【第二章】ウォックの町(五)
それから二人は長い時間をかけてちゃんと話した。これまでのこと、これからのこと……話は尽きなかったが、それでも疲れが出て、二人ともいつの間にか眠ってしまっていた。
その夜中、そらが起きたのを肩で感じ、クロノも目を覚ました。
「――そら?」
おかしな音がする。
がりがり、がりがり、
何かを掻いているような。
「そらっ」
クロノはその肩を強く引いた。見ると、彼は自身の腕を血が出るほど強く掻き毟っていた。かなり混乱しているらしく、クロノが声をかけても気づく様子はない。
「ばか、何やって……」
慌てて後ろから手を掴み、動きを止めると、そらはその場で嘔吐を始めた。
彼の荷物を漁る。
非常に多種の薬草が出てきたが、どれもクロノの知らないものだった。
「そら、俺はどうしたらいい。何か効く薬はないのか?」
ふるふると首を横に振り、そらは再び苦しげに体を震わせる。寒いのかと思って上から毛布を掛け、腹を抱くと、次第に落ち着いていった。
何があったのか聞く余裕はなかったが、自分が初めて人を殺したときによく似ていた。自分が駆けつける前に酷く人を傷つけたのかもしれない。
(俺の……せいか……)
責任を感じずにはいられなかった。
胃の中の物を全て吐き出すと、そらは疲れたのか、ぐったりとしてこちらに身を預けてきた。
*
きゅう、という鳴き声が耳元で聞こえ、クロノは目を覚ました。
既に日が昇っていた。
目の前にネズミがいる。饅頭みたいな身体に、長い尻尾。桜貝の耳。
それは、そらの荷物の端を手いっぱいに抱えていた。
「は……。おい、そら。お前、またおかしなもん連れてきて……」
隣で寝ていたはずのそらを起こそうと伸ばした手は宙を切った。
「そら?」
まさか黙っていなくなることはないだろうが、昨日のこともあり、ひどく心配になった。
立ち上がると、先程のネズミが小さく裾を引っ張ってきた。「ついてこい」と言われているような気がして、首を傾げながらもクロノはついていくことにした。
朝の穏やかな風がクロノの頬を撫でる。
ひんやりとした空気が、寝起きの火照った体を冷ましてくれる。
そのままネズミについていくと、澄んだ水の音がしてきた。前を行く小さな背中は、脇道に入っていった。
少し迷った末、クロノもまた、渋々草木を掻き分けていく。
そのまま進んでいくと、やがて大きな川原に出た。緩やかに流れていく水流に、太陽がきらきら反射している。
それは時間がとてもゆっくりだとしても確実に進んでいることを、クロノに実感させた。
「こんな場所があったのか……」
水の跳ねる音が聞こえ、クロノはそちらに目を向けた。
少し向こうに、短刀を握りしめているそらを見つけた。
前髪から水がぽたぽたと滴っている。旅で汚れたシャツが水を含み、少し重そうだ。
じっと水面を見つめる、濡れたそらの横顔にどきりとした。とても、静かな瞳だった。
歩み寄ろうとすると、気づいたそらがはっとして顔を上げ、短く悲鳴を上げた。
「ちょ、来ないで下さいっ」
怪訝に思って首を傾げると、そらが水流に抗いながら後ずさっていく。持っている短刀の先が眩しく光った。
「お前、まさか」
慌てて駆け寄り、そらの腕を引く。
そのまま短刀も取り上げた。
「ばかっ! 早まるな!」
一瞬呆気にとられたように口を開けたそらだったが、すぐに意味を悟ったらしい。
「違いますよっ! 何で俺が死ななくちゃいけないんですか!」
髪を短くしようとしていた、とそらは話した。事情を聞こうとすると、目で制される。取り返した短刀を躊躇なく向けてくるので……聞かない方が良さそうだ。
「まあ、お前が切りたいならいいけど」
クロノは濡れたその髪に触れ、横髪をそっと持ち上げた。
一瞬何かを思い出したように震えたそらだったが、避けはしなかった。気にせずそのまま指先で水滴を絡ませていく。
次第にその肩は下がっていった。
「灰色の髪、星屑みたいで綺麗だけど」
「……クロノさんの好みは関係ないです」
「ほんと、可愛くねえのな」
掴んでいた腕を離そうとすると、逆に手を握られた。
「え」
そらが策士の笑みを浮かべる。
突然、ぐいっ、と前に引っ張られ、体勢を崩したクロノはそのまま川のなかに放り出された。
頭まで水に浸かり、寒さで凍えそうになる。
「ばっ、ばっかやろーっ!」
水面から顔を出して震える声で叫ぶと、肩を揺らしながらそらは楽しげに笑っていた。
それから子どものように大はしゃぎしながら陽が高く昇るまで遊んだ。染みついた血と汗、全てを洗い流していくようだった。
寒さも忘れ、いつの間にか、クロノにも笑みが戻っていた。
次回【第三章】決意、それぞれの道へと(一)は 今日2017年4月22日23時 投稿予定です。




