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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第一部】王国逃亡
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【第一章】城からの逃奔(八)

 日が沈み、クロノは足を止めた。山道をこれ以上進むのは危険である。


 長時間歩いたが、あの後互いに言葉を交えることはなかった。

 クロノの予想に反して、そらは少しも遅れずについてきた。彼は村人のようだが、足腰が強いらしい。


 あたりを見回すと、冬に向けて葉を落とした木がぽつりぽつりと寂しそうに生えていた。


 クロノは薪を集めた。

 石を打ち、火花を夜空に散らせる。


 周辺がいっきに明るくなり、やっとその場に落ち着いて腰を下ろした。


 少し離れた場所では、そらも同じように火を熾していた。


 頑なに言葉を交わさなかった。


 ひどく疲れていたし、クロノの場合、そらに心を許した時点でこの旅を認めることとなる。そうなれば……。

 少しの間考えてから、クロノは首を横に振った。


(一人で抱え込まなきゃいけねえんだ)


 誰も巻き込んではいけない。

 そして、そらが同じ罪人扱いされてしまうことだけは、何としても避けたかった。自分を助けてくれた恩人だから、尚更。


(困ったな……)


 吐いた息が白い。夜の山は体の奥を突き刺すような寒さだ。


 クロノは腕を組み直し、少し遠くにいるそらを見つめた。


 彼は自身で持ってきた毛布一枚を頭から被っている。それでもすやすやと眠れる状態ではないらしい。彼もまた、必死で寒さに耐えていた。傍にあった木に寄りかかり、熱が逃げぬようじっとしている。

