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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第一部】王国逃亡
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【番外編】ゆめうつつの兎(後編)

 頬が熱く濡れた。

 ウサの涙なのか己の涙なのか分からないまま、小さく喘ぎながらも必死に声を絞り出す。


「馬鹿ウサ……何でお前は」


 最後に会ったのはいつのことだ?

 あれからちょっとしか経っていないはずなのに、ひどく懐かしい気がした。


 同時に、ひどく悲しい気持ちに押し潰されそうになる。


「ごめんなさい……師範、本当に、ごめんなさい……っ」


 思いつく限りの文句をぶつける。


 何故死んだ。

 何故助けた。


 何故いなくなった!


 最後に思い切り咳き込んだ。臓器のどこかが鋭い痛みをもって軋む。


 見上げると、ウサが切なく笑っていた。


「変わりませんよね……。もう叱られることもないのだと、そう思うと寂しいです」


「ウサ?」


「せっかくそらが治してくれた傷が開きます。もう何も言わないで」


「もう俺は……」


 言葉が続かない。

 なあ、ウサ。もう終わらせてもいいか。これ以上進み続けたら、いつか壊れる。


「クロノさん……本当にいいんですか。それで、いいんですか?」


 自分の気持ちを悟ったのか、ウサが真剣な目を向けてきた。

 とても悲しそうな色をその瞳に帯びている。


 分からない。本当に、分からないんだ。


 生き続けたとして、どこへ向かっていけばいいんだ?

 首を横に振る。それは戸惑いの意。


 自分はきっと、周りの人間を不幸にしていく。あいつだって……。


「もう終わらせてえんだよ……」


 自分はもう十分、たくさん、傷つけ殺したから。

 そろそろ自分の番が来てもいいんだ。


 そんな弱気な気持ちになる。


「クロノさんっ……」


 崖の上から、再び突き抜けるような声が聞こえた。間違いなく自分を呼んでいるその声は、かすかに泣いているように聞こえる。


 不意にウサが動いた。


 クロノの頬を抓ろうと伸ばした手。それは触れることなく、体を突き抜けた。


「え……」


 時間が迫ってきている。クロノは地面に手を突き、渾身の力で上半身を起き上らせた。慌てるウサにそのままよろけた体をぶつける。そこにはまだぬくもりがあって、しっかりと受け止めてくれた。


