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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第一部】王国逃亡
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【第五章】赤い影(四)

 アンデを出て二日が経った。


 クロノとそらは早足で闇の中を進んでいる。普段ならば夜は休むところ、今夜はそうも言っていられなかった。どうやら嵐がやってきそうなのだ。


 夕方まで晴れていたのに、太陽が隠れると急に風が強くなった。ぽつぽつと雨が降り出し、今は痛いほどに顔を打ってくる。


 寒いのかハニは荷物から出てこなくなってしまった。


 向かい風で上手く息ができない。苦しくてそらは、クロノの背中に逃げ込んだ。


「こら、俺を盾にしてんな!」


 前を行くクロノが怒鳴る。


「いいじゃないですか。このための、でっかい背中でしょ!」


「お前が先行けよ」


「いつも小さいって馬鹿にするくせに」


 不毛な会話で気を紛らわせながら、できるだけ急いで山を下りていく。


 緩やかな坂になったところで、前から女性が歩いてくるのに気がついた。

 こんな嵐の夜になぜ山へ登ろうとしているのか。


 前を歩いていたクロノが首に巻いている水狩を鼻先まで押し上げた。


「村人だな」


「声、かけた方がいいですよね」


「任せる」


 細身の、風に吹き飛ばされてしまいそうな体格をした女だった。

 すれ違うとき、声をかけた。


「危ないですよ。土砂崩れになりそうだ。日を改めた方がいい」


 そのまま通り過ぎるつもりだった。

 しかし、その女が一枚の紙きれを地面に落としていったのだ。


 振り返って、落としましたよ、と声をかけたが、この強い風の中では届いていないようだった。


「クロノさん」


「ほっとけ。忠告はしただろ」


「でも、このメモ見てください」


「……」


 クロノが信じられないとでも言いたげな表情をしている。お人好しもいい加減にしろ、と。


 紙にはいくつか薬草の絵が描かれていた。それぞれの特徴が荒い字でメモされている。

 この薬草は、少しばかりではあるが、全種類そらの荷物のなかにあった。この地域にしか見られない薬草で珍しいと思い、まだ晴れている間に採取していたのだ。


 そらは声には出さず、視線だけでクロノに反抗した。あなたは他人に対して冷たすぎる、と。


「先に行ってて下さいよ。俺はさっきの人に薬草渡してきますから」


 そう遠くまで行っていないはずだ。

 そらの足ならば、すぐに追いつけるだろう。


「止めても聞かねえんだから」


 クロノが長い溜息をついた。




 泥に足を取られながらも、駆け足で、来た道を戻る。


「結局ついてきてるじゃないですか」


「馬鹿野郎。ここでお前が足を踏み外したら、迷わず先に行かなくちゃいけねえだろう」


「ひどい!」


 走っていると、前方に先程の女が見えた。


「まずい」


 後方でクロノが呟く。


 よく見ると、自分達のいる場所から彼女のいる場所にかけて、地面に長い亀裂が走っていた。


「うわっ」


 短く叫んだと同時に、そらはひょいとクロノに抱え上げられた。

 そのまま、クロノはもう一方の手で彼女を脇に抱えた。


 そらは、すぐ後方で地面が崩れるのを見た。


「はー……」


 安全な場所まで逃げ切ると、クロノが先程の溜め息よりもさらに長く、長く溜息をつき、こちらを睨んできた。


 気まずくて視線を逸らせると頭を鷲掴みにされ、無理矢理視線を合わせられる。


「馬鹿野郎! 俺がいなかったらどうするつもりだったんだ! ええっ?」


「痛っ! 痛いですっ、ごめんなさい」


「あ、あのっ」


 二人は、女が不安そうにこちらを見ているのに気づき、動きを止めた。


「あの、助けてくださってありがとうございました。でも、どうして」