 少しでも力を抜けば、どうにかなってしまいそうな寒さである。落ち着いて眠れるわけがない。


 一層冷たい風が吹いた。


「……クロノさん、寒くないですか」


 聞こえないふりをする。

 しかしそらは、構わず続けた。


「人間の体温って、三十六度から三十七度あるんですよ」


「……」


「……そっちに行っていいですか」


 両手を軽く上げ、クロノはとうとう降参した。溜息をつく。ぬくもりが欲しかった。


「来いよ。寒くてかなわねえ」


 そらがほっとしたように表情を崩した。こちらに歩み寄り隣にちょこんと座る。自分の毛布をクロノの上に重ねて潜りこんだ。


「やっぱり毛布が二枚あると、違いますね」


 ようやく暖かさを手に入れたそらはほくほく顔だ。はみ出している肩に、毛布を掛けなおしてやる。


「お前、完全に毛布狙いだろ」


「クロノさんもあったかいです」


「あ、そ……」


 ぱちぱちと焚火が音を立てている。クロノはその中に枝を付け足した。

 そらは大きな欠伸を一つして、こちらをちらりと見た。


「寝ないんですか」


「《濡烏》に追われてる。まだ油断できねえんだ」


「《濡烏》?」


「王国の暗殺部隊だ」


 少なくともウォックの町を出るまではその心配を四六時中していなければならない。


「交代で起きますか」


 尋ねるそらの頭を、クロノは軽く叩いた。


「チビは寝とけ。疲れてんだろうが」


「チビって。もう十六ですよ」


 不貞腐れて、そらは毛布を掛けなおした。ぷいとそっぽを向いてしまう。

 しかし、それよりも気になることがあったのか、再び顔を向けてきた。


「クロノさん、もしかして学校の先生とか何かですか?」


 唐突の質問に、クロノは眉を寄せた。


「はあ? 俺がガキ相手にできると思うか」


「……いえ。でも、さっき俺の頭、小突いたでしょ? なんだか慣れてるみたいだった」


 クロノは苦笑した。確かに、この手は幾度となく見習い兵の頭や背中を叩いてきた。

 撫でるでもなく殴るでもない。軽く小突いてやる。それだけで大体の意志は通じた。


 それにしてもこの少年、なかなか鋭い。


「王国の軍の、武術師範をしていた」


「!」


 髪と同じ、灰色の瞳に見つめられて、クロノは視線を逸らせた。


「いや、誰彼構わず頭触ってた訳じゃなくてだな……」


「すごいです! 王国直属の師範! か、かっこいい……っ!」


「今は逃亡の身だぞ」


「いえ、それでも尊敬します。王国の軍など、俺には無縁なものだと」


「戦うのが好きなのか」


 冷めたようなクロノの言葉に、そらは言葉を止めた。

 黙ってクロノが返答を待っていると、暫く考えた後に、彼は口を開いた。


「いえ……強くなりたいんです」


「強く?」


 そらは小さく頷き、他人事のように淡々と話し始めた。


「俺、実はあの村の生まれじゃないんです。幼い頃、どこからか迷い込んだらしくて」


「『らしい』って、お前」


「それ以前の記憶が無いんです。でも、あの村の人達は、そんな俺を守って、育ててくれました」


 守られる価値など、よそ者の自分にあったのだろうか。……直接言いはしないが、そらの言葉にはそう言った感情も含まれているような気がした。


「……皆どこかで気づいてました。この王国はもうすぐ崩れると」


 その言葉に対し、クロノは否定も肯定もしなかった。事実、賄賂の横行や犯罪も年々多くなっているクレアス王国である。戦争もここ近年で増えた。人々は貧しくなった。


 天災も合い重なり……。


 そらがこちらの顔色を少し窺ってきた。


 本来ならば、政治家でない兵は国の中傷を聞くべきではない。戦いに迷いが生じるからだ。上を信じる。それが、生に繋がった。


 しかし、そう暢気に言っていられない事態が、この王国では起こっている。


「それで?」


 クロノは話を促した。


「自分達から争いを望むような村ではありません。でも、もしも巻き込まれたら」


 それがどのような形でやってくるのかは分からない。民衆蜂起、近隣諸国との抗争……。何が起こってもおかしくないくらい、この王国は危険な状況にあった。


「……そのとき生き残るには、剣を持つしかないと思うんです」


 守られる側から守る側へ。


「俺は、アンジュさんを、あの村の人達を、守りたい」


 そらの気持ちが痛いほどに伝わってくる。しかし全てを肯定することはできなかった。


「だから、命懸けで俺を襲ったと?」


「ええ。クロノさんにとったら迷惑な話でしょうけど」


「お前……っ」


 そらの気持ちはよく分かる。守りたい人間がいれば、強くなりたいと願うのも当然だ。守るために敵と戦うことも厭わない。

 しかし、だからと言って、命を捨てていい理由にはならないはずだ。


 クロノは彼の肩を掴み引き寄せた。


「それでお前が死んでも、村の奴らは悲しまないっていうのか。違うだろう? 今まで、必死に育ててきてもらったんだろう?」


「でも」


 見つめるそらの瞳が、かつてのウサの瞳と重なった。居場所はあるのに自分の存在に自信が持てない。自分は苦しくて堪らないくせに、他人のことばかり考えてしまう。


――師範は、生きていてください。


 傷口がキリ、と痛んだ。


「でもじゃない。いいか、お前らは分かっていやしないんだ」


 奥歯を噛み締める。


「守るとか、生きていてほしいとか、そんなもの、ただの自己満足の押しつけだ」


「……」


「残された方はいい迷惑だ。俺は」


 死ぬに死ねない。


 そらは不安そうにこちらを見上げている。

 冷えた空気をゆっくりと吸う。ぼんやりと熱くなった頭が、だんだんと落ち着きを取り戻してきた。


「……すまん、ついかっとなった」


「いえ。……でも、クロノさん。争いを避ける方法もどこかにあるはずです」


「?」


 そらは荷物の中から本を取りだし、クロノの目の前に掲げた。かなり古いものであるらしい。


「クレアス王国の歴史について書いてあります。確かに剣は強い。でも、知識も負けていませんよ」


「――。」


「子どもたちが剣を持たなくてもいい未来をつくってみたい……なーんて」


 照れ笑いを浮かべ、そらは大事そうに本を抱いた。


 どこか無条件に肩を預けてしまいたくなる――そんな安心感があった。

 不思議な少年だった。

 

 疲れが出たのか、それからほどなくしてそらの寝息が聞こえてきた。

 乾いた音を立てて、火の粉が夜空を舞い上がっていく。クロノは隣に温もりを感じながら暫く見る暇もなかった空を見上げた。


 空気が澄んでいて、星がはっきりと見える。


(普通、こんなにぐっすり眠れるか?)


 起きているときは生意気だが、寝顔はまだまだ幼い。

 彼の、その細い首筋を指でなぞった。


 もしも今、自分がナイフを持っていたら。そんなことを、この少年は考えないのだろうか。

 指先に脈が小さく伝わってきて、クロノは息を呑んだ。



 【第二章】ウォックの町(一) は 明日2017年4月20日23時 投稿予定です。

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