【第三章】決意。それぞれの道へと(四)
「ね、クロノさんって、どういう人なの?」
そう尋ねてきた女将の娘--リトを、そらはパンを食べる手を止め、見つめた。
澄んだブラウンの瞳が決してふざけて聞いている訳ではないのだと教えてくれる。
「私の、命の恩人なの」
リトは説明を加えた。
十六年前、町同士の闘争があったとき、身重だった女将を助けたのがクロノだった。それはもう、命懸けで。
「だから、すごく、クロノさんの話を聞いてみたいの」
ああ、クロノさんは。
リトの視線が輝く。きっと母親からその日の話をたくさん聞いて育ったのだろう。
クロノさんは--……。
まだ数日の間しか一緒に過ごしていないのに、たくさん言いたいことが浮かんだ。
背中まで伸ばした黒髪は、いつも一つに束ねている。
時に優しく、時に鋭い光を放つ黒色の瞳。
どこまでも真っ直ぐな光だ。
彼は自分に厳しくて、人にも厳しい。冷たく突き放すときもある。しかし優しかった。優しいから、あえてそう振舞うのだ。
そして……なんと言っても、強い。
ウォックの町でそらを二度、助けた。どちらも敵が多い状態だった筈だ。
しかし、そらは時々不安になる。
あの強さはいつか、彼自身を殺してしまうような気がした。どこか、死に向かって自ら進んでいくような、人間離れした強さだった。
クロノがうなされていた時、言っていた言葉。
――お前は、こっちに来るな。
苦しそうに、確かにそう言っていた。
「そらさん?」
リトに顔を覗き込まれ、そらは我に返った。
「そんなに真剣に考えなくたっていいのよ」
ふわりと笑うリトにつられて笑い、そらはやっとのことで答えた。
「か、かっこいい」
「え?」
「男の俺から見ても、すごくかっこいいんだ。厳しいところもあるけど、それは優しさだから」
リトは満足げに頷き、会ってみたいな、と呟いた。
「会えるよ、絶対」
「怖い?」
「まぁちょっとは怖い顔してるけど、すぐ慣れるよ」
そしてきっと惹かれる。その存在に。自分のように……。
あれ?
そらは首を傾げた。自分はクロノに惹かれているのか?
しかし、その疑問はリトの次の言葉によって消された。
「次はそらさんの話も聞きたい」
そして、そらが置いていたパンを一欠けら千切り、「いただきっ」と己の口の中に入れたのだ。
再び餌をもらいに戻ってきていたハニが隣で抗議の声を上げた。
「こら、リト! 行儀が悪いよ!」
遠くから女将に注意され、リトは肩を竦め、いたずらっ子のように笑った。
「……食べたら、そらさんがどんな人なのか、ちょっとだけ分かると思って」
不思議な少女だ。話していると、どこか落ち着く。
そらも、リトのことをもっと知りたいと思った。彼女ともっと話したい。
「何か分かった?」
「ええ。パンを取られても怒らない、心の広い人なんだね」
「……起こるタイミングが見つからなかったんだ」
「あと、クロノさんが大好き」
二人で声を立てて笑う。
そのとき、先程の赤子が声を上げて泣き始めた。そらとリトが視線を向けると、赤子にちょっかいを出していた若者二人が原因らしかった。
「わ、マキバがつつくから」
「ユーリ、お前だって手ェ触ったろ?」
互いに小突きあう彼らに、赤子の母親は、
「あら、泣かせちゃった?」
と笑った。慣れているのだろう。とても落ち着いていた。
「うるさいでしょ。女将さん、ごめんなさいね」
「いやいや、泣く子は育つ。たくさん泣かせてやったらいいよ」
赤子を腕に抱く母親の姿。
何かを思い出しそうになる。
(何だろう。何か……)
思い出せ。
そう頭では分かっているのに、心がついてきてくれない。
変わってしまうのが怖い。傷つくのが怖い。再び恐怖を味わうのが怖い。
いつだって自分は弱虫だ。
「泣き止まないね」
リトが席を立ち、心配そうに彼らに近づいていった。そらも後に続く。
--決して、もう戻ってきてはいけないよ。
記憶の奥底、誰かが低い声で警鐘を鳴らす。近づいてはならないところに自ら乗り込もうとしている予感。全てが赤子の泣き声と共に脳内で混ざり、色を作る。決して明るい色ではなかった。
でも、優しい色……。
どうか、泣かないでほしい。
ここにはちゃんと、いるんだから。
(……誰が……?)
