【第二章】ウォックの町(四)
男が倒れた。
「そらっ」
低く呼ぶ声。
彼はこちらの片手をぐいと引き、立たせた。乱暴に頭をわしゃわしゃと撫でてくる。
心地良くて、優しい。
「馬鹿、無茶しやがって、ばーかっ!」
「二回言わなくたって! 後ろっ!」
「分かってるよっ」
短く舌打ちして、クロノは背後に立つ敵を刀で払った。
「ったく、使いづらい!」
そう文句を言いながらも、初めて持つとは思えない程動きが自然だった。
「いたぞ!」
「撃てっ!」
再び銃声が響く。仲間が騒ぎを聞きつけて集まってきたらしい。クロノはそらを庇うようにして銃弾を避けた。そらも必死に手の内のぬくもりを守る。頭上で銃弾は壁に穴を開けた。
そらは腰差しに手を当てた。
「クロノさん、小刀、使います?」
早口で尋ねると、クロノは一瞬迷った後、すぐに頷いた。
「貸せ。無いよりマシだ」
不意にクロノがよろめいた。眉間に皺を寄せ、片手で頭を抱える。
「大丈夫ですか」
「なんか……聞こえる」
そらはクロノの顔を覗き込んだ。
彼の額には脂汗が浮かんでいた。
「聞き取れない……ぼそぼそって、何か……」
そう呟きながら、クロノは体勢を持ち直して、ドアの前で銃を構える男達に向かっていった。
ダダダダ、と階段を駆け下りていく足音。
慌てて後を追うと、そこには倒された盗賊達が数多転がっていた。
(わ……、こう敵が多いと、クロノさんの強さが目に見えて分かる……)
周りが拳銃を持っているというのに、彼は臆することを知らない。見ているそらの方が冷や冷やした。
しかし、クロノは落ち着いた様子だ。手にしたばかりの長い刀と短い刀をきちんと使い分けている。
その場に立ち尽くしていると、もそもそと手の中から小さな顔が覗いた。
「お前なあ……」
溜息をついて、そらは手を離した。きゅっ、とひとつ鳴いて、それは窓の外へ飛び出していく。
「マリア姉、大丈夫?」
「大丈夫よ、ルイ。それより、そらさんが」
階段の下で二人の声が聞こえ、急いでそらは顔を見せた。
「俺は大丈夫だよ」
ルイがはっとして顔を上げる。
「そらさんっ、ごめんなさい……っ」
気にしないで、と笑い、そらは髪を押さえた。今まで面倒で切ってこなかった髪が忌々しく感じられる。
「お前ら、おしゃべりする暇があったら隠れとけ!」
クロノに叱られ、三人は部屋の隅に避ける。外ではクロノに触発されたのか、町の住人が集まって侵入者達と戦い始めていた。
クロノばかりに負担をかけてはいけない。
そらは覚悟を決めて、自分も参戦しようと槍を探した。それは先程そらの手から離れ……。
(あれかっ)
それは壁に、地面と平行に突き刺さっていた。
「う、抜けない……」
「大丈夫ですか?」
マリアが駆け寄ってくる。二人で一生懸命柄を引っ張っていると、
「ああ、あ、悪魔だっ!」
という、男の高い叫び、怒鳴り声が外から聞こえた。
振り返る。自分からは彼の背中しか見えない。しかし床には、先程とはまるで違う、無残な死体が転がっていた。
ルイが悲鳴を上げる。
彼の体を借りた悪魔は、そんな悲鳴にも耳を傾けることなく残虐に、周りの者を殺め続けた。
「クロノさん……」
一体何が苦しくて、こんなことをするのだ?
