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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第一部】王国逃亡
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【第三章】決意、それぞれの道へと(五)

 リトはあたたかいメロディに触れた。


 その歌声は小さな宿に優しく響いていった。

 どこか切なくて、どこか悲しい。

 しかし、それさえも全て受け入れていくんだと、歌声の主は言う。


 宿は静かな緊張を僅かに残し、明るさに包まれた。

 物音さえ立たない。リトは知らない空間に突然誘われた心地がした。


(どうしてこの人は……)


 リトは息を呑む。


(こんな風に歌えるのだろう……?)


 歌が終わる頃には、赤子は泣き止み笑顔が戻っていた。

 一瞬の心地よい間の後、赤子を泣かせた張本人達が大きく拍手をした。


 彼らはそらの手を取り、嬉しそうに目を輝かせた。


「ありがとう! いや、助かった! 俺はマキバ。こっちはユーリだ!」


「マキバとユーリ……俺はそらです」


「よろしくね、そら」


 ユーリと呼ばれた男は、興奮したマキバとは対照的に穏やかな声だった。


 二人は襟のある白いシャツと、カーキ色のズボンを穿いていた。マキバはその足元の裾を何度か折り返して、足首を見せている。


「な、そら。あんた、どこに住んでるんだ?」


 好奇心旺盛な目で見つめられ、そらがどきりとする。


「えっ、俺?」


「マキバ。いきなりそんなことを聞いたら、そらが吃驚するよ」


「あ……そっか。悪い、つい。俺達、音楽が好きで演奏をしながらクレアス王国を旅してるんだ」


 そらはきょとんとした。

 マキバが続ける。


「俺達と一緒に来ない?」


 *


 ……そして、クロノと別れてから三日が過ぎた。


 深い湖の底。そらは夢を見た。


「お願い……」


 少女の声だ。こちらに何かを訴えかけているように聞こえた。


 ここは苦しい、悲しい、と言う。


 あの人が、愛しい……、と言う。


--探しているものは何?


 尋ねるけど、答えは返ってこない。


「お願い……」


--俺に、何ができる?

--ここはどこ?

--苦しい。

--早く、外に出ようよ。


 少女の声が、突然近くなった。


「お願い。早く、終わらせて」


 *


「っ……」


 はっとして目を覚ますと、木の宿の天井が見えた。首元に手を当て、動機を押さえる。ハニが気付いて、懐に飛び込んできた。


「ハニ……」


 その頭を撫でてやると、気持ち良さそうに尻尾を振る。

 窓からうっすらと月光が差し込み、その丸っこい影が壁に映った。


 先程の少女の声が、まだ生々しく耳に残っていた。


(何だったんだ……?)


 そらは起き上がり、窓を半分ほど開けて、穏やかな風に体を預けた。

 ひんやりと冷たい風が、熱を帯びた額を冷やしていく。


 何を終わらせればいいのか肝心なところを聞かずに目覚めてしまった。

 ひどく悲しい気持ちになっているのは、少女の声が切実に答えを求めていたからかもしれない。自分もまた、彼女と同じである。


 大切なものがあると知っていて、それが何かを知らずにいる不安。

 失ったものがあると知っていて、それが何かを知らずにいる戸惑い。


 忘却はいつだって悲しい。


 それが苦しみであれ、痛みであれ、自分は忘れてはいけなかった。


「なにか……」


 そらは呟いた。


 ハニが心配そうに見上げてくる。

 しかし、そらは窓の外へ視線をやったままだ。


「大切なところに、近づいてる気がするんだ」


 ふっと再び眠気が押し寄せてくる。

 それは大きな波のようにそらを飲み込み、黒く静かな海の底へと導いていった。


 *


 アンデの町へ続く山のなかを二人の少女が走って行く。踏んでいるのは地面ではない。木の枝を伝って走っているのである。


 鮮やかな赤髪の少女が前を走り、ブロンドの髪色をした少女がその後を追いかけていた。


 二人はツテシフから王の使いでクレアスにやってきていた。

 数日前にクレアスの王から書簡を受け取り、今、全速力で帰っているところである。


 二人とも年若い女の身でありながら、実力は確かであった。


 特に赤髪の少女はツテシフの姫に気に入られ、側近としてめざましい出世をしている最中だ。

 彼女の名は、呉羽くれはという。


 ……そして、ブロンドの髪の少女は自分の前を走っている彼女が、憎くて仕方なかった。


 ツテシフの使いとして、この地に二人でやってきた。しかし、誰が決めたという訳でもないのに呉羽が仕切り、クレアス王からの書簡も彼女が持っている。


(また……姫さまに好かれる心算?)


 頭が良く、しっかりしている彼女は確かに自分なんかより魅力的だ。

 しかし興味のない――例えば私のような人間に対しては冷たく、不愛想である。


 とても性格が悪い。


 ああ、嫌だ。


 こんな子がどうして姫に好かれているんだろう。

 まるで彼女が姉であるかのように――、いや、恋人であるかのように、姫は甘える。

 ああ、気持ち悪い。


 私だって代々姫に仕えてきた家系である。

 でも、彼女ほどの信頼を得られないのが悔しい。


 自分と彼女、一体どこが違うんだろう……。


 招宴があるたびに身内から、なぜお前が姫さまの隣じゃないんだ、と嫌味を言われるのが、何よりも辛かった。


 私だって姫さまの信頼を得ようと頑張ってる。

 でも駄目なんだ。彼女がいる限り、私は一生姫の隣に行けない。


 木の上を移動していると下の方から銃声が聞こえた。

 どうやらこの近くで猟をしているらしい。妙に騒がしいから、山賊かもしれない。


 クレアスの民はツテシフの民を憎んでいることが多い。

 それは城に近づけば近づくほど。


 ……ツテシフの民だって彼らが嫌いだ。


 奴らはとても自分勝手で、ツテシフを見下している。


 まあ、今はそんなこと、どうでもいいんだ。


 正式な使いということで、荷物の中にはツテシフの正装が入っていた。

 この飾りのついた服装はさぞ高い値で売れるだろう。


(死んじゃえばいいのに……)


 ほんの出来心だった。もうすぐで姫の誕生日が来る。王位継承だって近い。


「呉羽、待って!」


「何」


「書簡、ちゃんと持ってる? さっき落とさなかった?」


「……?」


 彼女がいぶかしげな表情で取り出したそれを奪い取る。


 そして、次の瞬間、両手で力強く彼女の胸を押していた。


「!」


 バランスを崩した彼女が木の上から落ちていく。


 怖くなって、私は逃げ出した。


次回【第三章】決意、それぞれの道へと(六)は 明日2017年4月25日23時 投稿予定です。

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