「十分、元気じゃないですか」


「今動かなくちゃ、本当に後悔しそうだったんだよ……」


「後悔、ね……」



 自分を痛い程に抱きしめてくるクロノの腕。

 生きていた頃も、今も、ずっと待ち焦がれていた瞬間だった。


 まだ傍にいたい……。

 震える手を、クロノの背中に回して、恐る恐るその肩に顔を埋めた。彼の肩もまた、震えていた。


「……泣いてるんですか?」


「何で驚くんだよ……」


「クロノ師範の血は青色だと、ずっと、そう信じていたものですから」


「……」


 なんと答えればいいのか迷い、困っている。そんな一面でさえ愛しいと思う。


 ねえ、クロノさん。最後に一つ、一つだけ聞いてもいいですか。きっとあなたは優しいから、俺の欲しい言葉を--答えをくれる。


「そらの声を聞いたから、生きることを選んだんですか。それとも……」


 ここまで言ったくせに、これ以上は続かなかった。苦しい。そらになりたい。生きていることがどれだけ尊いことか、死んでから初めて気づくんだ。


 自分は傍にいることさえできない……。


 黙っているウサの頭を、クロノの大きな手が包み込む。


「ウサ。今俺は、生きようとか、そんなことは少しも考えてなかったんだ。……言っただろうが、絶対後悔するって。お前をこのままいかせるなんてこと、死んでもしない」


「う、嘘だ……」


「馬鹿。嘘ついてどうする……」


 ゆっくりと消えていく。体も、意識も、全て消えていく。もう二度と会えないかもしれない。


 本当はずっと背中を追っていきたかった。

 大好きだった。苦しい程、愛してた。そして、愛されたかった。


「手紙、頼みますね」


「まだ死ぬなってか……。お前こそ鬼だよ」


 一層抱きしめる力が強くなる。しかし、ここに自分を留めておく術など彼が知るはずもなく。


「いくなっ……」


 苦しげな声が耳元で低く、心地良い重さで響く。きっとこの言葉を抱いて自分は輪廻を廻り続ける。絶対に忘れない。それは悲しい記憶じゃなくて……。


 大好きな人に出会えたことに対する喜び。


 たとえ叶うことのない思いだったとしても。


「     。」


「え……クロノさん」


 消える。全て、消えていく。

 最後にもらった思いは此処に。


--ありがとう……。


 *


「そらっ、おい、そらっ!」


 肩を乱暴に揺すぶられて、そらは目を覚ました。


 ……夢を見ていたのだろうか。


 クロノの青ざめた顔が間近に見える。

 ひどく心配をしていたようで、そらが意識を取り戻したと分かると、その場にへなへなと腰を下ろした。


「馬鹿……あんまり心配かけんな」


「ごめんなさい……」


 思い出した。

 朝方、まだ日が昇らない時刻に木の宿を出たのは良いが、足下が見えず、さらには寝ぼけながら歩いていたので、崖から足を踏み外したのだった。 

 落ちる寸前に見えた、クロノが青ざめた顔。そら、と叫び、ぐっと引き寄せられた。そのまま頭を守るように抱えられ、ぐらりと視界が揺れ、それから……。


 ひんやりとした地面に寝かされていた。

 木々の間から澄み切った青空が見える。晴天。これがどれだけ尊いことか……。


 クロノがもたれかかっている崖は高さが三メートル程ある。そこから転落したのだとするとやはり只事ではなかったようだ。

 しかし自分に大きな怪我はない。それは落ちた時にクロノが庇ってくれたからだと思う。


 心配になってそらは寝返りをうち、クロノの頭からつま先までじっと見つめていった。


「何」


 怪訝そうに眉を寄せ、クロノが尋ねる。

 答えようとして開いた口からは、言葉が出てこなかった。その代り、じわりと目元が熱くなって、次の瞬間、涙が零れた。


 真顔のまま涙だけをぼろぼろと零していくそらに驚いたのだろう。


「どっか痛いのか?」


 そらは首を横に振った。

 

「クロノさん……足、腫れてます」


 やっとの思いで出した声はひどく掠れていた。しかしクロノはそらを責めるでもなく、怒るでもなく、ただ「ああ」と思い出したように呟き、


「これ、どうすりゃいいんだ?」


 と暢気なことを言う。


 そらは思わず「何やってんですか」とと悪態をつき、泣き止まないまま、冷やさないと、と起き上がった。

 湧き水が流れているところへクロノを連れていき、彼の足首をさらす。


 その間にもぐずぐずと鼻を啜っている。クロノは困ったような呆れたような笑みを浮かべて、


「ったく、泣きながら怒るな」

 とそらに手を伸ばしてきた。


「え……」


 頭を抱かれ、息が止まる。かすかに彼の心臓の音が聞こえてきた。そのままぐいと引き寄せながら、クロノは地面に横たわり、ふぅと長く息を吐く。


「な、なに」


「安静。お前がいなかった間、まともに眠れてねえんだよ。崖を登るのは、また明日な」


「ちょっと、俺は抱き枕じゃないんですから」


「……」


 あ、と思ってそらが顔を上げると、案の定既にクロノは眠っていた。いつもそらよりも早く起き、遅くに寝ていた彼だったから寝顔をこんなにはっきりと見たのは初めてである。


(疲れてたのか……?)


 ぽかんとしている場合ではない。早く薬草を煎じて……。


 でも、もう少しここにいてもいいだろうか。

 

 先程見た夢をもう一度思い出す。

 じっと、二度と忘れぬよう、記憶に刻む。 


 ……人は、もう二度と出会うことのない者との別れを、どのような気持ちで受け止めなければならないのだろう。

 クロノは、どうやって受け止めたのだろう。


(一言も、言わなかったな……)


 当たり前か。話してもどうにもならないことを、誰よりも知っている。

 だからこんなに不安で、苦しくて、情けなくなる。自分は彼に何ができるだろう。


 ウサとクロノ。二人の思いをそっと胸に収めた。忘れない。クロノが死んでも、世界中で一人きりになっても、最期の瞬間まで、二人が苦しんだこと、きっと忘れない。


--全てを背負って歩いていくんだ。


 そんなあなたを、俺は守っていくから。絶対壊したりなんかしないから。


「頼むよ、そら」


 ウサの声が遠く優しく響いた。

 今はただ、祈り続ける。




次回【第五章】赤い影(一)は 明日2017年4月30日23時 投稿予定です。


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