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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第一部】王国逃亡
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【第三章】決意、それぞれの道へと(三)

 初めてクリムソンの林檎の木の苗を見つけたのは、ある夏の日の午後だった。


 同い年のリクはよく色々な場所へ案内してくれた。隣町の市場、いつも村を見守っている山の中、それらはそらにとって失った光を取り戻すきっかけとなった。


 しかし、それ以前の記憶は戻らない。何か大切なことを忘れてしまっているような気がする。大切なものを失った。そんな、何か……。


 見聞きしたことを書き留める日々。全ては自分と、守りたい人達のために。


「そら、何してんだ? 早く来いよ!」


 小石を踏んで渡る小川。きらきらと輝く水面。蟬の鳴く声。青々とした天井……。


 そんな夏の日、そらは出逢った。

 木々の隙間から漏れる光を受けて、一層美しく輝く青緑に。


「これがあの、クリムソンの……」




 そらにそれ以前の記憶がないことを知ると、アンジュはまず、ある老人を訪ねた。彼は薬草に通じていて、どんな病気でもたちまちに治してしまう。そう言われていた。

 彼は頑なに自らの名前を教えなかった。そらは彼のことを先生、と呼んでいた。


 そらの記憶は戻らないままだったが、先生は何か思うところがあったらしい。そらをその日から弟子とし、彼に薬の知識を叩きこんでいった。


「そら。この知識を根絶やしてはいけない。受け継ぎ、正しく使うことができるのは、きっとお前だけだ」


 何百も何千もある薬草の名前を叩きこまれた。時には毒薬の類までその知識は及んだ。


 いつか、先生がクリムソンの林檎の木の話をした時、激しく胸が高鳴るのを感じた。


 とても美しい花を咲かせるらしい。

 根からできる薬は死ぬほど苦い。


 ……花言葉は『最後の願い』。


 普段ならば多少興味が湧いても育てようとは思わない。興味のある植物を全て栽培しようとすると畑がいくらあっても足りないからだ。必要な薬草だけ育てればいい。それが先生とそらの考え方だった。


 しかしクリムソンの林檎の木の苗を偶然山で見つけた時、そらは迷わずそれを手に取った。育てなければならない。いつか、きっと役に立つ時が来る。そう思わずにはいられなかった。


 今になって分かる。この時から、クロノに出会うことが決まっていたのだと。


「お前に教えた知識は全て、毒にも薬にもなる。大切なのは、それをいつ使うかだ。全て正義のために使えとは言わない。しかし、使う時を間違えるな」


 正義のために使ったとは、とてもじゃないけど、言えない。しかし、使う時は間違えなかったと思う。




 いつの間にか陽が昇り、窓からは眩しい朝の光が差し込んでいた。


 〝木の宿〟である。


 二階の奥、小さな一室を借りて、そらは眠っていた。木造のこの宿は、優しい匂いがした。

 布団のなかはぬくぬくで、目を開けるのも億劫である。


(旅の疲れがでたんだな、きっと……)


 いつものことだろう、とクロノにまた嫌味を言われそうな気がしたが、肝心の彼がここにはいない。


 いつまでも布団に抱かれている訳にはいかないので、もぞもぞと起き上がった。支度をして部屋の外に出る。


 昨夜遅くこの宿に到着した彼は、思い切って女将に声をかけた。そしてクロノに、ここで待たせてもらえ、と言われたことを話した。


 女将は「クロノ」という名前が出た瞬間、そらに掴みかかった。


「あんた! クロノと一緒にいたのかい!」


 女将はやはりクロノが追われていることを知っていたらしく、大変心配していたようだ。彼は無事だと話すと、安心したように肩を下ろした。


 クロノは一人ではなかったのだ。


 そらが一階の酒場へ顔を出すと、もうほとんど人はおらず、女将の娘と若い男二人、そして赤子を連れた女と老人がおのおので朝食を取ったり、お喋りをしたりしていた。ここは朝、食堂としても利用されているらしい。


「ああ、来たね。よく眠れたかい?」


「はい。ありがとうございました」


 頭を下げると、女将はいいのいいの、と手を横に振った。特別美人な訳ではない。しかし、ぐっと人を惹きつけるような好印象、魅力が彼女にはある。


「手伝って欲しいんだけど、今、いいかい」


「はい!」


 女将は新しい電灯を二つ持ってきて、そらに渡した。


「切れてるから、替えてほしいんだ」


 梯子を借りて跨るそらに、傍で見ていた女が微笑む。


「やっぱり男手も必要よね」


 聞いていた女将は満足そうに、

「これからしばらくは色々手伝ってもらうよ」

 と言った。そらは笑って頷いた。


 早速電灯を替えていると、女が連れていた赤子に二人の若者が話しかける声が聞こえてきた。


「おー、ちっちゃいの、可愛いな」


「本当。将来、この子はきっと美人さんになるよ」


「女の子?」


「男の子よ!」


「相変わらず大雑把だなあ」


 どこか明るい気持ちのまま、食器洗い、ゴミ捨て、台ふき……と、そらは次々にこなしていった。


「ああ、助かった。これはお駄賃だよ」


 女将が温めたパンを渡してくれる。

 役に立ったのが嬉しくて、そらはぱあっと顔を明るくした。




 パンをもらったそらは食堂の端の席に腰を下ろした。

 窓が近くにあり、秋のやわらかい日差しがテーブルに降り注ぐ。


 そらは、パンをたまに小さく千切ってはハニに渡した。

 ハニは恐る恐るといった風に、それでも食べ物はしっかり受け取ってくれる。嬉しくて、ぷっくりと膨らんだその頬袋をつつくと、嫌だったのかどこかへ行ってしまった。


 そうしていると、女将の娘が台所から顔を出し、そのまま近づいてきた。


「そらさん……で合ってたかな」


「ああ、えっと……君は?」


 娘はそらの向かい側に座った。


「私はリト。よろしくね。さっきのネズミさんは?」


「ハニ。最近知り合ったんだ」

「可愛いお友達だね」


 肩下まで伸びたブラウンの髪を揺らし、彼女はそらに微笑みかけた。


 次回【第三章】決意、それぞれの道へと(四)は 明日平成29年4月24日(月)23時 投稿予定です。

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