【第三章】決意、それぞれの道へと(六)
(眠れねえ、いや、寝たら拙い……)
そらがぐっすり眠っているのと同時刻、打って変わって、クロノは眠れぬ夜を過ごしていた。
もしもまた悪魔が現れたら。ひとりになるとそんな恐怖が襲ってくる。
もうすぐ、陽が昇る。
ぼんやりと紫がかった景色の中、クロノは歩き出した。
そらが隣にいると、歩いても歩いても変わらぬ景色がとても新鮮なものに見えた。
場所によって生えている薬草が違うらしく、そらは目新しい薬草を見つけては喜んだ。全く興味のない話ではあったが、彼のうんちく話を聞くのは楽しかった。
(俺一人じゃあ変わんねえな……)
山道は山道だ。同じ道がずっと続いていくようにしか感じられない。
強いて言えば、戦の時にこの場をどう利用すればよいかなど、今の自分にとってはつまらぬことしか頭に浮かんでこなかった。
そのまま歩いていると、やがて前方から大きな銃声が聞こえてきた。
「捕まえたぞ!」
男の太い声。
重たい銃声は、静かな山々に響き渡り、眠っていた鳥達が慌ただしく空高く飛んでいった。
(狩りでもしてんのか?)
クロノは一匹逃げ遅れている鳥を見つけた。
まだ頭が働かないのか、大きくふらつきながら、やっと大空に飛び出していく。
寝ぼけているときのそらと重なり、妙な気持ちになった。
あの鳥が無事、仲間のところに辿り着ければいいのだが。
……彼はちゃんと〝木の宿〟に辿り着けているだろうか。
まあ、寝ぼけてさえいなければしっかりしている彼のことだから、今頃、一生懸命手伝いをして、女将に気に入られてしまっているかもしれない。
それにしても先程の音は何だ。
刀に手をかけ、そのまま用心深く歩いていくと、ずっと先に、数人の男達が何かを囲んでいるのが見えた。
目を凝らすと、ひとりの少女が必死に抵抗している姿が見えた。
周りは……山賊か。
(穏やかじゃねえな……)
クロノは水狩を鼻先まで押し上げた。
「お前ら、ちょっといいか」」
後ろから声をかける。いつでも抜けるように、手は刀に掛けたままだ。
「あ? なんだ、お前」
男たちの言葉に、クロノは布のなかでいやらしい笑みを浮かべた。まさか目の前に賞金首がいるとは夢にも思わないだろう。
「あんまりいただける光景じゃねえな」
そう言ってクロノは刀を抜き、一番手前にいた男に柄を叩き落とした。
「なっ……てめえ! 何しやがる」
「まだ年端もいかねえガキを苛めるなんて、趣味が悪いぜ」
「……っ」
「引け。死にたくないならな」
一人の男がクロノに銃を向ける。
銃先を冷やかに一瞥し、クロノは先に動いた。
相手の懐に潜りこみ、強く腹を打つ。
短く呻いて、男は倒れた。
「次は誰だ。あ?」
「ひっ……」
クロノの瞳が放つ鋭い光を受け、残った男達は怯んだ。
追い打ちをかけるように水狩を下げ、不意ににこりと笑いかける。
「あ……ああ……あう、あ」
鬼でも見たのだろうか。
彼らはおもしろいくらい恐怖して、一目散に逃げていった。
その背中を見送ったあと、クロノはうずくまっている少女に声をかけた。
「大丈夫……そうには見えねえな」
少女は異国の服装をしていた。ツテシフの服がこういう感じだった気がする。
確かに、山賊に目をつけられてもおかしくない。
「お願い……。助けて」
銃弾が当たったのだろう。足の出血が止まっていなかった。
彼女を町まで運んでいくのは簡単だ。問題はその先にあった。
クレアスの民ならともかく、彼女はツテシフの民である。町まで連れて行ったとして、助けてくれる者などいるだろうか。同じ国の人間でさえなかなか助けてもらえない世の中である。
