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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第一部】王国逃亡
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【第五章】赤い影(二)

 はっとしてセキは警備員を止めにかかった。


「やめろ!」


「放せっ! やっと、やっとこいつらに勝てるんだ。最強だか何だか知らねえが、俺より上にいた奴をこんな風に殴れるなんて! ははは、気持ちがいいや!」


「やめろ! 落ち着けって」


 彼を後ろから押さえようとして、弾き飛ばされた。ドンッ、と冷たい煉瓦にぶつかる。


「当然の、報いだっ……」


 息を切らしながら、尚も攻撃をやめない。このままではあの男は死んでしまうだろう。

 セキはもう一度立ち上がった。


 そのとき、声がかかった。


「何をしている!」


 軽く地面を蹴る音が近づいてくる。

 セキと警備員はびくりと肩を震わせた。


 銀色の長い髪。少しの乱れもない服装。そして端正な顔立ち。

 城内でもその人気は圧倒的である、大臣のエレミスだった。


 彼はすぐ事情を悟ったようだった。


「……ああ、クロノのところの。あいつも面倒事を残していった」


 感情のない声は冷たく聞こえた。立ち上がって姿勢を正す警備員に彼は言う。


「ご苦労。あとの処分は私が引き受ける」


「はっ……」


 警備員が立ち去った後、エレミスはゆっくりとセキの方へ向き直った。


「お前はこの男と?」


「い、いや……今、倒れてたから」


「そうか。じゃあもう、こいつは連れて行ってもいいな?」


 そう言って、乱暴に男を立たせるエレミスに、セキは掴みかかった。


「待てよ! こいつ、怪我して……」


「王国に逆らった。当然の報いだろう?」


「でもっ……」


 夕日が照らすなか、二人は暫く睨みあった。


 エレミスの美しい金色の瞳は王家の血筋のものだ。


 怖い。それでも俺は納得できない。


 なあ? 俺は、クロノって奴が王国を壊そうとした極悪人だって聞いてたんだ。

 でもあの時自分が会ったあいつは、そんな風には、とてもじゃないけど思えなかった。


 本当は王国が何かを隠してるんじゃないのか?


 俺は何を信じればいい?


 エレミスは困ったように視線を男に移した。


「……曲がりすぎると道を誤り、真っ直ぐすぎると、人からこんな仕打ちを受ける」


「え……?」


 赤がエレミスの横顔を照らす。茫然としてセキが見つめていると、彼は再び視線をこちらに向けてきた。

 表情が崩れ、ほっとしたような、少し困っているような、そんな笑みがエレミスの顔に浮かぶ。


「曲がってるふりをするんだよ」


 ひどく優しげな声で、彼は続けた。


「せっかくうまい具合に有耶無耶にしてやろうと思ったのに」


「あの……」


「クロノに会ったそうだな。それから毎日熱心に鍛錬していると。奴に負けたことだけが理由じゃあるまい」


 恥ずかしくて頬が染まった。この人は自分のことを知っているらしい。きっと詳細も聞いているのだろう。どうしていいか分からず、ただ「あ、ああ……」とセキは呻いた。


「あいつも真っ直ぐな奴だった。ただあの時は真剣に教え子を守りたかったんだと思う」


「あのとき?」


 セキが首を傾げると、エレミスは伝わらないことにもどかしさを感じているようで、唇を噛み締めた。

 声を潜める。


「クロノの名誉のために言っておくが……まあ、あいつは名誉なんてもの、くず紙と一緒に捨てちまうような人間だが、俺がそんなことは許さない。あいつは教え子を守るためにあの場に居合わせただけだ。魔を持ち出したのはクロノじゃない。運が悪かった、それだけだ」