 確かに、男二人が戻ってきて彼女を助けたとなれば怪しい。そらは慌てて先程のメモを掲げた。それは雨に濡れ、文字が滲んでいた。


「それ、やっぱり落としたのね。大切なメモで困っていたの。ありがとう」


「……」


 メモを受け取った女の、芯の強そうな瞳から、ふいに涙が零れ落ちた。


「っ……、ごめんなさい。早くしないと、大変なんです。私、もう行きます」


「待ってください。メモ、勝手に見ちゃったんですけど、そこに書いてある薬草、持ってます」


「!」


 そらは荷物の中から五種類の薬草が入った瓶を取り出し、一つずつ絵と照らし合わせていった。


「今日の午前中、採ったものです。良かったら使ってください」


 あまりにもタイミングが良すぎて、女は驚いたようだった。

 クロノが助け舟を出してくれる。


「こいつは薬草マニアだから、旅の途中に珍しい薬草を見つけてはちょっとずつ採っていくんです。持っていない薬草の方が珍しいんですよ」


 少し大袈裟ではあるが、女の警戒は十分に解けたようだ。

 ほっとして、クロノに、行きましょう、と声をかけた。


「まっ、待ってください!」


「……?」


 振り返ると、女が駆け足でこちらに近づいてきた。


「お願いです、助けてください」


「?」


「薬草に詳しいなら、薬の作り方も知っているんでしょう?」


「……」


「旅人さん、うちに泊まっていってくださいな」


 こうしている間にも嵐は激しさを増していく。二人にとってはありがたい話であった。


「泊まらせてくださるのなら助かります。ここ最近は特に物騒ですし」


「物騒?」


「城から逃げている男が、まだ捕まってないんですよ」


「私たちの村はこんな山に囲まれているから、王国からの連絡なんてありません。そんなに恐ろしい事件があったんですか?」


「ええ……まあ」


 よし、と思ってそらは振り返り、クロノを見上げた。

 クロノが両手を軽く上げ、降参のポーズをとる。それを確認してからそらは頷いた。


「分かりました。薬草の使い方で良ければ教えます。急ぎましょう」


 女を先頭に、クロノとそらは山道を駆けおりていく。


「一体何があったんですか」


 そらが尋ねると、女は一生懸命事情を話し始めた。


 今年四つになる息子が突然熱を出したのだという。

 少し離れた町の医者を呼んだが、彼は、自分たちが少額の金しか払えないと知ると満足な治療もしてくれなかった。免疫が弱い子どもや年寄りがかかることの多い流行り病で、治る可能性はかなり低いらしい。彼は嵐が近いことを知ると、さっさと帰ってしまった。


 その後、村の長老から薬草の話を聞き、ここまで走ってきたのだという。


「着きました。ここです」


 女はそう言うと、木造の扉を開け、二人を家に招き入れた。

 居間では、白く長い髭を伸ばした老人が子どもを見守っていた。


「どうですか……?」


「背中が痛いと言っておる」


 幼子の熱は高く、意識は朦朧としているようだった。


「そちらは?」


 老人に怪訝そうな顔を向けられ、そらが背筋を伸ばした。

 女が答えてくれる。


「土砂崩れに巻き込まれそうになったとき、助けてもらったんです。こちらのそらという方が薬草に詳しいと聞いて、助けを求めました」


「……大丈夫なんだろうな」


「きっと信頼できる方だと思います」


 女は次に、くるりとこちらを振り返り、老人を紹介した。


「村の長老です。私が留守の間、様子を見てもらっていました」


 そらは彼に向かって頭を下げた。


「そらと云います。……本当にごめんなさい。正直に言っておきます。俺は薬草しか扱えません。それに、プロでもありません……出来る限りのことはやりますが」


 本当は――避けたかった。助けられる見込みがそらには無かったのだ。

 しかし、女は迷いなく、あなたに任せたい、と話した。


次回【第五章】赤い影(五)は 明日2017年5月3日23時 投稿予定です。


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