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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第一部】王国逃亡
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【番外編】ゆめうつつの兎(前編)

 水の中に沈んでいく。


 息ができない。必死にもがくが、高い場所から落ちた衝撃で身体はさらに水底に沈んでいった。


(また、奴が来る)


(次に目覚めたときは)


(もう、俺じゃないかもしれない……)


 ゆっくりと目を開けると、ずっと遠くに水面があった。自分はこの世界で独りだった。


 再び目を閉じて、今度は水の流れに身を任せてみた。


(まずい……そら、ごめん……)


 目を覚ました時には既に川岸に打ち上げられていた。

 怪我を負った少女を背負い、アンデの町に向かっていた。しかし途中で誰かに襲われた。


 ……あの子はっ……。


 はっとして、クロノは「やめろっ」と叫んだ。

 気を失っている間、そして今も、体を支配していたのは魔だった。


 腕に力を込めて、川から這い上がろうとする自分を止める。

 己の意志とは無関係に、体が勝手に動き、生きようとしていた。


 行かせてたまるものか。


 ここで負ければ一生戻れなくなる。

 そんなことは絶対に許さない。


「……は……は……」


 必死に岩にへばりついている自分を、溺れているのだと勘違いしたのだろう。


「大丈夫かい、そこの兄ちゃん!」


 と声をかける者がいた。何人かの足音がこちらに近づいてくる。


「来るな!」

 水中から顔を上げ、叫んだ。既にこの手はガタガタと震えながら刀の柄を握りしめていたのだ。


「親分、何か言ってますぜ」


「構わん。荷物を奪うついでに助けてやれ」


 山賊だ。周りを取り囲んで、こちらの様子をじっと窺っている。


「ころ、せ……」


 うわごとのように「殺せ」と何度も呟くクロノを見て、彼らは気味悪く思ったのだろう。


「こいつ、おかしいですぜ……目ん玉真っ赤だし。親分、荷物だけ取って逃げましょう?」

 と言い、クロノの肩を乱暴に掴む。


 水面に映った自分の顔を見て、クロノは息を呑んだ。


(目が……赤い?)


--やめろ!


 そう叫んで顔を上げた時にはもう時既に遅く、悪魔に浸食された手は鯉口を切っていた。




 水の流れる音に包まれながら、再びクロノは目を覚ました。耳元で水が石とぶつかっては心地良い音を立て、自身の意識が近くなっては遠くなり、遠くなってはまた戻ってくる。


 全身が冷え切ると同時に、悪いものに浸食された体は浄化されていく。


 このまま、死ねばいい。

 自分が自分であるうちに。


 周辺は闇に包まれ、今が日没なのか、夜明けなのか、それさえ分からない。


 一体自分は、どこでどうなって、どれくらい気を失っていたのだろう。

 今ここにいるのは本当に自分なのだろうか。


 なんとか、山賊たちは逃がした。

 しかし怖い。


 体が動かない。浅瀬に打ち上げられ、そのまま死ぬこともできず、まだ息をしている。


 でもあと少しの辛抱であった。

 このまま、ゆっくりと逝けたら。


(……まさかな。そんなこと……)


 クロノは自嘲気味に笑った。楽に死ねるわけがない。もうそろそろ呼吸が辛くなってくる頃だ。

 ゆっくり、ゆっくり、苦しみながら死んでいくんだ。


(これが罪の重さか……)


 そらに来てほしい。傍に来て、手を握っていて欲しい。眠りにつくまででいい。それなら、耐えてみせるから。

 自分であることを確かめながら、ちゃんと、全部受け入れるから。


 そんなことを考えていると、崖の上、遠くからそらの大声が聞こえてきた。


「クロノさん--」


 自分を探しに来たようだった。


 しかし、きっとここを見つけることはできないだろう。


 オレンジ色の空が見える。

 鳥達が、一斉に飛び立っていく。


 自分も、あんな風に自由になれたら。


 そして先程までの切実な願いは叶わないことに気付く。……少し、贅沢過ぎる願いだったのかもしれない。


「っ……」


 黙っていた手が不意に、再び刀を握り、震えだした。


(まさか……そらを?)


 一気にここで死なねばならないという思いにとらわれた。きっとそらは、自分を殺せないだろうから。


「だっ……」


 駄目だ。行ってはいけない。


「う……そらァッ……」


 逃げろ。

 俺の手の届かないところまで。


 そら……。


 握りしめた刀を自分の首元に持っていく。逃げようとした右手を左手で支え、自身に近づけた。

 刃が皮膚に触れ、地面にぽたりと朱が落ちる。


 いけるか。

 馬鹿。いけなくてどうする。


 大丈夫。一瞬だ。


(ごめんな、そら……)


 約束、守れなかったな。本当に、ごめん。


 ガタガタと、死を拒むように全身が震える。暴れる足をまず切り落としてやろうかと思い始めた時、不意に耳元で懐かしい声がした。


(ウサ……)


 まさか。幻聴まで聞こえ始めたというのか。


「あ……く、そ……」


「動かないで」


 クロノは大きく目を見開いた。

 今、確かに。


「ウサ……」


 ぼろぼろと涙が頬を伝っていくのを感じる。

 悲しいのか、嬉しいのか。苦しいのか、心地いいのか。


 ここはどこなんだ?

 俺は、今--。


「大丈夫。大丈夫ですよ」


 右手に掛けられる指。それは確かな温もりをもって、クロノに触れる。


「落ち着いてください。まだあなたは負けてなんかいない。……ほら、ちゃんと、俺の温度分かるでしょ?」


「……ああ……」


 刀が地面に転がった。

 そのまま自身も力なく横に倒れる。一気に力が抜けて、動くこともできない。息をすると肋骨の辺りが鋭く痛んだ。頭がくらくらとしていた。


「崖からダイブして、その下で暴走して……おまけに何時間も冷たい水の中に。本当にもう駄目かと思った……」


「今まで……どこに」


 久しぶりに見たウサの顔は泣いていた。クロノの頬を両手で包み、額を寄せる。


「やっと、会えた……」


次回【番外編】ゆめうつつの兎(二)は 今日2017年4月29日23時 投稿予定です。

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