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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第一部】王国逃亡
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【第五章】赤い影(三)

 地下牢。


 一週間、光のない場所に放り込まれていた。尋常の感覚を持つ人間ならば、三日で気を狂わせてしまうところだが、生憎、そんなものはとっくの昔に捨ててしまっている。

 手錠をかけられた手首が鈍く痛む。体中が重く痛い。サフランがこっそり持ってきてくれた食事もほとんど取っていない。ひどい吐き気が続いていた。


 ふと、人の気配がしてコガレは目を開けた。朝飯にしては随分と早い時刻だ。それに、サフランの抜き足差し足する音でもない。


 またか、と舌打ちして、コガレは身構えた。しかし、やってきたのは思いもよらなかった人物だった。


「……え……」


「こんばんは、コガレ君」


 コガレはこれ以上ないくらいに眉間に皺を寄せた。

 ……ゆっくりと階段を降り、自分に近づいてきたのは、アオイという同期の青年だったのだ。彼は決して《闇の方》を裏切らない、従順な犬だった。二人で話したことはない。


「また随分派手にやられたね」


「……」


「そう睨まないで。心配してたんだよ」


 子ども特有の残酷さがそのまま残る笑顔を向けられる。その好奇心は、人をも殺してしまう。


「こんなところに何の御用で」


 コガレができるだけ冷静を装って、口端をつり上げると、アオイは「どうしよっかな」ともったいぶった。


「ビドの長が魔を狙ってる。あの地域は情報が薄いからね。フォグ=ウェイヴ様もつい昨日知ったんだ」


「そりゃあ大変なことで。まあ、こんなところで拘束されてる俺には関係ねえな」


「コガレ君。君が《闇の方》を裏切ろうとしてるって噂は仲間内で結構広まってるよ。口は慎むべきだと思うけど」


「広まったからなんだ。どうせあの人は俺を殺せない」


「抱き枕の代わりなんていくらでも見つかる」


「さあ、どうかな」


 殺してほしい……そう、喚いた頃が懐かしかった。今はそれさえも生きる術にしているのだから。


「僕が考えている君について話そうか」


 無邪気な顔でアオイが言った。止める暇もなく、彼は続けた。


「あの日、師範を匿ったのはコガレ君だと思ってる。ビャクとサフランも関わってた。本当はザイルを殺す計画だったんだろう? それが、何の間違いか、憑代はクロノ師範に」


 《闇の方》の数多いる部下の中で、クロノからの師事を受けたのは、コガレとビャクとサフラン、そしてアオイだった。人一倍勘が鋭いし、自分達が……特にサフランが、クロノを誰よりも慕っていたことも知っている。


「逃亡を、助けたんだね?」


「……」


「全てお見通し」


 にやあ、と笑ってアオイはコガレの顎に手を掛けた。抵抗しようにも、手足が拘束されており、思うように動けない。


「でも良かった、君が師範を殺さなくて。君は冷たい人間だと思ってたけど、案外情に厚いんだね」


「……」


「僕は君と違ってフォグ=ウェイヴ様を裏切らない。あの人の存在こそ絶対。……だって、美しいから」


 だから、とアオイは続ける。


「君と、手を組みたい」


「あ?」


 思考が間に合わず、コガレは今まで閉ざしていた口を小さく開けた。


「ね、最初に言ったよね? 今、ビドの長が魔を狙ってるって。王国が大好きなコガレ君、止めなくていいの?」


「王国が大好きなわけじゃない。面倒事をこれ以上増やしたくないだけだ」


 ビドの長を止めたい。二人とも、今回だけは目的が一致していた。そこでアオイは、自分と手を組むことを考えたのだ。


「気になることが一つ」


「何」


 コガレが尋ねると、わざとらしくアオイは腕を組み直し、溜息をついた。


「ツテシフの王室の名誉を傷つける」


「お前口先だけ同情してるみたいだけど、内心どうでもいいと思ってんだろ。もったいぶらずに早く言え」


「十三年前、ツテシフ王室の長男が悪魔に喰われたらしい。そのまま殺されて、歴史の闇に沈んだ。事件は王室の一部だけでもみ消されてる。もちろん、師範のなかにいる魔と同じものだとは考えにくいけど、参考にはなるかもね」


