルが良いように見える。


(悔しいっていうより……憧れるなあ)


 どこか、別次元で暮らしている人間のように思えた。ツテシフのお姫様の使い。同い年と思われるのに、向こうはばりばり仕事をしている。


「おやすみなさい」


 すれ違う瞬間声をかけたが、返事はなかった。

 先程そらのことで言い返したのが悪かったのかもしれない。


 むっとしてそのまま早足で離れようとすると、後ろから声がかかった。


「あんた、そらのことが好きなの?」

「え……?」


 振り返ると、呉羽のなんとも言えぬ、無愛想な顔が視界に入った。何で、と尋ねると素っ気ない声で返事される。


「さっき、すごく必死そうだったから」


「……別に。大体、そらには他に、好きな人がいるし」


「クロノ?」


「だから何よ」


 どうして彼女にこんな質問をされなければならないのか。腹が立ち、ついつい強い口調になる。

 呉羽も苛立ちを感じているようだった。


「男同士の恋愛を応援して何になるの。私には分からない」


 リトは答えず、呉羽の顔も見ず、そのまま部屋に戻った。


ここまで読んで下さり、ありがとうございます。

次回【第三章】西へ(一)は 明日2017年5月16日23時 投稿予定です。

お楽しみに!

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