【第四章】思い(四)
茂みの中から外の様子を窺っていた。
話しているのはそらと……クロノという逃亡者か。広告で見る限り、彼は極悪人のような扱いを受けていたが、どうやら間違いだったらしい。
大蛇に襲われた時、咄嗟にそらを腕に抱え込み、守るようにして刀を振るった。
マキバもにおいで気づいたが、あの液体には悪いものが入っている。
(一応、大事にはされてんだ……)
そらにとって苦しい旅でしかないと勝手に思っていた。
「俺も参戦すっか……」
呟いて、腰を上げると、ユーリが腕を引いた。
「待って。……そらが動くみたい」
真剣な顔をしている。こういう時のユーリには逆らわない方がいいし、その通りにして失敗した例がない。
ユーリの言葉通りすぐに状況が変わった。
「行けっ!」
というクロノの合図で、そらがこちらに飛び込んできたのだ。
暗闇がそらの姿を隠す。それと同時にマキバは近くにあった石を遠くへ投げた。一瞬こちらを見た大蛇だったが、すぐに音のした方へ突っ込んでいく。
冷や汗がどっと噴き出してきた。
「そら、大丈夫か」
そらは一度茂みの中に倒れ込んだが、すぐに顔を上げ、笑顔を見せた。
クロノと再会できてほっとしたのだろうか。この数日間の中で一番明るい笑顔だった。
「マキバッ、ありがとう! 皆、何か燃えるものを……っ」
「燃えるもの……あっ、そっか、蛇は煙が苦手だから!」
リトが慌てて奥に駆け出す。ユーリもその後を追っていった。
すぐに二人の姿は見えなくなったが、マキバはその場に残った。
「煙で本当に撃退できんのかよ……」
それならば参戦したほうがいいのではないか。そう伝えた。
するとそらは荷物の中から、既に粉状にすり潰してある薬を三、四包み取り出して見せ、
「この薬を混ぜれば絶対に成功する!」
と悪い笑みを浮かべた。
「はあ?」
「耳貸して」
「……」
そらの企みを聞き、マキバは驚くと同時に楽しくなった。そらの意外な一面を見た気がした。
なかなか面白そうな計画だ。
「くくっ……そらって案外刺激的だな」
「平和主義なの。それに、人間に効く量じゃないからセーフ」
「でもデッドボールだぜ」
「いいよ。人を散々心配させておいてさ」
不貞腐れたようにそらが呟く。
さあ、クロノが……いや、大蛇がどうなるか。
戻ってきたリトとユーリは沢山の乾いた落ち葉や枝を抱えていた。それに火を点けようと、そらが火打石を叩く。
かつっ、かつっ……。
向こうではクロノが必死に大蛇と戦っている。しかしもうそろそろ限界だ。
気持ちばかりが焦っていく。
(こいつらの力になりてえな……)
「頑張れ、頑張れ」と小声で応援するユーリとリト。真剣な表情でできるだけ音を立てぬよう、火打石を擦り続けるそら。
マキバは目を細めた。
そっと落ち葉の上に手を翳す。
(もしも正体がばれたら……)
この三人は友でいてくれるだろうか。
ユーリは……? ばれたら拙い。本当に、拙い。それでも、今は力になりたいと願う。
次の瞬間、ボッという乾いた音がして、落ち葉が燃え上がった。
「!」
火の粉がぶわっと天に舞い上がる。
「マキバ?」
そらが驚いたような視線をこちらにむけ、何か言おうとしたが、ユーリの声に遮られた。
「すごい、自然発火?」
そんなわけないだろう。でも、ユーリのその大雑把なところに救われた。
「いいから、早く薬」
「よっし!」
嬉々とした表情で、そらは紙包みを炎の中に投げ入れた。
「仲間を逃がすとは自己犠牲的な人間じゃの。いなとよく似ておる……」
女は楽しそうにカラカラと笑った。それも今のうちだけだぜ、と聞き流す。
クロノはひたすら目の前に現れる大蛇の胴体を切り裂いていった。黒い液に触れないように動くとどうしても反応しづらい。
(そらは、まだか……っ)
ちらりと背後の草むらに視線をやる。それと同時に、煙が辺りを包んだ。
「なんだ、これは……」
女が声をあげる。
大蛇は目の前で動きを鈍くした。
「反撃開始だな……!」
クロノは口の端を上げた。
月に照らされた影が揺らめく。
再び刀を構えたそのとき、異変に気付いた。何か、違った匂いが混ざっているような……。
大蛇を見て、クロノは息を止めた。
(は……)
先程までこちらを睨みつけていた黄色い瞳が、何故か熱を帯びて……トロンとした瞳でこちらを見つめている。
さっと血の気が引いていった。
その少し向こうにいるそらと目が合う。彼はけろりとした顔で言った。
「大丈夫ですよ。人間には効かない量ですから」
「そういう問題じゃねえっ!」
媚薬。
「だって煙だけじゃ不安でしょ」
「不安なのはお前のその頭だ! 馬鹿野郎!」
クロノがおかしな形で大蛇に絡まれているので呆気にとられながらも、女は指を口に当て呪文を唱え始めた。
しかし、ひゅんっと石が飛んできて、女の邪魔をする。それは頭上の幹に当たって乾いた音を立てた。
「次は本気で狙う」
二つ目の石を掌で小さく投げ、重さを確認している。
そらである。
そういえばあの女もこんな風に強い目をしていた。
――もうそろそろ楽になりなよ。
――あんたがこと姫を許さないのと同じ。
――私もあんたを、絶対に許さないから。
「あき……」
十三年前に死んだ女のことを思い出す。
彼女が、彼女達が、必死になって守ろうとした子どもが目の前にいた。
同じように、自分を睨みつけて。
しかし、終わらせることなどできない。取り返しのつかないほど、この手は汚れた。いなのために最後まで働いてやるのが、私の務め……。
「……?」
「お前の母親の名は、あきづき、といった」
「あき、づき……?」
なあ、あき。お前は本当にこの子を愛していたのか。
心の中で尋ねる。答えはない。
(死者は口を利かず、か……)
本当は生まれてこないでほしいと、そう願った子ではないのか。
(私には、分からない……)
悲しみと憎しみを通すことでしか世界を見ることができなくなってしまったこの汚れた目。それでも、あの女は美しかった。
「……大蛇達があれでは話にならぬ。ろくでもない物を使いおって」
「……」
「私はもう行く。せいぜい歌でも歌って、いなを癒してやるんだな」
鋭い光を瞳に宿してじっと自分を見つめてくるそらに、努めて優しく、笑いかけた。
「……その身が危うくならんことを。私の名は青丹じゃ。お前の仇よ」
そらは警戒心をむき出しにしたままだ。青丹は続けた。
「全てを思い出して、私にかかってくるがいい。次は一思いに殺してやる」
月が雲に隠れ、小雨がちらちらと降り出した。女はアオイを呼ぶと、闇の中に溶けていった。
次回【第四章】思い(五)は 今日2017年4月27日23時 投稿予定です。




