【第四章】秋巡思(上)
また秋が巡ってくる
ゆっくりと風呂に浸かってから、部屋に戻った。
教会から一緒に帰ってきたにも関わらず先にさっさと風呂を出てしまったそらは、やはり疲れていたのか布団を頭から被り寝てしまっていた。
苦しそうだと思い、クロノはその布団を直した。
隣に横になり、暫しそらの寝顔を見つめていた。口を小さく開け気持ち良さそうに眠っている。
時折生意気だと思うこともあるが、こうして静かに眠っているところを見ると彼もまだ幼いのだと気づかされる。
(よくもまあ、こんな小さな体に色々詰まってたもんだ)
くく、と小さく笑い、クロノは手の甲でそっとそらの前髪を持ち上げた。
「ん……」
目を覚ましたのかそらが薄く目を開ける。
気にせず、クロノはその額にわざと小さな音をたてて、口づけた。
「……クロノさん、風呂、出たんですか」
「ああ。遅くなって悪かったな」
「ちょっとうとうとしてました」
ちょっとどころじゃないけどな、とクロノは笑った。
「預かってるものがあるんです」
よろよろとそらは起き上がり、戸棚を開いた。そこから何やら高級そうな酒の瓶が持ち出される。
「それ、どうしたんだ?」
「エレミスさんとシトラさんから頂いたんです。お詫びのつもりだから二人で飲んでくれって。とてもいいお酒だそうですよ」
「あいつらが?」
「最初は気にしなくていいって断ったんですけど、せっかく買ったんだからって言われちゃって。まあクロノさんも洒落にならないような怪我したし、結局もらっちゃいました。でも怪我人にお酒なんて、フツー渡さないですよね?」
クロノは声を上げて笑った。ここで酒をちゃっかり受け取り、怪我が治るまで戸棚に隠してくれていたことが可笑しかった。
ふたつの杯に酒を満たし、小さくぶつけ合う。
「クロノさんの完治を祝って、乾杯」
「乾杯」
それから時間の限り黙々と杯を重ねた。他愛のない話を延々と続けた。
時間が止まればいいのに……そんなことを考えてしまうほど、自分もひどく酔っていた。そらなど、自分の体に肩を預け、意識があるのかないのか分からない状態だった。
「そら、あんま飲み過ぎんなよ……ってもう遅いか」
「うん……?」
仕方ねえなあ、とクロノはそらの身体を抱き上げ、布団の上に寝かせた。
「まだ飲むー……」
「馬鹿野郎。もうヘロヘロじゃねえか」
そらがこんなにも飲めるなんて意外だった。そして、その事実を自分しか知らないのではないかと思うと、妙に嬉しくもあった。
「クロノさん」
間近で視線がぶつかった瞬間、酔ったそらに口を塞がれる。クロノもそれに応えるべく、そらの後頭部を抱え、より口づけを深くした。
酔いに任せて気持ち良さそうに吐息をつくそらはひどく色っぽい。
クロノはそっと引き離し、もう寝ろ、と毛布を被せた。
「なんで」
「なんでも! 酔っ払いなんて相手にできるか!」
自分だって酔っている。ちゃんと自制できる自信はない。
しかし、悪酔いしたそらが素直に言うことを聞くわけもなく。こういうとき普段大人しい人間の方が、たちが悪かったりする。
「この間好き勝手されたんですから、今は俺が、好き勝手したいんです」
「馬鹿。俺を好き勝手してどうする」
「クロノさんっ……」
しっかりしてくれ、とクロノは心の中で呟く。それは自分とそらの両方に言い聞かせるような。
普段はベッドの上では鬱陶しい程に恥じらい、逃げてばかりの彼が、今は欲情を隠しきれていない。
「――今日で最後かもしれないんだから」
ぽつりと零したそらの一言に、ぴくりと肩が跳ねた。
「――」
きっと長い間不安にさせていた。しかしそらは必要以上に自分を苦しめないために、そんなこと一言だって言いやしなかった。
言わないから、そんな不安をまだ抱えていたなんて気づけなかった。
クロノはそのまま、そらをふわりと抱き寄せた。
「最後にはしたくねえなあー……」
ぽつりとつぶやくと、そらは顔をくしゃくしゃにして笑った。
(可愛い……)
……布団が二つひかれているにも関わらず、そらと自分は同じ布団で横になっていた。酒か、先程の余韻か、どこかふわふわした心地のまま、くだらないことをしゃべっている。
そらの体温が直接こちらに伝わってきて、とても心地良い。
「はー……。まだ死ねねえな」
「?」
「今日よりもっとすごいことしたら、お前はどうなっちまうんだろうなって考えたら、やっぱりまだ死ねないという結論に」
「唐突に何を言い出すかと思えば……。考え方がおっさんですよ」
