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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第四部】王国崩壊
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【第二章】セレステブルーとそらの歌(三)

 ミナトはもう無理だ。

 スザクは早いうちに、南へ逃げるよう町の者に指示を出した。

 それでも逃げ遅れる者がいる。遊びに行った子どもの行方が分からなくなったという話も聞き、慌てて捜索を始めた。さらに身寄りのない者も多いため、全員逃げたか確認するには時間が必要だった。それでもスザクは最後まで残り、町に人間がいないことを出来る限り確認した。


 エレミスとシトラ、リクのことが心配だった。

 エレミスが最初に言い出した。自分があの、屍の群れを少しの時間食い止めると。そして、その間に南へ逃げろと彼は言った。


「こうなったのは、私達王国に仕えた者の責任だ。責任は、私が負う」


 止めようとする自分を見透かしたように金色の瞳がじっとこちらを見つめてくる。それはほんの僅かも揺るがない強い意志を秘めていた。

 ミナトで出会ってからよく共に過ごしたが、彼は始終穏やかで物腰が柔らかだった。取っつきやすさはあったが、内心、こんな者がよく大臣が務まっているとも思っていた。


 シトラだって同じである。そらに現を抜かしているところしか見ていないから、治安部隊のくせに頼りないと感じていた。そんなシトラまでがエレミスについていくと言い出し、さらにそらの友であるリクもその馬の背に乗っていった。