「クロノさん!」
そらが歌おうと口を開くと、彼は初めて振り返り、刃を向けてきた。切っ先はそらの首元で止まる。首筋に刃が軽く当たり、一筋、朱が流れた。
口を開けば、殺す。
赤い瞳がそう告げていた。
唾を飲み込む。
彼は再び前に向き直り、次に向かってくる者をその刀で刺した。
叫び続けるルイと、ぽかんと見つめているマリアを腕に抱く。そらはそのまま部屋の隅に彼女達を移した。
「見るな……、お願いだから」
「どうして、……」
後ろから聞こえる怒声や悲鳴が一段と大きくなり、マリアの言葉が最後まで聞き取れなかった。
クロノの背中。
もう戻れないのだろうか。
「クロノさんっ!」
我慢できず、そらは地面を蹴り、後ろからクロノに掴みかかった。
すぐに振り払われたが、諦めずに二度、三度、と掴みかかった。彼の刀を持つ手を必死に押さえる。足で蹴る土は、ぐぐ、と穴を作り、そらを捕えた。
「目を覚ましてくださいっ! 悪魔なんかに負けるあなたじゃない……!」
ドンっ、と肘打ちを喰らい、そらはよろよろと地面に手をついた。
「……い」
「……?」
「クロノさんは、お前なんかに負けない!」
次の瞬間、歌が無意識に口から飛び出していた。悪魔は無表情でこちらに近づき、刃を向けた。
(斬られる……)
いや、届く!
そらは歌い続けた。
からん、と金属が地に落ちる音を聞き目を開けると、クロノが茫然と立ちすくんでいた。その迷子のような顔にクロノさん、と声をかける。
「そら」
声は低く、掠れていた。
「大丈夫、です」
少し息を整えてそらは笑顔を向けた。しかしクロノは真っ青なままだ。
「俺……」
「びっくりしました。ちゃんと戻ってきてくれて良かった」
できるだけ明るい声を出した。
そうでもしなければ「今から腹を切る」と言いかねない位、彼が追い詰められたような顔をしていたからだ。
さらに念を押すように、そらは名を呼んだ。
「クロノさん」
――ちゃんとここにいる。
しかし、言葉を遮るように、コツン、と、クロノの額に石が当たった。
つうと血が流れていく。
「悪魔……っ、出ていけ!」
町の人間だ。
そらは反論しようと口を開けたが、クロノの手に制止された。見ると、やはり苦しげな表情をしている。
多くの人間が彼を気味悪そうに見ていた。この視線を彼はどう受け止めているのだろう。
「クロノさんっ」
ルイが人々の群れを掻き分け、こちらにやってくる。それをマリアが泣きながら止めた。
暫くそらは言葉を失ったままだった。
良くも悪くも、この町を救ったのはクロノだ。飛び出しそうになる言葉をそらは必死に飲み込んだ。クロノがそうしていたからだ。
黙っていたクロノは、やがて彼らに背を向け、
「行くぞ、そら」
とだけ言い、歩き始めた。
*
月が見守るなか、山の入口まで戻ってきた。もう日付は変わっている筈だ。
全てが眠りについている時刻。風の音さえ、もう聞こえない。
落ち葉をザクザクと踏み散らしながら、クロノは早足で進んだ。
どうしようもない不安に襲われる。
負ける。今日、それを悟った。
暴走を止めることが出来なかった自分が腹立たしい。いや……怖れている。
そらは、あんな自分を見て恐ろしいと思わないのだろうか。
後ろからついてくるそらに言う。
「お前も嫌だろ」
「え……?」
錆びた臭いが全身に染みついている。慣れている筈だ。でも今は眩暈がした。
「今なら戻れる。あの町を通るのが怖いなら、ついていってやるから」
彼の返事は無かった。ふり返ってそらを見ることができない。怖い。
もしも、あの町の住人のような目をしていたら。
クロノは自嘲気味に笑った。
「ああ、一番怖いのは、俺だったか」
苦しい。これ以上は進めない。
足が止まる――。
不意に、軽い衝撃が背中に走った。そらが頭からぶつかってきたのだ。
「っ、そら」
さすがに驚いて、クロノは肩越しに振り返った。そらは額をクロノの背に押し当てたまま、離れようとしない。
それどころか、押し殺した声で泣き始めた。
「……何でお前が泣くんだよ」
「クロノさんの代わりに、泣いてるんです」
自分のために、彼は泣いている。
「何で……あなたじゃないと、いけなかったんですか……っ」
そらの言葉に暫く茫然とし、やがて我に返り、瞬きをしてから、慌てて空を見上げた。しかし間に合わず、涙はボロボロと冷たく頬を濡らしていく。
どうしようもなく、苦しかった。
次回【第二章】ウォックの町(五)は 明日2017年4月22日23時 投稿予定です。