「はは」
クロノは体勢を変え、そらを抱きしめた。
「たぶん、この先ずっと思うんだろうな。まだ死ねないって」
「どうしたんですか。酔っ払ってんですか」
「さあな……。でも、後悔のない人生なんて無いだろうし、仮にあったとしてもすごく味気ない人生だって思うんだよ」
「……」
「未練たらたらってことは、つまるところ、俺は今すごく幸せな人生を送れてるんじゃないかって思うよ、そら」
***
目を覚ますと見慣れた天井が目に映った。そらはそれを見て、アンジュの家の天井だとすぐにわかった。
視界が涙で滲む。
とても、とても長い夢を見ていた気がする。
体が動かない。意識を失う前のことを思い出すのに、かなりの時間が必要だった。
(なんで、俺、生きて……)
フォグ=ウェイヴを仕留めるために、強い毒薬を撒いたつもりだった。勿論、自分も一緒に死ぬ覚悟だった。
「そら……?」
扉が開き、リクの声がした。布団に横たわったまま顔だけそちらに向けると、目を大きく見開いたリクと視線がぶつかった。
「そら、目を覚ましたのか……。待って、アンジュさん呼んでくる!」
扉を開けっぱなしにしたまま、リクが再び奥へ駆けていく。程なくして彼はアンジュを連れ、戻ってきた。
「そら! ああ、良かった……! 心配したんだぞ」
――アンジュさん
口を開く。
リクもアンジュも黙ってこちらが何か言うのを待ってくれた。
「――」
「……そら?」
「――」
そらは喉元に手を当てた。
声が出なかった。
***
クレアスとツテシフを騒然とさせた死者のよみがえりは、たった一晩で町を荒らし、そのまま海に還っていった。
リクは一度シトラにエレム村まで送ってもらい、村に兵のよみがえりの影響がなかったことを知ると、そのまま王国の状況を知るために町へ走った。
そこで話を聞くと、比較的城が近いせいか、あながち間違いではないらしい情報が手に入った。
城の中に王国を滅ぼそうと企む人間がいて、その者が百年前の兵をよみがえらせた。その情報が突然王国中に広がり、城の外は一時騒然としたらしい。そして城に火をつけていると、青年が竜に乗って空から舞い降りてきた。
「彼が止めてくれたんだ。ただ、致命的な怪我をして、今城の外で治療を受けてるって聞いたよ。確か名前は……ソラとか言ってたっけ」
「そらっ……?」
「まさか、エレム村の小さな少年ではあるまい?」
「そのまさかだよ!」
リクは城まで無我夢中で駆けていった。途中、引き返してきたシトラに会った。
「リク……落ち着いて聞いてくれ」
「そらのことか?」
彼の顔を見ただけで、そらが無事でないことを悟った。
「まあ、とにかく乗れ。今なら間に合う」
「そんなに悪いのか」
「……」
シトラは答えなかった。
城まで辿り着くと、噂通り城の外にテントが張ってあり、そこにエレミスや王国の医療関係にある者達が集まっていた。
「そら……?」
テントのなかに入ると、サフランに手を握られ、そらはぐったりとして地面に横たわっていた。
体中に酷い火傷を負っており、咳をするたびに口から血が噴き出る。苦し気であった。
「こうがもうすぐ来るはずだ。それまで耐えろ、そら」
サフランがしきりに話しかけている。
リクは駆け寄り、そらの傍に座った。
「そら、俺が分かるか」
彼は薄く目を開け、小さく口を開けて「リク」と呟いたようだった。声は聞こえなかったが、表情が緩んだ。ごめん、と続けたようにも見えた。
「一体何が……」
サフランに小声で尋ねると、彼は何ともやりきれない表情で「部屋に毒薬を撒いたんだ」と答えた。
「毒薬……?」
「ああ。それでフォグ=ウェイヴを倒した。コガレと二人で駆けつけたけど、少し遅かったみたいだ。そらも毒にやられてな」
「コガレさんは」
「……」
サフランは何も答えなかった。それが、全てを物語っているような気がして。
「そらがいなかったら、今頃クレアスもツテシフも屍の群れに呑まれてたよ」
「……」
暫くして、スザクとこうがテントに入ってきた。
「そら!」
そらを見るなり、こうは顔色を変えた。
「とんでもない無茶をしおって……!」
そらは「こうちゃん」と呼んだようだった。やはり声は聞こえてこなかった。
「私が来たからにはもう大丈夫だからな」
こくり、とそらは頷いた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次回が最終話になると思います。
最後まで、よろしくお願いします。