 今ならわかる。

 そらとクロノが、彼らに心から親しみを感じていた理由が。


 事実、あのままでは時間が足りなかった。ここまで徹底的に町の人間を逃がすことができたのは彼らのおかげである。

 サンクオリアまで逃げ、先に行き怪我人の治療を始めていたこうと合流した。


「どうだ、こう」

「逃げるときの混乱で怪我を負った者も多いが、皆命に別状はないから大丈夫だ」


 スザクはほっとして、壁にもたれかかった。小さな診療所に、もう人の気配はしなかった。


「随分と疲れておるな」

「はは……ミナトの町じゅうを走り回ったんだ」


 そのとき、遠くで悲鳴が上がった。がたがたと診療所の扉が揺れる。

 こうとスザクは顔を見合わせた。


「早くないか……」


 こうを守るように後ろに押しやり、そっと扉に近づく。


「誰だっ」


 返事はない。

 外は混乱しているようで、土砂降りの足音がその不穏な気配を伝えていた。


 開けてはいけない。

 でも、もしも外で待っているのが怪我を負い、診療所に逃げてきた人だったら。


 スザクは扉の鍵を開けた。

 待っていましたとばかりにその扉は勢いよく開き、死者が入ってきた。

 スザクは剣を抜き、その身体を貫いた。そのまま外に押しやり、急いで鍵を閉めた。


「逃げるぞ、こう」


 震えているこうの腕を乱暴に掴み、スザクは裏口へ駆け出した。

 外へ出ると、蘇った兵達で町は埋め尽くされていた。倒れている死体はみな、逃げ遅れた町人だろう。


 怪我人を見つけ、こうが駆け寄った。スザクも後を付いていく。

 ひどい怪我だった。肩から心臓にかけて斜めにざっくりと切られていた。


「――た、」


 声を出した瞬間、その女の口から血が溢れ出た。

 こうが女の手をとる。


「た……すけ、て」


 もう助からない、とスザクは思った。

 こうも分かっているはずだ。今は逃げるべきだと思った。

 前にしゃがんでいるこうの腕を引くと、目を大きく見開いたこうと目が合った。泣いている。彼が。


「まだ、生きてる」

「治療してる時間はないぞ」

「私は医者だ。患者がいる限り働き続ける」


 スザクはくいと顎を上げた。


「キリがない」


 こうは辺りを見回し、一瞬息を止めたが、それでも再び強い目をこちらに向けてきた。


「怪我人がいる。ここが、私の生きる世界だ」


 ――私は生きていたい。


 こうの右腕は強くとらえていた。このまま引きずって逃げることも考えなかったわけじゃない。

 それでも自分は、彼の腕をそれ以上引くことができなかった。


 不意に、こうが目を見開き、自分の腕を引いた。


「っ」


 こうの上に倒れ込み、慌てて立ち上がる。見ると、こうして話している間にも、既に屍の軍に囲まれていたのだ。


「スザク、私は……お前を巻き込んでしまったらしい。すまない」


 こうの消え入るような懺悔の声が聞こえた。

 先程の強い言葉とは真逆に、今度はひどく弱弱しい声だった。


 そこで気づくのだ。彼は今まで独りだったのだと。


 ひとりの妹を亡くしてからずっと一人で生きてきた彼の行動が他人を巻き込むことなんてなかっただろう。だから今、自分が一緒にいることに戸惑っているらしい。


 愛おしくて堪らなかった。


(俺が、守る)


 スザクはこうを片腕で抱き、剣を上げた。


***


「季姫、危ない!」


 大蛇の毒が飛んできたことにいち早く気づいた呉羽が、季姫を思い切り押し、自身も彼女を庇うように地面に転がった。

 以前自分達を襲った大蛇と黒髪の女が目の前に立っている。


「青丹……」

「クロノはどこへ行った」


 そう尋ねる声は焦っている風に聞こえた。

 季姫を守るように前に出る。手には短刀。


 背後から季姫が尋ねた。


「貴女は一体、何者なの……。どうして私達を襲うの」

「……ああ……誰かと思ったら、姫様を連れているのかい」


 そして、青丹は続けた。


「……殺したいくらい、憎いねえ……」


 呉羽が青丹に向かって短刀を振り上げる。青丹の長い黒髪がばさりと地面に落ちたが、首筋ぎりぎりのところで、同じく短刀によって止められた。

 風のように早い攻撃と防御が二人の間で繰り広げられる。大蛇は動かず、黄色い瞳でこちらの様子をじっと見つめていた。


「っ……」


 青丹の短刀が呉羽の腕の肉を裂く。呉羽は、季姫が小さく悲鳴を上げたのを何となく聞きながら、なおも短刀を振り続けた。

 金属音と共に刃を交わす度に、青丹の憎しみを感じた。彼女もまた、悲しいのだろう。


(拙いな……)


 自分も腕には覚えがあるが、青丹も相当腕が立つらしい。青丹の僅かな戸惑いが自分の命を繋いでいるように感じられた。腕をやられ、こちらのスピードは落ちている。自分など簡単に殺せるはずなのに。


「呉羽っ」

「来ないで、姫!」


 腹から怒鳴ると、背後から近づいてくる姫の気配が止まった。


「あんたを守るためなら……私は死んでも良いのよ……」

「どうして……そこまで……」


「ああ……そうじゃ……早く、みんな殺してしまわないと」


 額に激痛が走った。目の前が赤く染まる。でも、動くのはやめなかった。自分は死んでも、彼女だけは止めなければ。そうでなければ季姫も殺されてしまう。そんな思いでただ、当たらない短刀を振り回す。


 仲間に裏切られてなお、此処に戻ってきた理由は一つ。

 この国には季姫がいたから。

 妹のように愛らしくて、妹以上に愛おしい。家族でもなくて、友人でもなくて、恋人でもない。この感情をなんと呼べば良いのだろう。


 そう思った瞬間、

「まだまだ、若いなあ……」

 青丹が耳元でくすりと、乙女のように笑った。


 そして、崩れ落ちた。


 背後に、返り血を浴びた季姫の姿があった。護身用のナイフを手に、ぼろぼろと涙を流している。

 青丹もまた、泣いていた。




 ようやく終わる。

 皮肉なことに、自分をこんな風にした者の血を受け継いだツテシフの姫が自分の手を取り泣いていた。だがそれだけで救われる心地がした。

 疲れてしまった。この苦しみから解放されるなら、死ぬのも悪くない。


 口からどろりとした液体が流れていく。動けない。背中がどうしようもなく熱い。意識が途切れそうだ。早く楽になりたい。


 それでも必死に意識を繋ぎ止め、言わずにはいられなかった。ここにあの日、いなと共に戦った、報われない女がいたことを。

 青丹は呉羽に向かって声を絞り出した。


「……私も、百年前、あんたみたいに琴姫に使えていた……大好きだったのに、姫は殺された……。救えるのは、いなだけだったのに……」


 あの日、部屋の外で琴姫といなの最後の会話を聞いていた。いなは必ず琴姫を救い出してくれるだろうと思われた。しかしいなは断った。その上、「帰ってきた時、同じ気持ちだったら一緒に逃げよう」と、彼女に呪いをかけていったのだ。