クロノが困って、どうしようかと思案していると、少女が裾を両手で掴んできた。
助けて、と小さな言う。しっかりと目を見開き、真っ直ぐこちらに視線を合わせてくる。その目尻には涙が浮かんでいた。
「まだ死ねないっ、約束したの、必ず戻るって……」
--必ず戻る。
同じ決意をした者の目だった。クロノははっとして、遠くにいるそらのことを思った。
(あいつなら……)
少女は何度も、帰りたいと繰り返す。
彼ならば何とかしてくれるかもしれない。自分の腹の傷を塞いだのだ。
急げば、今夜中にアンデに着くだろう。クロノは少女を背負った。
(迷惑かけるな……そら)
少女は朦朧とした意識のまま、クロノの背に揺らされていた。
日が暮れて、アンデの町が遠く見えてきた頃、クロノは足を止めた。
「……さっきからついてきてるな?」
ふり返ると背の低い女が立っている。長い黒髪が美しい女だ。それはこの世のものではない気がした。そもそもクロノの駆け足に長い間ついてこられたのだ。ただの人ではあるまい。
クロノは一歩後ずさった。彼女の雰囲気に覚えがあったからだ。
(悪魔……)
自分の中にいる存在とよく似ている。女の背後には黒い影。それはどぐろを巻いてクロノを狙っていた。
「いなか……」
「いな?」
「お前の中に入っておる悪魔じゃ。悪いが、クロノ。私はいなに用事がある」
女が言ったその瞬間、彼女の背後から、大蛇が一斉に飛び掛かって来た。
二……いや、三頭!
「っ!」
拙い。
クロノは少女を守るように自分の背後に押しやり、刀を抜いた。
黒い液体が飛び散った。クロノが大蛇の胴体を真っ二つに切ったのだ。
大木の幹のような太さだった。長さは計り知れない。
「お前、何者だっ?」
早口で尋ねる。刀は再び斜めに構えられていた。
言葉を発することがあっても、決して油断はしない。
「答える必要はない。お前はもう、死ぬのだからな」
「さあ、それはどうだか」
クロノは間髪入れず、女に切りかかった。しかし、後ろに控えていた大蛇がその間に割り込み、攻撃を防ぐ。
黒い液体がクロノの腕を濡らした。
「気を付けろよ。それに触れると死ぬかもしれん」
からからと笑う女を睨み、クロノは小刀を抜いた。
しかし。
「っ?」
小刀が手から滑り落ちた。
痛みと共に熱を持った腕が、言うことを聞かない。茫然としていると、長い尾で身体を打たれ、そのまま地面に叩きつけられた。
しかし、ここで止まる訳にもいかなかった。
ぐいと身体を持ち上げ、両手で大刀を持つ。切られる直前、女は笑っていた。
「さすが、いなが選んだ憑代。一筋縄ではいかんなあ」
「てめえっ……」
ふり返った先に黒い大きな口。キッと睨んでそれを切りつけ、地面に転がった。しかし、間髪入れずにぬるりとしたものが、首に、足に、巻き付く。
(逃げられないっ……)
悲しそうな低い声が、耳元で鳴り響く。
--また奴がくる!
同時に、そらの歌声も聞こえてきた。
《月が青い夜 私は夢を見た
湖に映る光に 鏡を沈め
九十三日の夜を待つ》
「この歌……」
女が目を見開いた。悔しそうに叫ぶ。
「またかっ! また邪魔をするのか! こと姫ぇぇっ!」
《今日は祭りの日 秋祭りの日》
そらの声だ。どこからともなく聞こえてくる。
風が、遠く離れた彼の歌をつれてきてくれる。
女が取り乱している隙を見て、立ち上がり……。
「あ……?」
その瞬間、ぐらり、と視界が揺れた。
地面がない。
(そうか、ここ、崖になって……)
細い谷だ。茂みに覆われ、谷を挟んだ向こう側の地面も見えていたから気づけなかった。
「そらっ……」
思わず叫んだ。
【第四章】思い(一)は 今日2017年4月25日 23時 投稿予定です。




