【第二章】廃都ラス(三)
やがて神殿に辿り着き、固く閉ざされた木造の扉の前に立った。青い月の光がふたりの顔を照らす。これからどうしたものかと思案していると、不意に柱の影から歌声が聞こえてきた。
「……?」
そらと顔を見合わせる。
突然聞こえてきたそれは、夜の静けさのなかに凜と響いた。
それは女の声だった。とても大人びた歌声だった。
時折聞こえてくる息遣いさえも心地良く聞こえる。
「この歌……」
そらが呟く。クロノも耳にしたことのある曲だ。確か--どこかの町で2人の女が歌っていたのを聞いた。音楽に詳しい方ではないが、有名な曲だというのは分かる。ここ数年で流行った、華やかでややこしげな曲だった。
伴奏が無い分、自分でリズムを取らなければならない。しかし、女にはかなりのリズム感があるらしく、正確に、且つ自然な音楽が流れ込んでくる。
暫くすると女は、柱の裏から腕だけを見せ、挑発するようにくいと手を上げた。パートが変わるのだ。
そらが、それに乗らないはずがない。
そうクロノが視線を彼に向けた瞬間、そらの小さな唇から歌が零れた。
思わずクロノは感嘆の溜め息をついた。先程まで女の歌声を聴いてあれこれ考えを巡らせていたが、やはりそらは--違う。
そらの歌声は澄み渡り、星いっぱいの夜空に舞い上がった。今まで何もなかった闇の中を、彼を中心にして、円を描くように光が広がっていくようだ。
そらのパートが始まってすぐ、扉の隙間から青色の光が漏れた。クロノが以前見た色だった。そらも驚いたようだったが、それでも歌うことは止めなかった。
女の歌声は一瞬止んだ。しかし、すぐに負けないとでも言うように、再び歌い出す。
そらの歌声は中性的である。どちらかといえば、幼く、可愛さ、あどけなさの残る声なのかもしれない。
女の大人びた声とは正反対だが、ふたりの歌声は不思議と溶け合う。
十分に歌いきったところで、女が柱の影から出てきた。
「……礼も言わせてくれないんだ」
赤髪の髪を二つに束ねた娘。
それは、アンデの町へ行く途中、クロノ達が助けた少女だった。
「私は呉羽。そらとクロノで間違いないわね?」
彼女は何故か自分達の名前を知っていた。
「とにかく、竜が姿を現したみたいよ。気になるならさっさと行けば?」
前髪をいじりながら、呆れた目を向けてくる。生意気なガキだと思いながらも、クロノは扉に手を掛けた。
先程はびくともしなかった扉が、今はすっと開いた。
「あ……」
中にいたのは、クロノが以前目にした竜だった。怯えるように身を小さくし、こちらを威嚇している。
そらも中を覗き込んで小さく息を呑んだ。
水色にうっすら緑が混ざっているような色の光を周囲に放っている。体を覆っている何万もの鱗はまるでガラス細工だ。
「お腹、怪我してる……」
真っ先に気付いたそらが前に出て--、異変を感じ、立ち止まった。
その鋭い鱗が、そらに向かって飛んできたのだ。
咄嗟にその腕を引き、後ろに追いやった。腕から胸、腹にかけて裂かれたような痛みが走る。
「……よう、どうした? 大分変わっちまったなあ、お前」
倒れはしなかった。後ろにいたそらの肩を借りて何とか持ちこたえた。
逆に、そらの肩は震え、下手をすれば自分よりも先に倒れてしまいそうだった。
竜からの返事はない。ただ、怯えるような瞳が、こちらを見つめている。
水色の光に圧倒され気づけなかったが、そらの言う通り、腹のあたりに切り傷があり、そこからは赤い液体が流れていた。二年間流し続けていたのだろうか。
「なあ水神様よう、覚えてるか? あんた、何年か前に俺に姿を見せてくれただろ」
「……」
「何を思って見せてくれたのかは知らねえけど……あのときの礼を返したい。もしも俺のことを覚えてるなら、信じてもらえねえか?」
竜の瞳から、かすかに警戒心が消えたような気がした。覚えていてくれたのだろうか。あの時の、頼りない兵を。
さらに付け足す。
「ここのちっちゃいの、意外と頼りになるぜ?」
「ちっちゃいの、言うな……」
「治せそうか?」
「傷を見ないと何とも言えないですけど……でも」
そらは真正面から竜を見た。
……いや、睨みつけたと言った方が正しいかもしれない。
「あなたみたいに突然傷つけたりはしない」
「こうちゃんがいたら、もっと早く治るんですけどね……」
そらはあの偏屈な医者のことを「こうちゃん」と呼ぶ。いつの間にそんなに仲良くなったのか……。
薬草の束を広げながら唸る彼に尋ねる。
「リンゴ姫は効かねえのか?」
「こんなところで生きるか死ぬかの賭けをしていいんですか……」
「ああ、そうだっけ……」
そらは結局、ある薬草を練ったものを竜の傷口に塗った。その上から包帯を巻き、ひとまず息をつく。
「一日五回、傷薬を塗りなおします。三日もすれば出血は止まりますよ」
クロノは既に上半身を包帯で巻かれている。
包帯を巻きながらぼろぼろと泣き始めたそらに、自分も竜も戸惑ったものだ。今でこそ落ち着いたものだが、泣き止むのに一番時間がかかった。
「そんな大事じゃねえんだから」
「もうほんと……庇うのやめて下さい。死んだ方がマシです」
「ばか言うなよ」
そらが死ぬくらいなら、自分が死ぬ。それくらいの覚悟がいつの間にかできていたが、口にはしなかった。
「そういえば……あの、呉羽ちゃんは?」
ふと、思い出したようにそらが周りを見回す。扉を開けた時からその姿を見ていなかった。
いつの間にか帰ってしまったらしい。不思議な少女だった。
そらと自分の名前を知っていた。
クロノの場合、町に行けば広告が張り出されているから、呉羽が名前を知っていてもおかしくない。しかし、そらの名前まで知っているとなれば、いよいよ怪しかった。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
次回【第二章】廃都ラス(四)は 明日2017年5月14日23時 投稿予定です。
お楽しみに!