「そら?」
*
金属の交わる音。
彼らから一度距離を取り、クロノは《濡烏》達と睨みあった。
「お前ら、暗殺部隊だろう? こんなに手間取ってていいのかよ」
薄く笑みを浮かべる。
クロノの周りでは、既に五、六人が倒れている。
前回のメンバーはいないようだ。傷が癒えなかったのかもしれない。
次に向かってきた男と二、三度刃を交える。
衝撃に耐え切れなかった男の剣が宙を舞う。その隙を突いて、クロノはその足元を蹴り上げた。
後ろから二人。
クロノはすぐに振り返り、その攻撃をかわした。逃げ遅れた黒髪が、朝焼けに染まって散っていく。
人数は多いが、焦りはなかった。
クロノは左手で小刀を抜いた。途端に兵達の表情が強張った。
「に、二刀流……」
その中で一人、群の中から飛び出してきた狼がいた。
舞うように地を蹴り上げ、クロノに迫る。鳶色の髪で、吊り上がった目をした男だ。
クロノはその男をきっと睨んだ。
大刀で剣を止められ、男は目を見開く。あ、と思ったときにはもう遅い。クロノの小刀は既に彼のすぐ近くにあった。
「うっ……」
二本の長さが違う理由。それが今にってやっとわかる。
(……いけねえ。考えたら、訳わかんなくなってきちまった)
それを抜きにしても、クロノにとって刀は扱い辛いものである。
刀を振るう一瞬、動きが鈍くなる。剣は相手をその重さで壊すもの。「押し切る」ものだ。しかし、刀は違う。言ってみれば「引き斬る」ものである。
厚さも重さも、今まで自分が使ってきたものとは違う。
(手加減するつもりはないが……)
しようにも出来ない。
倒れた男を飛び越え、クロノはそのまま兵達の中に突っ込んでいった。
《濡烏》のなかでもトップから下っ端まで、大きな力の差がある。幸い、今回は下っ端を集めた部隊がやってきたらしかった。
ようやく朝日が顔を出した頃、既にクロノの周りに立っている者は誰ひとりとしていなかった。
「はは……俺を止めるなんて百年早いっての」
苦笑いを浮かべ、クロノは額の汗を拭った。そのまま、アンデの町の方へ歩き出す。
しかし、その足首をぐいと引っ張る者があった。
「あ?」
先程の狼である。鳶色の髪に鳶色の目。そのじっと睨みつけてくる瞳から悔しさが滲み出ている。
「中途半端なことすんなよ。こっちは初陣だ。負けるなんて……死んだ方がマシだろ」
「殺せって言ってんのか」
「ああ」
これ以上、逃げるために罪を重ねたくない。
そう思って自分は彼らを殺さなかった? ……いや、そうじゃない。
かつての教え子と姿を重ねていたからか。
かっと頭に血が上る。
男の目の前で、土が飛び散った。クロノの刀が地面を貫いたのだ。
「……初陣でも何陣でも、国王でも兵でも、見習い兵でも……命の重さに変わりはねえ」
クロノは低い声で、よく聞けよ、と続けた。
「悔しいなら生き続けろ。それで、次会ったら喉元に噛みついてこいよ。命を拾うってのはそういうことだ」
次回【第三章】決意。それぞれの道へと(五)は 今日2017年4月24日23時 投稿予定です。




