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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第二部】逡巡
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【第二章】廃都ラス(二)

「ああ、あなた方が。突然うちの者が迷惑をかけてすまなかった」


 ふたりを見て、まず彼は謝罪の言葉を述べた。クロノが何か言いたそうな顔をして視線を向けてきたが、そらはけろりとしたまま軽く頭を下げた。


「こちらこそ紛らわしくてすみません」


 同時に頭を下げたらしいクロノに机の下で小突かれる。

 初老の男はそのことに気付きもせず、向かい側に腰を下ろす。案内人はさっさと茶を置いて出て行ってしまった。引き戸の閉まる音が妙に重たく残った。


「静かすぎて怖いだろう」

「一体何があったんですか」


 そらが尋ねると、初老の男は苦笑いを浮かべ、少し間を置いてから答えた。


「アレの怒りに触れたんだよ」

「アレ?」


 隣で、クロノが一瞬何かを思い出したように顔を顰めた。

 初老の男は持ってきた本を机の上に広げた。とても古いものらしく、色は落ち、ページをめくるたびに埃が舞う。あるページを過ぎようとした瞬間、今まで黙っていたクロノが、素早くページの間に指を挟み、止めた。


「今のじゃないですか?」


 男が手を離したのを確認してから、そのページをゆっくりと開く。

 そこには、緑色と水色が混ざり濁ったような色をした竜が描かれていた。


「……ラスの守り神ですね」


 クロノが呟く。


 聞くと、以前ラスを訪れた時にこの竜が描かれた壁画を見たそうだ。そして、さらに何か言おうとして--口を閉ざした。その一部始終を見ていたそらは怪訝に思ったが、男が竜の説明を始めたので、その先を聞くことはできなかった。


「ラスはこの水竜によって守られていた。神殿に供えられた水の玉……それが盗まれるまでは」


「水の玉?」


「水の玉を神殿に置き、その前に毎朝一杯の水を供える。それが我らと水竜の契約だった。それを続けている間は平和だった」


「盗まれたんですか?」


「ああ。二年前にね」


「そのまま水の玉が見つからないんですか」


「……いや、見つかったよ。すぐに盗んだ男の死体が発見された。首を食いちぎられていてね。血のついた刃物と一緒に近くで見つかった。水の玉は慌てて神殿に戻したが、それからこの有様さ」


「……」


 元々この地域は雨が極端に少ない。

 水が地面から湧き出るラスはこの地域の奇跡だった。都から水を引いていた周辺の村や町は、ラスの水がなくなると同時に水不足に襲われた。おかげで畑は今年も凶作だ。この冬はまだ蓄えた穀物があるが、来年あたり大飢饉になるかもしれない。


 盗人一人のために、なぜ自分達がこんなに苦しまなければならないのか。

 初老の男はそこまで言って、本をぱたんと閉じ、重い溜息をついた。




「クロノさん、何か隠してるでしょ」

「あ?」


 日も暮れ、月が姿を現した頃、ふたりはラスの神殿を目指し歩いていた。

 マキバ達は近くの宿に泊まるそうだ。自分達も用が終わったらそこに行くつもりだった。


「なんでそう思うんだ」


「だって、普段ならこんな--危なそうなことに近づかないじゃないですか。首、齧られてたんでしょ、ぱっくりと」


「怖いのか?」


「怖いですよ。でも……俺は、どうせ通るなら何とかしたいんです」


「お人好し」


 再びクロノが背を向ける。

 自分の質問に答えてもらっていない。腹が立ってもう一度尋ねようとすると、彼が自分の少し手前で立ち止った。


「……一回、見たことがあるんだよ、竜。ちょうどこの時間かな。昔戦場に行く途中、この都で一泊したんだ」


 枯れ木の手前でクロノは足を止め、労わるように幹を撫でる。


「その夜、眠れなくて外に出た」


 戦が怖かったのだとぽつりと付け足した。


「……そしたら、夜だっていうのに、遠くで水色に光ってるんだよ、何かが」


「近づいたんですか?」


「ああ。すぐ手前まで行って姿を拝ませてもらった。夢だと思ったからな……あれは、確かに竜だった」


 自嘲気味に笑う気配。

 信じられないだろ? と。


「でもさ……すっごく綺麗だったんだ。よく分かんねえけど、自分はまだ死なないと思った。もしものときはお前が守ってくれるんだなって……死ぬのが怖くて、殺すのも怖くて……そんなどうしようもない兵にもその姿を見せてくれた」


「もしもその竜に会えてなかったら?」


「……今頃こんな憂き目にはあってねえだろうな」


 クロノのくつくつと笑う声に親しみさえ感じられる。


「それじゃあ尚更、頑張らなくちゃですね?」


「ま、借りた恩は返さねえと……」


「でもほっとしました。クロノさんも最初は人並みに恐怖の感情があったんですね」


「馬鹿野郎。今でも怖いものだらけだよ。火あぶりなんて絶対に御免だからな」


「シャレになんないですね」


 ははは、と笑うと頭をどつかれる。痛い、と言いながら彼を見上げたら、彼も声を上げ笑っていた。珍しい。


 本当は……怖いのではないか。

 何でもないように振舞っているのは、彼の方ではないか。


「……クロノさん?」


 真面目な顔になって、そらは言った。


「あ?」

「そんなことは、俺がさせませんから」


 面白いくらいにクロノがぽかんとしているので、今度はにやりといやらしい笑みを浮かべた。親指の爪で首元を軽く撫でながら、さらに一言付け足す。


「そうなる前に、俺が一息に殺ります」


「てめ、生意気……」


「楽勝ですよ。らっくしょー」


 歌うようにそらは言いながら、もう一度心の中で誓った。


 ……必ず俺が、助けてみせると。


次回【第二章】廃都ラス(三)は 明日2017年5月13日23時 投稿予定です。


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