 誰かに話したかったのだろう。クロノは良い奴だ、と繰り返し言った。


「だがな、今は待て、セキ」


 自分の名を呼ばれ、どきりとする。エレミスの迫力に自身は声も出ない。

 しかし、クロノの存在が自分の内でしっかり形を成し、もやもやとした誤解が消えていく。


 そうか、やっぱりあいつは悪くないのか。


 すとんと落ちていく。嬉しくなった。


 セキはようやく言葉を発した。


「でも、早く助けに……」


 言い終わらぬうちに頭を叩かれる。


「馬鹿か。明日にはお前もこうなる」


 ぼろぼろにされた男に目を向け、エレミスは顔を顰めた。


「クロノは放っておいてもそうそうくたばらないが、お前みたいな馬鹿が増えるのは困る。時を待て。それだけは言っておく」


「あんたは?」


「俺はお前と違って高位の責任者だからな。身勝手な行動は民のためにも出来ない」


 それに、能ある鷹は爪を隠すってな。

 そう笑って、エレミスは男を抱え上げ去っていった。


 セキはただ、その背中を見つめた。


 今まで感じたことがないほどの熱い思いで胸がいっぱいになった。

 人に真剣な瞳で語ってもらった。人に笑いかけてもらった。


 先日まで「死んでも仕方がない」と思っていた自分は今、此処にいる。


 この世界で、自分に何ができるだろう。自分は何を守れるだろうか。

 セキは大きく息を吸い込んだ。


 *


 アンデの町は他の町と比べて広い。


 店が立ち並ぶ市場を抜けると、細い道が張り巡らされた住宅街に出る。市場の明るさとは打って変わり、夕方のこの道は人気が少ない。マキバ達が向かった図書館は、そのさらに南の、静かな場所にあった。


(まだ本探してんのかな……)


 昼までには戻る、と言っていた筈だ。

 何かあったのかもしれない、と一抹の不安に駆られ、リトは駆け足で路地を抜けた。


 落ち葉で覆われた地面は、どこが正しい道なのかも定かではない。ざくざくと音を立てながら進んでいく。暫くして、リトは足を止めた。


「マキバ」


 見知った後姿に声をかけると、彼はびくりと肩を震わせた。振り向く。


「お前、何でここに」


 鋭い光をその瞳に宿していた。あんなにも明るかった彼が、今は殺気立っている。


「昼までに帰るって言ったのはあんたでしょう。何かあったの。ユーリは?」


「……」


 短く舌打ちをして、マキバが歩き出す。それだけで、ユーリに何かあったのだと分かるには十分だった。


「とにかくここは拙い。後ろの奴、撒くぞ」


 マキバが声を潜める。振り返ろうとすると、手首をぐいと引かれた。


「絶対振り返んな。気づいてないふりをしろ」


「え?」


 リトの手を引いたまま、マキバが早足で歩き出す。


 リトは小走りになっていた。後ろの誰かを刺激しないよう、出来るだけ自然に、その場を立ち去る。

 マキバは無言のまま細い住宅街を進んでいき、何度も何度も道を曲がった。そして、遂に開けた場所へと辿り着いた。


 田畑に囲まれた小道を目で辿っていくと、向こう側に市場が見えた。そこにはリトの知っている温かい明かりが幾つも灯り始めている。やっと帰ってきたのだと思った。


 相変わらずマキバはじっと眉間に皺を寄せたまま、何やら考えている。リトは一度も後ろを振り返らなかった。


 リトは一瞬、自分の知らない空間に放り出されたような感覚に襲われた。

 自分は今、どこにいるんだ?


 見慣れているはずの夕日が、どこか奇妙な赤みを帯びている。ペンキで塗りつぶしたような赤。血の赤。


 怖い。


 どこか不安な気持ちのまま、やっと小道を半分ほど過ぎたころ、不意にマキバは立ち止った。


「市場、見えるだろ」


「うん」


「一本道だから」


 次の瞬間、マキバは大声で「走れ!」と怒鳴り、リトの背中を押した。初めて振り返った。マキバの後ろに見える人影。

 はっきりとその姿を見た。曲がった背骨。長く白い髭。頭から布を被っており、表情はよく見えない。老人。


「マキバッ……」


 一瞬だけ、老人の顔が見えた。ぞっとするような寒気を感じた。薄気味悪い笑み。


 次の瞬間、マキバがリトを守るように後ろに追いやり、そして、小さく呻いた。彼の腕から血が流れていた。


 もう一度マキバが怒鳴る。走れ、と地面を震わせる低い声で。


「でも……」


「邪魔なんだよっ!」


 びくりと肩を震わせて、リトは走り出した。これ以上マキバに庇ってもらう訳にはいかない。

 本当は、怖かったのかもしれない。


 先程まで「あと少し」と思っていた道のりが随分長く感じた。どれだけ走っても、市場の明かりは近くならない。空が暗くなり、ぼんやりと市場の明かりだけが浮かび上がった。


 苦しい。息が出来ない。痛いほどに喉が乾いた。



次回【第五章】赤い影(三)は 明日2017年5月1日23時 投稿予定です。


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