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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第一部】王国逃亡
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【序章】雨(二)

 強く咳き込んで、ウサは地面に倒れた。口を押さえた手が朱に染まっていた。真っ白になっていく頭を無理矢理回転させて、次の攻撃を避ける。


「情けないものだ。最近気が抜けていたんじゃないのか」


 近衛兵、ザイルが嘲笑を含んだ声で言う。パーマのかかった金髪が揺れた。

 違う、とウサは口を開いたが、声にならなかった。

 突然後ろから頭を殴られたのだ。


「弱い兵など、この王国にはいらない」


 周りの兵がくすくすと笑った。人がいたぶられるのを見て、そんなに楽しいか。

 見習い兵の命など、この王国では塵のようなものである。


 ウサはギリ、と歯を食いしばった。

 馬鹿にされ、笑われているのがどうしようもなく悔しかった。


 跳ね起き、訓練用の剣をザイルに振りかざす。しかし、手に力が入らない。

 後ろに後ずさると、背後にいた兵に背中を切られた。訓練用の剣だから切れ味は悪くしてある。しかし鋭い痛みが走った。


 何があっても武器は手放すな。

 そうクロノから教えられたにも関わらず、ザイルの剣が自分の手の甲を割いた瞬間、指を開いてしまう。


(師範……ッ)


 叫びだしそうなのを必死に堪える。


 あの人はいつも厳しかった。しかし、誰よりも優しかった。


 どうせ周りの奴らは、賄賂を使って試験を通りぬけてきたんだろうが。

 俺は違う。

 あの人の元で、死ぬほどやばい訓練を受けて、ここまでやってきたんだ。

 お前らとは、訳が違う――。


 自分を押した兵をキッと睨み……ウサは倒れ込んだ。


「クロノの調練も大したことないな」


 避けなくては、と思うのに体が動かない。

 自分のせいで師の名を汚してしまうことがこの上なく腹立たしかった。


 痛いのと、苦しいのと、悔しいのと、情けないのとで、起き上がることさえできない。

 もう駄目かもしれない。そう諦めて、目をギュッと瞑った瞬間、


「寝るにはまだ早いんじゃないのか」


 低く響く声が聞こえた。


「クロノッ」


 ザイルの慌てた様子が、目を瞑っていてもわかった。恐る恐る瞼を開けると、クロノの後ろ影があった。

 瞬きをすると、頬が冷たく濡れる。すん、と鼻をすすった。


「ばか、泣くなよ」


 気配を察して、背を向けたままクロノが笑う。


「クロノ、どうしてお前が」


「偶然通りかかっただけです。でも、訓練にしてはタチが悪いのでは」


「ほう、クロノの血は青色だと噂されていたが。案外、情に厚いのだな」


 茶化されて、クロノの機嫌は一層悪くなった。


「判れば結構。とにかくそいつから足、どけてくれねえかな。うちの可愛い、可愛い教え子なもんで」


 それでも動かないザイルに、彼はとうとう我慢できなくなったらしい。

 低く、重い声で吐き出した。


「……分かんねえかな? ほんと、胸糞悪いんだけど」


 クロノの手には背丈三分の二ほどの木棒一本が握られていた。

 彼の黒い瞳が静かに、じっとザイルを見据えた。

 尋常でない怒気と闘志を感じたのか、ザイルが一歩後ずさる。


「た、たかだか一人の兵だろう、それくらいで何をむきに」


「たかだか一人の兵? お前がウサを殺すっつうなら、俺はお前を殺すぜ」


 いつの間にかクロノは兵に囲まれていた。彼の不穏な言葉を聞いて、兵たちが一斉に武器を構えた。


「お前ら、やれっ!」


 殺されそうになったから殺した。

 証拠がなくても、ザイルほどの地位になれば殺傷の理由などそれで足りる。


 逆に、クロノがザイルを傷つけたとなれば、ただでは済まないだろう。

 ……彼はいちいち気にしないだろうが、ウサは悔しくて仕方がなかった。


 だから、ウサは一つの決断を下した。




 一人目が勢いよく剣を上から振りかざしてきた。


 さすが、近衛兵が集める兵だけのことはある。そこには一寸の迷いもない。力も強かった。

 クロノはそれを木の棒で受け止め、その衝動で微かに浮いた相手の足を片足で引っ掛けた。


 一人目が転んだと同時に、二人目と三人目が一緒にかかってくる。

 クロノは倒れた一人目の剣を奪った。

 相手が襲ってきたと同時に、ぱっと跳ねあがり、木の棒と剣を同時に横に開く。


 何か言う間もなく、二人は倒れた。


 クロノは体勢を立て直した。




 クロノは城の中でも、剣術で並ぶ者なし、と言われている。

 しかし何だ、この強さは……。

 次々と倒されていく兵を唖然として見つめながら、ザイルは言葉を失った。


 確かに、クロノの教え子程の訓練は積んでこなかったかもしれないが、それなりにできる者を集めた軍のはずである。仮にも、王を直接守る軍のひとつだ。


 自分の下に倒れ込んでいたウサも、信じられないとでも言う風に、その様子を見つめていた。


 ……気がつけば、五十人以上いたはずの兵が全滅している。


「この程度でいいのか、ザイル。これなら俺の見習い兵達の方がよくできる」


 そうだろう、ウサ?