「一体どこで仕入れたんだ?」


「今、師範と一緒にいる子。その身の上が気になったもので」


***


「クロノさんっ……ちょ、待ってください!」


 大声を上げたあと、体制が崩れて「ひっ」と小さい悲鳴が喉から飛び出した。


 幅が肩幅もない崖っぷちを歩いている。左側は奈落だ。そこには暗闇が広がっていた。


 どうしてこんなことになっているのか――。


 それは、昨晩のことである。


 クロノとそらは一枚の地図と睨めっこしていた。既に月は傾き、気温が下がるなか、焚き火で何とか寒さをしのいでいる。


 二人は次の町、ビドの手前で歩みを止めていた。


「避けるべきだな」


「はあ……」


「この道を通る。それ以外方法はない」


 ビドの噂はそらもよく聞いている。近づかないのが得策だろう。頷き、案を出した。


「ツテシフに行くんだったらこっちの方が早くないですか」


 指で地図をなぞると、露骨に嫌な顔をされた。


「馬鹿。いくつ山を登れば気が済む」


「え、これ、山?」


「山!」


「……地図が悪いんじゃないですか?」


 ……やはりあのとき、山道を選べばよかったと思う。地図が悪いんじゃない。クロノが全て悪い。


 前をゆくクロノの背を睨みながら、ひたすら追いかけた。気を抜くとすぐに置いていかれてしまう。ふと、足元を見た。恐怖で両足が震える。気が狂いそうだ。


「待ってくださいっ、お願い、待って!」


 そらが涙声で必死に訴えると、クロノは歩調を緩めながら、「絶対に止まるなよ」と注意した。

 クロノがゆっくりと進んでいる間に、できるだけ足を動かす。一歩、二歩、と数えるように踏み出せば、頭の一部が麻痺してしまったかのように他事は考えられなくなった。


「最悪……っ」


 ようやく追いつき、クロノの背中にしがみついた。


「あと半分だ。もう少し頑張れよ」


「うう……」


 足が止まりそうになる気配を感じたのだろう。ふと思いついたように、


「歌えよ」

 とクロノは言った。


「え?」


「いつもみたいに歌えよ。明るい曲がいいな」


 この人はどれだけ自分を困らせるつもりか。

 そらは顔を顰めて、無理ですよ、とやはり震えた声で答えた。目眩がする。


 このまま気を失ったら、この奈落の底まで沈んでいくのだろう。


 しばらくそらの声を待った後、

「じゃあ、俺が歌う」

 とクロノはぽつりと言った。


 そしてゆったりとしたメロディが流れてきたのだ。


 そらは目を見開いた。彼にもこんな一面があったのかと、素で驚いた。

 歌声は低く、優しい。不器用だが愛情があった。自然と足が進んでいた。


 木の宿で聞いた曲だ。酒場で男達が口ずさんでいた詞。ギターを片手に、情熱的に歌っていた。


 しかしクロノが歌うと、とても穏やかに聞こえる。

 その歌は暫くして止んだ。


「よく覚えましたね」


「あいつらこの曲を四五回歌ったぜ」


「もう一回」


「ばか、お前も歌えよ」


 そう言って、クロノはまた同じ曲を歌いだす。そらの口からも自然に明るい歌声が零れていた。


《雨の中を駆けるときは

 決して振り返ってはいけない

 暗闇を恐れるな 顔を上げて

 きっとその先には

 あなたの歌声が待っているから》



次回【第五章】赤い影(四)は 明日 2017年5月2日23時 投稿予定です。


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