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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第一部】王国逃亡
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【第三章】決意、それぞれの道へと(二)

 何日もの間、雨の降らない日が続いた。そらがいなくなってからだ。そして今日、久しぶりに雨が降った。間違いなく恵みの雨だった。雨粒は優しく畑に降り注いでいく。


 もうすぐ、冬が来る。


(どこにいるんだ……、そら……っ!)


 リクは暗い空を睨んだ。


 あの後、アンジュに不可解な言葉を残し、そらは消えてしまった。村総出で山の中を探したが、残ってい

たのは血痕と、焚き火の跡だけだった。アンジュはそらが薬箱を取りに戻って来たように見えたらしい。


「じゃあこの血痕はそらのじゃねえな」


「ということは……」


 大人達は顔を見合わせたが、それ以上何も言わなかった。


 そらが行方不明だと聞いて、取り乱したのは子ども達だった。何でも、彼がいなくなる前日に、彼に「悪魔」について問い詰めてしまったらしい。どうして殺されなければならないのか、と聞き、挙句「可哀想だ」と言って彼を困らせた。


 でも、彼らせいでは無い気がする。


 ……アンジュはその後も取り乱すことなく、ただいつものように畑仕事に精を出している。そらが来た日も同じ背中で働いていた。ただ、少し背骨が曲がってきたようだ。そらは気づいていただろうか。

 一度、リクが様子を見に行ったとき、アンジュは縁側に腰を下ろして何かを読んでいた。


「勉強してんの?」


「ああ、リク。見るかい?」


 アンジュはリクに一冊の分厚いノートを渡した。そらのものだった。


 中には細かく丁寧な字で、薬草の知識からこの王国の政治の仕組み、難しい文字の読み方、その他の雑学まで、全ての分野でのそらの記憶が刻まれていた。

 その中には、リクが教えた商売法や金銭の数え方も記されていた。


「……何でこんなもの」


「村に学校を作りたいと言ってたからね。教科書を作ろうとしてたんだろう」


「嫌だぜ、こんな分厚い教科書」


「部屋に同じようなノートが沢山ある」


「げええっ、何やってんだよ、そらのやつ」


 だが、自分の教えたことがメモされていたという嬉しさもあって、リクはぎゅっとノートを両腕で抱きしめた。


「もしかすると、そらはどこかで分かっていたのかもしれないな」


「はあ? 何を」


「いつか全てを思い出して、故郷に帰る日がくることを。あの子は優しいから、土を耕すことしかできない私達を心配して……」


 しんみりした会話が嫌で、リクはアンジュの言葉を遮った。


「鶴の恩返しかよ。大体このノート、途中までしか書かれてないし!」


 中途半端なもの作るなよな、とリクは大声を上げた。


「なあ、リク」


「うん?」


「そらはこの村のこと、故郷って思ってくれてるのかな。俺はそらの親として側にいてもいいのかな」


 アンジュがこんな弱気なことを口にするのは初めてだった。


「そんなの……今更だろ。なんで突然」


「だってあの子、ほとんどの労力と時間をこの家と村のために使っちゃうんだよ。もっとほら……、もう少し遊んでいいのに」


 そらの、他人行儀なところを言っているのだ。


「あれは性格だろ。勉強は趣味」


 あんまり深く考えることじゃない、とリクは笑い飛ばした。


「だってそら、あんなにもアンジュさんのこと慕ってたじゃん」


「甘えられたことはない」


「……まあ、ずっと、周りに負担かけてるって意識はあったみたいだけど。俺たちはそんなこと、ちょっとだって気にしてないのに」


「もっと、ちゃんと話しておけばよかった。今になって悔やまれるよ」


「やめといたほうがいいよ。そらはああ見えて面倒くさい性格だから」


 もう夕暮れ時だった。この季節になると日が沈むのも早い。夕日で赤く染まったアンジュの横顔は、どこか寂しげだ。


「……なあ、アンジュさん。そらは誰を助けようとしてたんだろうな」


 そらの先には何があったのだろう。


 何を見ていたのだろう。


 会って、直接尋ねたい。


 何に巻き込まれたんだ?


 あるいは自分から動いたか。


 昔から突拍子もないことをする一面があったから、そして、人の悲しみに敏感なところがあったから、悪魔にさえ手を差し伸べてしまったのかもしれない。


「そらが助けたいと思ったんだ。誰でもいいよ。ただ……」


 --そう簡単に、うちの子はやらんよ。


 二人は声を出して笑った。


 *  


 その後、村に、再びシトラがやってくることがあった。彼は国から配属されている治安部隊の隊長らしく、国内を監視しながらクロノを探しているということだ。彼は集まった村人を見て、すぐに首を傾げた。


「あれ……、あのチビはどうした」


 リクは非難の眼差しを彼に向けた。


(おいおい、治安部隊。まさかそらの顔を見るために、わざわざやってきたんじゃあなかろうな)


 シトラの質問に村人達は言葉を濁した。万が一そらがクロノの逃亡を手伝ったとすれば、もう彼は二度と帰ってくることができなくなる。たとえ「よそ者」であったとしても、そらは大切な存在だった。


 王国を今、敵にまわしている。

 ……いや、そうは思えなかった。


 目の前の男は、確実に、そらに一目惚れしている。

 イチかバチか。そらを選ぶなんて、たとえ男だとしても見る目あると思う。この話をそらにしたら、どんな顔するんだろうな。


 ずいとリクはシトラに近づいた。


「すぐに気づいたんですね。そらに気でもあるんですか?」


「……」


「次に会ったらお茶でも、そう言ったらしいですね。そらが驚いていましたよ。本当に奢ってくれるんですか」


 小さくシトラが頷く。本気でそらに惚れているようだ。


「ただ……」


 シトラはリクの肩を寄せ、村人達に聞こえないくらいの小声で怒鳴った。


「人前で気があるとか言うな! 変態だと思われるだろ!」


 こんな調子で治安部隊の隊長が務まっているのだから、本当に分からない世界である。


「どんな壁でも乗り越えられそう?」


「乗り越えられるさ。でも、誰にも言うなよ、後生だから」


「ええ。誰にも言いませんよ。俺の話をちゃんと聞いてくれるなら」


 さあ、どうやって説明するか。


 そらの失踪に〝悪魔〟が関わっているのはまず間違いない。焚き火の跡、血痕……あれは逃亡者のものだ。

 そらは何故ついていったのか……。


--賞金で学校作れるぜ。


 悪魔を殺そうとした……?


 いや、まさか。それならば薬箱など要らない。ああ、あんなことを言うべきではなかった。確かに俺は、リョウタを殺した悪魔を憎んでいる、殺したいほど憎んでいるが……。


 リク、ごめん。ごめんな……。


 そらの声が遠くなる。見えない、もう、届かない。全て、消えていく。


 こんなことを望んだんじゃない。

 もしあの夜に戻れるなら。


 後悔はずっと心の奥で黒い塊になって、リクを責め続けた。


 残った自分にできることは、たった一つだけ。

 彼を連れ戻す。ただそれだけが叶うならば。


 覚悟を決めて、リクはしっかりとした表情でシトラに向き直った。

「全部、話すよ」


次回【第三章】決意、それぞれの道へと(三) は 今日2017年4月23日23時 投稿予定です。

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