【第六章】ビド(二)
長い間、この夜から前のことを思い出せずにいた。記憶が戻ったとき、まず、狐が兄に化けていたことにショックを受けた。
マキバは自分のために、その罪を一人で背負ってくれていたのだ。
何度も話そうとしたができなかった。
自分は卑怯である。ずっと知らないふりをして生きてきた。
「マキバ……」
苦しくて名前を呼んだ。
助けてほしい。ここは暗い。どこに出口があるのか分からない。
「マキバ…ッ」
気が狂いそうな真っ暗闇のなか、最後にユーリは大きく、叫ぶように名前を呼んだ。
***
目を開けると夜空が広がっていて、そらは慌てて飛び起きた。
辺りは暗く、ビドがどこにあるのか見当もつかない。しかし、ここで止まる訳にはいかなかった。
(クロノさん……っ!)
祈るような思いで辺りを散策していると、背負っている荷物のなかからハニが姿を現した。
「ハニ……?」
背中から飛びおり、小さな耳をぴんと立てて辺りを見回す。暫くしてタカタカと素早い動きで駆けだした。
「ハニッ……」
その夜は風がとても強かった。びゅうびゅうと北風がそらを襲った。
ハニに導かれるまま、洞窟に入る。
そらが中に入ると、コウモリが頭上を慌ただしく飛んでいった。
だんだん細くなっていく道を這うようにして進んだ。湿った地面が肘を擦ったが、気にしている余裕などない。
ようやく開けた場所に出た。
ビドのなかである。
真夜中であるにも関わらず、向こうが何やら騒がしい。大勢の人々が広場に集まり、地面に伏していた。その先には妙に着飾った者が座している。
幾つもの明かりが不気味に辺りを白く照らしていた。
ハニは気にせず進み続ける。騒がしい場所とは逆の方向を目指しているようだった。
そらは明るい方に注意を向けながらその背中を追いかけた。何か大声で指示している声が聞こえる。
「明日、魔を我が物にする。儀式の用意をせよ、儀式の用意をせよ!」
「永遠の力は我らにあり!」
クロノのことだろうか。
(急がなくちゃ)
途中で井戸を見つけたため、そらはこっそり水を頂戴し、かばんの中にしまった。周りに家があったから、まさか毒が入っていることはないだろう。
再び暗闇が辺りを包み込み、段々疲れを感じてきた頃、今まで静かだったハニがきゅう、と鳴いた。
「どうした?」
ハニはそらを見て、それから目の前の建物に視線を移した。白く、背の低い建物だった。
目の前に排気口がある。何とか入れそうだったので、短刀の柄で、錆びた鉄の網を叩き壊した。
ハニの後に続き、ずっと狭い間を抜けていくと、やがて白い光が見えた。
明かりがついているようだ。
そらは用心深く、人の気配がないことを確認すると、再び網を壊し、中に入った。
広い空間に出た。上は丸い屋根になっており、外から見たときより広く感じられた。
中央に太い柱があり、そこに何十にも鎖が巻かれている。そらはふと、その柱の陰に、誰かがいることに気づいた。
「クロノさん……?」
恐る恐る尋ねる。
彼からの返事は無かった。そらは慌てて駆け寄り、その生気のない顔に声をかけた。
「クロノさんっ、クロノさんっ……」
ぐったりとしたまま彼は動かない。
いつもは後ろにしっかり結んでいる髪も、今は乱れていた。
首元から腰にかけて鎖で固く柱に縛りつけられている。端には南京錠がかかっており、解くことができなかった。
ひどく抵抗したらしい。手首から血が流れていた。
「しっかりしてください……あっ」
そらは慌てて自分の口を塞いだ。違和感のある匂いに気付いたのだ。ハニが再び駆け出す。その先では香が焚かれていた。




