【第三章】最終決戦(二)
そらは水神の背中に掴まり、空高く飛び上がった。気が付くと、鼻の先に雲があり不思議な気持ちになった。
(大分上まできたけど……本当に天国や地獄というものはあるのだろうか)
クレアス王国には空を飛ぶ術を持つ者がいない。雲よりも高い場所にやってきたのはそらが初めてだった。
エレム村を探したが、早すぎて分からなかった。しかし、近くは通ったはずである。
王城の下の方から炎が上がっていた。様子がおかしい。町の人間が松明に火を点け、城の中に投げ入れているのだ。
「水神様、少しだけ近づけますか」
「ああ」
そらは町人の一人に尋ねた。
「何があったんですか」
竜に乗っているそらを見て、町人は暫し言葉を失ったが、既に夢のように訳がわからない状況である。ぽかんとしながらも、
「ああ、この城の中に王国を滅ぼそうとしている奴がいると聞いてね。確か名は……フォグ=ウェイヴ」
「どこにいるか分かりますか」
町人は真っ直ぐに人差し指を突きだした。
「さっき、三階のあの部屋に怪しい人影が見えたって誰かが言っていたよ」
「ありがとうございます」
そらは水神と顔を合わし、頷いた。
***
コガレとサフランは混乱に乗じて地下の作戦会議室に戻っていた。コガレはあの日、ひどい怪我を負っていたが、数日休んで、今は何とか戦えるところまで回復していた。
赤い布が三枚、ベッドの上に置いてあった。時々洗ってはいたものの、血に濡れたことに変わりはなく、ひどく汚れていたし、痛んでもいた。
言うまでもなく、愛着は依存と言ってもいいほどに沁みついている。
「コガレ、後ろを向いて」
「ん?」
サフランはコガレの後ろに回り、その赤い布を首に巻いてやった。
コガレがそれを鼻先までもっていき、すん、と臭いを嗅ぐ。
サフランの頭にはコガレが巻いた。
最後に二人はビャクのお気に入りだった木椅子に最後の一枚を巻き付けた。
「……大丈夫だよ、ビャク。ビャクの気持ちは俺らが一緒に持っていくから」
フォグ=ウェイヴは必ず止める。
地下から裏道を通って三階まで駆けあがった。二人が長い時間をかけて伸ばし続けた道が今、本来の力を発揮する。
フォグ=ウェイヴの部屋の前に来て、二人は足を止めた。
窓から渡り廊下が見える。そこに、大きな竜から降り立つ、そらの姿が見えた。
「あいつ……」
渡り廊下からフォグ=ウェイヴの部屋に行くとすれば、横に連なっている部屋の奥から入ることになるから、自分達には会えない。
こちらの方が早く辿り着くはずだった。しかし、足止めを喰らった。アオイである。
「憑代は僕がなる」
「まさか」
ぞっとしてサフランが駆け寄るより先に、コガレが動いた。
彼の動きは速かった。しかし相手はアオイで、さすがのコガレも一筋縄ではいかない。
「師範は死んだよ」
アオイが嫌な笑みを口元に浮かべる。彼はこうやって、先に人の精神を追い詰めていくが得意だった。
彼の思惑通り、コガレの動きが一瞬鈍くなった。それを見逃してくれる心など、彼には持ち合わせていない。
アオイの剣がコガレの頬を掠った。
「っ……」
コガレが膝をついた。避けようとしたとき、腹の傷が開いたのだ。
「自分で自分の喉を刀で貫いたんだ。馬から落ちて、踏まれて、無残な最期だったよ」
「てめえ……」
コガレの目が鋭い眼光を発した。次の瞬間、アオイの体が傾いた。
手持ちの一本。コガレの投げたナイフが、アオイの胸に刺さったのだ。
「まさか。投げるなんて、思ってもいなかったよ……」
「何があっても武器を手放すなって散々師範に叩きこまれたからな。お前も何だかんだ言って師範のこと好きだったんだろ。だから、無意識のうちに武器は投げないものだと思ってたんだ」
「……」
「俺は師範を超えていく。悪いけど、通してもらうぜ」
