【第四章】思い(二)
そらのリュックには、たくさんの薬草、それを煎じるための道具、包帯、布……と、色々なものが入っていた。
「うわ……小さな鞄に色々入ってんだな」
マキバは少女の方に視線を移した。
彼女はツテシフらしい服装をしていた。
百年前に起こった戦争のせいで、クレアスの民とツテシフの民の仲はとてもじゃないが、良いとはいえなかった。
クレアスの人間が倒れていても無視するこの時代に、ツテシフの人間を助けようなんて普通は思わない。
リトもそらも、偏見を持っていないのか。それとも世間知らずなだけか。
ツテシフの少女の顔には血の気がなく、呼吸も浅い。
そらは先程から真剣に薬草を煎じているので迂闊に質問もできなかったが、きっと拙い状況なのだと思う。
「たぶん、銃で撃たれたんだ……」
木の宿に着いてすぐ、少女の傷を見てそう呟いた彼の顔は真っ青になっていた。
それから彼はほとんど口をきかなくなってしまった。そして今に至る。
どうやら土瓶の中に薬草と水を入れて煮立てているらしい。
彼は囲炉裏の火加減をしきりに気にしていた。
マキバはどうも落ち着くことができず部屋のなかを何度も見回した。
そらを別として三人は、ただ薬ができるのと少女の状況が良くなるのを待つことしかできない。
ユーリはそんな中、静かに目を瞑っていた。何分かに一度目を開け、まだそらが動かないと分かると、再び目を閉じる。
一方、リトは自分と同じく、あまり落ち着かない様子だった。少女の手を握りしめたまま離そうとせず、時々何か語りかけている。
どれくらい経っただろう。とても長い時間に感じられた。
食堂に行けば時計があるが、なんとなく部屋を出られる雰囲気じゃない。この部屋に来てから一度も鐘の音を聞いていないから、まだ一時間は経っていないはずだ。
そらは竹筒に水を入れ、その上にジカンの花弁を浮かべている。その花弁が底についたら、煮立てるのをやめるらしい。あらかじめ計りたい時間に合わせて水の量を調整しているのだとそらは説明した。
マキバは痺れを切らして、そらの隣に置いてある、その竹筒の中を覗いた。
ジカンの花。話で聞いたことはあるが、実際に使っているところを見るのは初めてだった。経験と練習を積んでいないと、こういったことはできないだろう。
花弁はほとんど底に近づいていた。底の一歩手前でゆらゆら揺れている。
それをじっと見つめていると、緊張が解けてきて、どっと疲れが押し寄せてきた。瞼が重い。
自分と同じようにハニも筒の中を覗いている。どこか心配そうな表情にも見えた。不思議なネズミである。
ややあって、そらが竹筒を頻繁に覗き込むようになった。そしてある時点が来ると、素早く土瓶を火から離し、網で濾してから器に注いだ。
パタパタと扇いだり、ふうふうと息を吹きかけたりして急いでそれを冷ます。とにかく一刻も早くこの状況を脱したい、そんな風に焦る気持ちが伝わってきた。
そして、そらは少女を抱き起して、その器を彼女の口元に持っていった。
作った薬を飲ませ、再び少女を寝かせてから、やっとそらは息をつく。
「少しはマシになればいいんだけど」
何せ、この類の怪我を見たことが無い。深手の傷は、薬だけではどうにもならないのだ。
「最悪、歩けなくなる可能性も」
そらはそう言って、悔しそうに唇を噛んだ。
「医者がいれば……」
マキバは思わず呟き、あっ、と思ってそらを見た。
一生懸命やっている彼に対してそれはないと思った。
視線に気づいたそらが、振り返り、弱々しい笑みを浮かべる。
「いいよ。俺もそう思ってたところだ」
すると、布団のなかから少女が細い腕を伸ばした。