 あの後、私は何度も姫に「逃げよう」と言った。しかし彼女はいなを城で待ち続けた。その結果、殺された。その時私は姫の隣にいて、持てる力全てを使って守ろうとしたが、所詮は女一人の力。ほとんどの従者は敵に寝返り、彼女と共に生き延びる術など残されていなかった。


「いなも、琴姫も、憎い……」

「だから、いなが苦しむように復活に手を貸したのね」

「ああ……同時に、クレアスもツテシフも、滅びてしまえばいいと……。でも、私が愚かだった……」


 そう……秋月の夫を唆したのは私だ……。


 たくさん殺した。

 赦されるなんて思っていない。


 でも……。


(そら……?)


 遠くから、歌声が聞こえてくる。


 一度ゆっくり目を閉じてから再び開けると、涙で滲んだ視界に琴姫の姿が映った。瞬間、青丹は目を細めた。

 琴姫は自分の両頬を小さな手で包み込み、ごめんなさい、と言った。そして、ありがとう、と。


 次に目を閉じて映ったのは、果てしなく広がる青空と海だった。


***


 今、クロノといなは一つだった。憎悪と後悔。いなの感情が直に伝わってくる。

 しかし今身体を動かしているのは間違いなく自分だった。自分の意志で、暴れている。


「ははは……」


 両手に持つ刀がそれぞれ軽くなったような気がした。自由自在にそれを操ることができた。感情を持たぬ屍たちは、何のためらいもなくこちらに突っ込んできてくれる。


 沢山殺した。

 今更何を躊躇する。


 これから自分も逝くのだと思ったら、思う存分暴れるのが楽しくもあった。


 呪詛は鳴り止まない。耳の奥で、焼きつく。

 今、楽しんでいるのは自分か、いなか。


 全身の血が燃えているように体が熱かった。


 開けた場所に出た。そこに兵はもういなかった。そこで止まればいいのに、血のざわめきに逆らえぬまま、元来た道を引き返す。そして、何度も刀を振るった。止まらない。暴れたくて、堪らない。


(俺の、本性か……?)


 それとも、いなの怒りや苦しみを自分のものだと錯覚しているのか。


 その時、呪詛の声に逆らうように遠くから歌声がやってきた。そらの声だった。

 最初はかすかに聞こえる程度だったのに、今は、周りのこの、淀んだ空気を浄化していくようにはっきりと聞こえてくる。


(そらの声だ……)


 周りを囲む兵達の動きが止まった。それはゆっくりと消え、雨となり、海に還っていく。


 クロノはもう、だめだと思った。

 この歌声を聴いても、いなの憎悪が消えない。殺すことに何の躊躇もできない。


 ただ、あの日々が懐かしくもあった。


(今なら止められる)


 クロノは灰の入った袋を袖から取り出し、短刀で裂いた。こびりついた血と脂にその灰はよく絡んだ。


 いなはきっと琴のことを心から愛していたのだと思う。ただ、運命に逆らうのが恐ろしかっただけ。

 そのためにはらう代償は、決して自分のものだけでないから。


 これから逝くのにひどく静かだった。


 喉元に切っ先を持っていく。

 刃が吸い込まれていく。


 ただひたすらに静かだった。

 そらの歌声を最期まで聴くために。


 最後に残るのは、剣か。それとも。

 そんな話を、ずっと前にそらとした。


 あの夜からずっと分かっていた。

 自分が最期に求めるのは、彼の歌だって。


 願わくば、彼の音を聴きながら。


(ありがとな……そら)


 どんっと勢いよく地面に打ちつけられる音が耳元に響いた。

 馬から落ちたのだと思った。そこで意識が途切れた。


次回【第二章】セレステブルーとそらの歌(四)

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