コガレはアオイの胸から深々と刺さったナイフを引き抜き、血を振り払った。
***
三階の渡り廊下でそらは水神に降ろしてもらうことにした。
「私は本当についていかなくていいのか」
「ええ。神様に人を殺すところなんて見られたくないですから。それよりもラスの都を守っていてください」
そらの気持ちを汲み取り、水神は頷いた。
「達者でな、そら」
「はい」
雲の彼方へ消えていく水神を見送り、そらはフォグ=ウェイヴがいるであろう部屋に踏み込んだ。
その部屋には、窓に体を向け、大きな椅子に座っている人影があった。
「……まさか竜に乗ってやってくるとは思わなかったな」
ウェイヴが振り向いた。
「お前がクロノについていた虫けらか」
ひどく恐ろしい形相で睨んでくる。恨みと憎しみが長い年月をかけて深く刻まれてきたような顔だった。しかし今はもはや、その感情さえ伝わってこない。
「……アオイがもう帰ってくる。あいつが次の憑代だ」
そらは短刀を片手にウェイヴに掴みかかった。
「っ……」
ウェイヴが刀を持つそらの手首を捉える。そらは止まらなかった。すぐに蹴りを入れ、彼を壁に叩きつけた。
「はは……頭が良いと聞いてはいたが、まさか武術もできるとはな」
「……」
ウェイヴを壁に押しやり、再び短刀を光らせる。これで終わると思った。
しかし、彼は突然、再び呪詛を唱え始めたのだ。
(まさか、アオイを……)
途端にそらの身体が宙に浮いた。
「!」
床に叩きつけられる。ウェイヴは何もしていない。
「あ……ぐ」
息ができない。血液が逆流しているような感覚がした。喉の奥から大量の血が流れ出てくる。
そらは途端に、正体が分からぬものに対する恐怖を感じた。ウェイヴは既に、恐ろしい程強い魔力を使えるようになっていたのだ。
名前を呼べば、殺される――。
いつかエレミス達が言っていた言葉を思い出した。
まして、対面して、正確な場所を知られているならば尚更。
動けずにいると段々部屋が煙で埋め尽くされていくのに気付いた。火がもうすぐそこまで迫ってきていた。それでもウェイヴが動かないところを見ると、もうすぐ悪魔を復活させる術が完成するのだろう。
止めねばならない。
命に代えても。
全身が痙攣した。荷物の中に手を伸ばすので、精一杯だった。
呪詛を唱える声が低く、体内に響く。気を抜くと浸食されそうだ。
ついに部屋の中に炎が上がった。
そらは声を絞り出した。
「クロノさんからの遺言です」
「……?」
術を唱えながらも彼は振り返り、こちらに視線を送ってきた。どうやら長い間いなに浸食されず耐えることのできたクロノに興味があったらしい。
「――どれだけ力を手に入れようと、そこに生きてるものが持つ強さは何処にも無い。永遠の生を手に入れた時、そこには苦しみだけが有り生き物の持つ尊さは無い」
――あのな、そら。
――はい。
クロノの声と自分の声が、重なる。
前髪と額の間にクロノの手が滑り込む感触、まだ覚えている。
きっと忘れない。ずっと、死ぬまで抱えて生きていく。
いつだって彼が自分を強くしてくれる。
「いつか終わりが来るって分かってるから、俺達は人を愛せるんだ」
そらは息を大きく吸い込み、呼吸を整えた。
「それでも、力を望みますか……?」
ウェイヴは答えなかった。
「そうですか……」
そらは軽く笑い、持っていた荷物ごと炎のなかに投げ入れた。すぐに、黒い煙と共にひどい刺激臭が部屋に充満した。
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次回は【第三章】最終決戦(三)です。
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