「……もういいから、早く、あの人を」
消え入りそうな声でそう言う。
「あの人?」
「……崖から、落ちて……」
「もういいから、喋るな」
「でも、私は……」
もう十分だ、と言おうとする彼女の言葉をそらは遮った。
「絶対大丈夫だから」
その声はかすかに震えていた。
マキバはユーリと顔を見合わせた。
「……そらの連れって誰なんだろうな」
「ねえ、リトは知らない?」
「し、知らない!」
声をうわずらせてリトが答える。
何とか二人の視線から逃げようと、ドアの方を見て、思いがけず彼女はあっと叫んだ。
白衣を身にまとった男が、開かれたドアの前に立っている。
マキバが真っ先に口を開いた。
「あ、あんた……何者だ!」
彼は長い銀髪を細い紙でゆるく結んでおり、ひどく神経質そうな顔をしていた。
彼は眉間に皺を寄せたまま言った。
「そこをどけ。……俺が診る」
*
「でええっ! し、神医っ?」
食堂で酒を飲んでいる男達から先程の白衣の男の話を聞いて、マキバは大声を上げた。
「信じらんねえ……」
「マキバこそ、どうしてそう疑ってかかるのさ。ねえ?」
話を聞いていたユーリが穏やかにリトに同意を求めるが、彼女は首を横に振った。
「悪いけどすっごく胡散臭かったわ!」
「ああ! あんな不健康そうな体をして医者だなんて言われても、説得力ないしな!」
「でも白衣着てたよ?」
「ボロボロのな! ありゃあ白衣かどうかも怪しいもんだぜ」
酷い言いようである。しかし、彼らがそう怒るのには理由があった。
突然やってきた医者はあの後、マキバ達三人を、煩いから出て行けと言って、追い出してしまったのだ。
「あーあ。そら、大丈夫かしら」
部屋にひとり残ったそらが心配だ。
「しかし、あの医者が本物だとはなあ」
まだブツブツ言っているマキバに、酒場の男達がさらに付け足した。
「名前は確か、こうっていったかな。ミナトから遥々来ていたそうだ」
「ミナトォ? 俺の住んでたとこに近いけど、そんな名前は初めて聞いたぜ」
「何だか変わっている医者らしくてな、とにかく治療がしたいそうだ。礼は夕ご飯だけで十分なんだと」
「ゲームみたいな感覚なのかねえ」
階段を下る音が聞こえて、マキバは視線をそちらへ向けた。
そらが駆け足で階段を下りてくる。
「そら! あの子は……」
「無事だよ! こう先生が傷を縫ってくれて……。もう大丈夫だって」
そらは先程のリュックを背負っていた。
「どこに行く気だ、そら!」
「マキバ、もう行っちゃったよ」
「えっ」
見ると、もう既に彼は外に飛び出していて、ネズミがその後を追いかけていくところだった。
「僕たちも行こうか」
ユーリがのんびりと言う。
「行こうかって。俺はともかく、ユーリは夜目も利かないし」
「でも、そら一人じゃ、あんな広い山の中、探せないよ」
「探せないって、あんた」
誰を探しに行くか分かってるのか。
マキバはまじまじとユーリの顔を覗き込んだ。
わかっているよ、とユーリが笑う。
「でも、そらが大事に思ってる人でしょ。そらはあの女の子を助けてくれた。一人だったとしてもそうしたんだろうけど、元はと言えば僕達が無理を言ったんじゃない。次は、僕達がそらの力になろうよ」
マキバの頬が赤く染まる。やや俯きがちに「そうだな」と呟いた。
話を聞いていたリトが慌てた。
「あ、あんた達、クロノさんのこと気づいてたんじゃ」
「あんたこそ下手な嘘つきやがって」
「ふたりとも、早く行こうよ」
「おーっ!!」
ユーリの言葉にマキバとリトは声をそろえて返事した。
次回【第四章】思い(三)は 今日2017年4月26日23時 投稿予定です。




