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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第一部】王国逃亡
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【序章】雨(五)

 深く息を吸ってから、コガレは口を開いた。


「師範、俺達は魔が宿った者を殺すつもりで計画してきました。クレアス王国の崩壊なんて、とっても面白そうですけど、民として放っておく訳にはいきませんから」


「……心の声がだだ漏れしてんぞ」


「師範に選択してもらわなければいけません」


 サフランと目が合う。彼は今にも泣き出しそうな顔をしていた。しかし先延ばしにしてもどうにもならないとお互いに分かっている。


「ここで俺達に殺されるか、それとも……逃げてみるか」


 隠していた短剣を取り出して見せた。


 クロノはひきつった笑みを浮かべた。よく研がれていることに気付いたらしい。しかし、それ以上の動揺を見せることはなかった。


「逃げるって、どこに」


「ツテシフの迷宮神殿」


 そこで百年前に魔を封印したという記録がある。しかし後の世、書に記されている場所に王国の研究家が行くと、そこには大きな湖があるだけで神殿などは見当たらなかったらしい。

 誰も、どこに迷宮神殿があるのか分からない。しかし必ずあるとコガレは信じている。


 途中、魔女が住む森もある。百年前、この魔を封印した女だ。クレアスとツテシフの危機を救った。居場所は今一つ分からないが、コガレ達も《闇の方》の隙を見て、後に探そうと考えていた。


「へえ……逃げてもいいのか」


 余裕の笑みを浮かべている。


 コガレも笑い返した。


「死んだ方が楽かもしれませんよ」


 どう足掻いたって、この先は彼一人だ。


「途中で魔に魂を喰われるかもしれない。城の追手に深い傷を負わされて森の中を彷徨うかもしれない。迷宮神殿に辿り着いたとしても助かる保証は無い……最悪、捕まったら、火あぶりにされることも」


