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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第二部】逡巡
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【第二章】廃都ラス(一)

 深夜であった。

 誰かが、そらの額に手を当てている。

 冷たい手。とても細い指先だった。


「--廃都ラスを助けて。あなたの歌が必要なの……」


 呪文を唱えるように彼女が言う。どこかで聞いたような声だったが、何も思い出せなかった。

 体が動かない。すぐ隣で、クロノの低い寝息が聞こえる。どうやら自分は寝ぼけているらしい。

 枯葉が窓に当たる音にさえ敏感に気づき目を覚ますクロノが、人の入ってくる気配に気づかぬはずがなかった。


「必ず、必ずよ……」


 念を押すような言葉が聞こえたのを最後にその声は消えた。

 それからぱっと体が動くようになった。

 慌てて飛び起き、辺りを見回したが、それらしき者の気配はなく、ただどこまで続くかも分からぬ闇が、辺りを支配していた。


 そっと布団から抜け出し、誰もいないかきちんと確認しておこうと小さな明かりをつける。自分の手元は明るくなったが、周りの闇はさらに深みを増したようだった。


「そら? どうした」


 クロノの声がした。


「さっき……誰かいたような」

「何っ」


 飛び起き、クロノは自分の手から明かりを奪い、周りを用心深く確かめていった。


「……」

「夢でしょうか?」

「ラス……、じゃないのか?」

「!」


 先程自分が聞いた言葉と全く同じ言葉を、クロノが口にした。


「クロノさんも聞いたんですか?」

「ああ。夢かと思って放っておいた。人の気配もしなかったからな……ここの小屋、幽霊が出るのか?」

「怖いこと言わないで下さいよう」


 昨晩泊まったのと同じ山小屋であった。来た道を戻り、今度は五人でこの小屋に布団を並べて眠りについていたのだ。


「ラスなんて都市があるんですか?」

「……ラスは、水の都だ」


 クロノの話によると、数年前、彼も軍の用事で行ったことがあるらしい。

 そこは、透き通った湧き水が一瞬も途絶えることなく溢れ続ける、とても美しい都だったと。そう、クロノは遠くを見るような目で語った。自分自身が兵として軍にいた頃が懐かしかったのかもしれない。


「どうします?」

「確かに、ラスを通ったら早いんだよなあ……」

「じゃあ行きましょうよ」

「うーん……」


 面倒なことに巻き込まれそうだとクロノは考えているようだった。

 確かに今は人助けどころではないし、わざわざ危険な場所に足を踏み入れる余裕もない。


「でも……」

「でもなあ……」

「気になりますよね」

「気になる」


 幽霊の正体が知りたい。そんな素朴な理由で、久々に二人の意見が一致したのだった。


***


 ラスに辿り着き、クロノは言葉を失った。そこに在ったのは水の都ではなく、文字通り、廃都だったからだ。

 崩れ落ちた建物の隙間を、寂しそうに風が通り抜けていく。カラカラに乾いた地面はもう何十日、いや、何年もの間水を吸っていないようだ。栄えていた頃のラスを知っているクロノの衝撃は他の四人の衝撃をさらに上回るものだった。


「クロノ」


 突然マキバが注意を促すように名を呼んできた。

 耳を澄ませ、頷く。


「……ああ。来てるな」


 何十人もの足音が近づいてくる。軍にしてはかなり荒々しいような気もするが、確認してからでは遅い。


「マキバ。他の奴らを連れていけ。一緒にいることがばれたらまずい」


「俺は?」


 そらが尋ねる。


「聞くな、隠れてろ」


「今更でしょ?」


 ぶつぶつと文句を言いながらも、大人しく従う。逃げなければならないときは逃げる。任せられるときは任せる。……それでいい。

 クロノは四人の後姿を見送ってから、大刀を引き抜いた。

 そして、襲ってきた者の正体が分かり、ぎょっとする。それは、周辺に住んでいると思われる村人、そして町人達だった。


 遠く鉄の農具や包丁を掲げた集団が見えて、クロノは顔を顰めた。

 彼らはじりじりとクロノの周りを四方八方を囲んでいく。


「何のつもりだ」

「お前、雨を降らせられるんだろ? この水の都をその力で助けてくれっ」

「賞金ももらえるし、まずはとっ捕まえてやるっ」


 クロノは事情を悟ったが、生憎自分の意志では雨を操れないし、こんなところで捕まっている場合でもない。どうにかして穏便に事を済ませたいと考えを巡らせたが、熱くなった彼らを落ち着かせる術など、クロノは持っていなかった。


 最初に鍬で殴りかかってきた男を投げ捨てると、辺りがざわめいた。


(まずいな……)


 クロノはチッと舌打ちをし、刀を抜いた。ウォックの町や、崖下の河原での感覚が、まだ生々しく残っていた。


(落ちつけ……大丈夫だから……)


 戦の頃の感覚も抜けきらない。殺さなければ殺される。そうやって剣を振ってきたのだ。生き方なんて、そう簡単に変えられない。しかし


(傷つけるのは、いやだなあ……)


 今は、単純にそう思った。


 そのとき、辺りの喧騒を遮るように、歌声が真っ直ぐ響いた。この場に似合わぬ、静かなメロディが、水を失った都に沁みわたっていく。


 頭に血が上っていた彼らも、突然聞こえてきたその歌に手を止めた。誰も何も言わない。動きを止め、その唇が奏でるひとつひとつの音を拾い集める。決してこぼれ落ちないように、慎重に、慎重に。

 やがて草むらから、ひょっこりとそらが顔を出した。


「あの……この人は、あなた方が探している人じゃありませんよ」




「手配書、ちゃんと見て下さい。黒くて長い髪がちょっと……ほんの少し似てるだけじゃないですか。早とちり過ぎじゃないですか?」


「……あ、ああ」


 先ほどの歌がまだ頭に残っているのか、どこかふわふわした面持ちで村人たちが頷いた。

 そらの歌は時々麻薬のようで怖い。

 そのことを知ってか知らずか、そらはにこりと笑みを浮かべた。自信たっぷりに、はっきりと言う。


「この人は、あなた方が探している人じゃありません」


 町人の一人が、手配書を開き、クロノの顔と見比べる。それは、クロノを好く思っていない者が描いたもので、ひどい悪相であった。

 そらはクロノの方を振り返り、ふんっと鼻息を荒くした。


「一回文句言いたかったんですよね!」

「そりゃ、どうも……」


 またもや彼に助けられたのだ。




 ラスから数分歩き、そら達はある村に案内された。二十戸あるかないか分からないくらいの小さな村だった。田畑を見ると、ひどく荒れていた。

 そらがじっと見つめていると、案内した男が「水が足りないんだよ」と耳打ちした。


 村の集会所のような場所で待つように言われ、そらはクロノと二人で前の端の席に腰を下ろした。長机が八つ並んでいた。

 村に着くまでは、マキバ達がこっそりついてきている気配があったが、さすがに集会所にまでは入ってこられなかったらしい。途中から気配が消えた。


「何にも言わないんですか」

「あ?」

「いつもだったら、余計なことに首つっこむなとか言うじゃないですか」


 くく、とクロノが喉で笑う。


「最近止めても聞かねえじゃねえか」


 とても静かな場所だった。とても人が生活しているとは思えない。そんな、薄気味悪い静けさ。

 案内人が開け放しにした引き戸。そこから絶えず冷たい風が吹き込んでいたが、閉めようとは思わなかった。外の様子が気になるのだ。


 やがて、案内人が村長らしき初老の男を連れてやってきた。



次回【第二章】廃都ラス(二)は今日2017年5月11日23時 投稿予定です。


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