 声を掛けられ、ウサが苦笑した。


「ごめんなさい、師範……。俺、師範の名前、汚しちゃったかも」


「仕方ねえな、戻ってこい! しばらく面倒見てやるよ」


 見習い兵は給料をもらえない。戦いの場に出て初めて金がもらえるのだ。彼等は、城で奴隷のように働くことを条件に、やっと食っていくことができた。


 今更そんな生活に戻りたいと言うのか。この彼の元で、やり直したいと?


 ザイルは信じられなかった。知れば知るほどクロノが恐ろしくなる。彼の教え子たちがこんな風に彼に執着しているのだと思うと、気味が悪かった。


 人望が厚い?

 まさか。こんな、鬼のような男が。


 本当に自分が警戒すべきは、彼だったのかもしれない。


 クロノがこちらに向き直り、倒れている兵の手から剣を奪い投げてきた。


「持てよ。片を付けてやる」


 二階の窓の端に人影が見えた。自分に鏡の存在を教えた者の隣にいつもいる生意気なガキである。

 彼は右手を挙げ、厭らしい笑みを浮かべた。

 それは、長い間自分が待っていた合図だった。


 ――二人で新しい世界を創ろう


 そう、あの人は言った。




 黙ったままのザイルを見て不審に思ったクロノは、様子を窺うように一歩下がった。

 ザイルが布に包まれた何かを取り出す。


 ……鏡だ。


「クロノ、あとは任せろ!」


 後ろから声がかかった。見ると、道場の入り口で男が仁王立ちをしていた。


 彼はこの国の大臣で名をエレミスという。

 クロノとは昔から仲が良い。性格がさっぱりしていて、気が合うのだ。

 長い銀髪に美しい顔立ち。そのうえ根っからの貴族である。中身も容姿もエリート中のエリートだ。


 そんな彼の後ろには呪術師や他の大臣も揃っていた。そのまた後ろにはいつの間にか多くの兵が集まっている。


「何でお前らが……」


「ザイルが何か企んでいることは分かっていた。ずっと彼を監視していたよ。……その鏡を見せてくれるまでね」


「俺にも秘密か。人が悪い」


 不貞腐れたようにエレミスを睨むと、苦笑交じりに彼は頭を掻いた。


「実はウサギが色々大変だったことも知っていたから、これはクロノ師範のお怒りを受けるだろうと期待してたんだ。・・・・・・ザイル、この罪は重いぞ」


「……」


「捕えろ」


 いつの間にザイルの背後に回ったのか、二人の兵が彼の両腕を掴んだ。


「……」


 ザイルは無言のままだ。


「おい」


 彼の持っている鏡を兵が奪う。


 ――刹那、道場の窓から、矢が飛んできて、その兵の首元を貫いた。


「え……」


 赤く染まった壁にもたれかかり、その兵はすぐに息絶えた。


 間髪入れずに、次の矢が放たれた。

 これにはクロノが瞬時に反応した。すばやくもう一人の兵の手を引く。矢は、彼の反対側の腕を掠めていった。


 エレミスの後ろに控えていた兵がすぐに窓の元へ行き、用心しながら辺りを見回したが、どうやら逃げられたらしい。そのまま全ての窓を閉め、腑に落ちないという表情で戻ってきた。


「はは……私の勝ちだな、クロノ」


 誰にも聞こえないくらい小さな声でザイルは呟いた。

 きっとこれは、あの人が自分のためにおくってくれた刺客だ。

 そう、あの人は自分を必要としてくれている。


 窓の外を見た。もう、あのいけ好かない彼はいなかった。


 ――(より)(しろ)となれば、永遠の生と力を手に入れられる……。


 しかし、そこに自分の意志はあるのだろうか。自分は、自分として生きていけるのだろうか。

 ずっと気づかないふりをしていた疑念が、今になってはっきりと姿を現す。


(騙されてるんじゃないか?)


 だが、そう思った瞬間、背中に熱い痛みが走った。


 あの人? 


 ……いや、違う。足元に転がっていたウサの姿がない。後ろをゆっくりと振り返る。

 返り血を帯びた彼が、静かに自分を見下ろしていた。


次回の【序章】雨(三)は 今日の 2017/04/14 23:00 投稿予定です。

よろしくお願いします!

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