「脅すつもりか?」


「まさか。本当のことを言ってるだけです」


 誰も助けることはできない。

 自分達の勝手でクロノを苦しめるのも居た堪れなかった。


「俺に任せてくれたら、一瞬で楽になれる」


 ごめんなさい、師範。

 コガレは心の中で謝った。


――それでも、生きていて欲しいと願ってしまう。


 クロノもコガレも口元は笑っているが、目は本気である。

 張り詰めた空気が、小さな部屋を支配した。


 クロノが死を口にした瞬間、コガレは短剣を突き刺すつもりだった。

 死に囚われると人は混乱する。きっと自分にも迷いが生まれてしまう。その前に、さっさと終わらせてしまいたかった。


 互いに相手がどう出るか窺っている。


 重たい空気の中、先に口を開いたのはクロノの方だ。

 両手を顔の前で開き、軽く振って、彼は言った。


「白状する。俺も出来ればお前の一撃で楽になりたいところだが……生憎、頼まれ事あってな。ウサから」


「ウサから?」


 用心深く、尋ねなおした。


「手紙を託された。……故郷宛てだ」


 一瞬の沈黙。


 しかし、すぐに状況を理解した。喉の奥からくつくつと笑いがこみあげてくる。

 サフランも少しの間ぽかんとしていたが、緊張の糸が切れたように笑い続ける自分を見て、やっとクロノの言葉の意味に気付いたようだった。瞼をパチパチさせて涙を落した。

 自分はまだ、笑い続けている。


「師範、それはちゃんと届けなくちゃあ駄目ですよ。ウサ、よくやったなあ、あいつ!」

 ウサギはコガレの後輩だった。

 今、彼の元に行って思い切りその頭を撫でてやりたかった。


「それなら話は早いです。夜になったら動き出しましょう。それまでは作戦会議だ」


 サフランがぐずぐず鼻をすすりながら地図を取り出してきた。


「ウサの実家はどこら辺ですか」


「……ツテシフだ。迷宮神殿からそう遠くない」


 クロノの言葉に、コガレははっと息を止めた。


「……ツテシフ?」


「ああ。訛りがねえから全く気づかなかった。気づいたところで大切な教え子に変わりはねえけど」


 コガレもゆっくりと頷き、同意を示した。


「……なんでクレアスの軍に。それに迷宮神殿の近くなんて、まるで示し合わせたみたいですね」


 色褪せた地図を机の上に広げながら、三人は頭を寄せた。

 できるだけ人の多い場所を避けながら魔女の森を通って、迷宮神殿へ向かう。道中ウサの手紙を届ける。


「ずいぶんわかりやすいな」


「情報が少なすぎるんです」


 地図は役に立たないだろうとコガレは思った。

 魔女に会える可能性も、迷宮神殿を見つける可能性も、限りなく0に近い。きっと生きることに精一杯で、ただ、がむしゃらに突き進むことになるはずだ。


「九十三日、それが限界だと思います。無理だったら王国のため、死んでください」


 早口でコガレは言った。


「気持ち良いくらいさらっと言うなあ」


 九十三、とわざわざ日数に直したのは、急げ、と彼に釘を刺すためだった。自分でも残酷だと思ったが、

彼だって魔に喰い殺されたくないだろう。


「師範、何か旅に必要なものは? 師範の部屋に取りに行く」


 メモを渡され、クロノはいくつかかさばらないものを書いた。とにかくウサの手紙と、金は必要だった。そして、水狩織の布。身を隠すためだ。


「大丈夫なのか?」


「俺が何年間暗殺をやってると思ってるんですか? 身を隠すのと逃げるのはきっと師範よりも上手い」


「成長したもんだ」

 クロノがそう言って目を細めたのをコガレは切ない気持ちで見つめた。




 ふたりの姿が消え、クロノはひとり、部屋に取り残された。まだ、追われているという実感が湧かなかった。


 ぽっかりと土中にできた空間に、松葉色のソファと、木でできた長机が置かれている。自分はソファの上で寝かされていたようだ。少し離れて、もうひとつボロボロになった木椅子があった。ソファとこれでちょうど三人が座れるようになっている。遠すぎず近すぎない、彼ららしい距離感だと思った。


 ウサと、ビャクをなくした。


 戦中なら耐えられたかもしれない。しかし彼らは仲間に殺された。ウサに至っては、自分を守ろうとして殺されたのだ。

 昨日のこの時間、自分はまだ武術を《見習い兵》達に教えていたはずだ。そしてウサと話して。あの時、ウサは生きていた……自分を助けたコガレとサフランはどうなるのだろう。城の者、あるいは《闇の方》に知られずにいることが可能だろうか。


 そんな心配をしていると、予想よりずっと早く彼らは戻ってきた。笑顔である。

 話を聞くと、クロノの部屋で警備していた者に先ほどの薬を後ろからかがせたらしい。


「さすがに部屋に戻ってはこられないと思ったんでしょうね。警備が手薄でした。抜け穴が俺達の手によって色々な場所に作られていると知らないようです」


「……何で俺の部屋に抜け穴が?」


「何かあったら助けてもらおうと思って」


 ケロリとした顔でコガレは言った。

 サフランもこの点に関しては楽観的であった。

「師範なら匿ってくれると」


 サフランは、戦用の鞄に手紙と金を入れて持ってきた。


「これがウサギの手紙ですね。あと、机の奥に入れてあったお金。これだけで足りますか?」


「足りるさ」


 コガレが有無も言わせぬ勢いで背中に大きな布を掛けてくる。

「師範なら大丈夫そうですね。あとこれは、水狩織」


「ありがとな」


「夜のうちにできるだけ遠くまで逃げてください。わかってると思いますけど、絶対に戻ってこないで」


「お前らは?」


「暫く《闇の方》の様子を見ます。あなたのことは忘れて仕事に専念する。師範……ここから出たら本当にひとりです」




 コガレの願いに反して、クロノは一度も「一緒に来てくれ」と言わなかった。


 これが彼の優しさであり強さだった。どうせ足手まといになるだけだ、という思いもあった。自分もサフランも定められた運命を受け入れ、そこで踏ん張るしかない。


 最後に彼は尋ねた。


「……《闇の方》って、一体誰なんだ?」


 フォグ=ウェイヴ。それが《闇の方》の本名だった。

 コガレは一瞬間を置いて、サフランと声を合わせた。


「我らが宰相ですよ」


 サフランが付け足す。


「分かっても決して名前は口にしないで下さい。呪い殺されてしまいます」


 城の外に通じる穴を抜け、三人は外の空気を吸った。秋の肌寒い風が頬を撫でた。


「大丈夫ですよ。希望だって無い訳ではありません」


 少しだけ不安そうな顔をしているクロノにコガレは笑いかけた。


「もしかすると旅先で、その歌を歌っていた人物に会えるかもしれない」


「まさか。奇跡でも起こらない限り……」


「奇跡って、案外高い確率で起こるらしいですよ」


 コガレが上を見上げた瞬間、星が一つ流れていった。雨は降っていない。

 

――何も、言わなかった。


「行ってください。どうか、お元気で」


【第一章】城からの逃奔(一)は 2017年4月16日23時 投稿予定です。

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