製品と清貧
清貧と言う言葉がある。
富を求めず、貧しいながらも清く正しく生きようとする思想だそうな。
自分の様に貧乏な家庭に生まれ、貧乏として生き、貧乏として死ぬ予定の善人にとっては、なんとも素晴らしい言葉である。
そんな貧乏人にとって素晴らしき思想の清貧。果たして、本当に、この思想は正しいのであろうか?
自分の心の根源…そこに力強く根付いている、清貧と言う思想。それが間違っているとなれば、自身の思想の全てが否定される様な感覚に貶められる。
だから清貧思想とは正しいものだと思いたい。でも大人になり、社会に出て、多くのものを学びし時…自身の清貧思想の間違いに気付かされ、それを正さなければならない事に至る。
認めたくは無いが、目を背けずに清貧と向き合おうではないか。その間違いを正さんが為に。
日本の伝統工芸品である漆塗りの茶碗。十万円以上する、超高級品だ。
その隣に100円ショップにある中国製の安物の茶碗。勿論、百円の価値しかない。
さて、茶碗を購入する時に、自分ならどちらを選ぶか?清貧思想で貧乏人の自分では、選択の余地など無い。中国製の安物の茶碗を選ぶ。いや、そちらしか買えない。
安物の茶碗を購入した自分が語る。
「高級品の茶碗なんか必要無い!ご飯が盛れれば高級品も安物も一緒!寧ろ高いお金を払って高級品を買う奴なんか、贅沢なダメ人間!清貧こそ日本人の美しい心!自分は貧乏だけど、とても美しいのだ!」
…などと考えている貧乏人は多いはず。自分も若い頃はこんな思想でした。うん、まさに狂人!認めたくは無いところですが、これこそ狂人思想!ここから学ぶべき事こそが狂訓なのである!
貧乏人にとって不要な贅沢品。では、その贅沢品は、社会にとって…果たして、本当に、不要なのだろうか?
仮に、お国のお偉いさんが海外のお偉いさんに、贈り物をする事になった。その時に日本の伝統工芸品を贈ろうとする。漆塗りの高級茶碗だ。
そこで、お偉いさんが日本の伝統工芸品を自慢げに贈ろうとしたところ…もし、漆塗りの文化が途絶えていたらどうであろう?中国製の安物の茶碗でも、代わりに贈るべきか?そんな物を贈るぐらいなら、何も贈らない方がマシだ。
国の威信に関わる問題。日本の伝統文化を途絶えさせる事は、恥でしか無いのだ。
貧乏人にとっては、敵愾心むき出しの高級品。でも、それは社会にとっては必要不可欠なものなのだ。
勿論、物が大事なのでは無い。伝統工芸を作れる、受け継がれし技術力こそ必要不可欠な存在。
日本人が長きに渡って培ってきた高い技術力。島国で物資の乏しいお国柄の日本、それを支えてきたのが、その高い技術力。
そんな高い技術力のある職人達。残念ながら、減少の一途を辿っているそうな。
不況もさることながら、ゆとり世代が職人気質とウマが合わなかったりと、事情は多々あれ日本の宝が失われつつあるのだ。
さて、そうした現状において貧乏人が清貧思想をかたる。贅沢は敵なのだ、と。
…いや、おかしいでしょ?高い技術力によって良いものを作り、それが社会に流通するからこそ、景気は良くなり職人の腕も磨かれる。それを否定してどうするのか?
貧乏人が清貧を支持して中国製の安物の茶碗を購入。これが本当に日本の為になるのか?逆に売国奴と言えるのでは?
清貧を尊ぶあまりに、大切なものを失っている事に気付いていない。それが清貧思想。それが狂人。
漆塗りの茶碗、一つとっても日本の素晴らしい文化だ。そしてそれを作る過程で必要となるハケにしても、職人が必要となる。
高級漆塗りの茶碗なら、使うのは毛の抜けにくい高級のハケ。これは一本、何万円もする。職人の高い技術力によって作られるのだ。
本当に良いものを作るのであれば、多くの職人達が協力しあって作られる。そうやって作られるのが、素晴らしい製品。
貧乏人が持つのがしょうもない清貧。さて、どちらが正しく、どちらが間違っているのかは、一目瞭然であろう。
貧乏人が生涯貧乏人であったとしても、それは仕方のない事なのかも知れない。でも貧乏である事を正当化する「清貧」を尊ぶのは仕方がないでは済まされない。
清貧は社会にとって害悪。僕の様に心改めなければ、清貧思想が国をダメにする。
まず、金持ちが卑しい存在だと考えるふちがあるが、それは勝手な思い込み。
金持ちだろうが貧乏人だろうが、善人は善人だし悪人は悪人。資産で人の善悪が決まるわけでは無い。
正しいのは、お金を使いこなせるかどうか。
お金の使い方を理解せず、派手に無駄遣いして浪費するのが悪。お金を貯める事だけを考えて、貯蓄することしかできないケチなのも悪なのだ。
お金を稼いで使って、社会で流通させる。それが社会貢献に繋がるのだ。
貧乏人は沢山のお金を持たなくても、少しでも社会貢献に励む様、努力するべきでは無いだろうか?
清貧を掲げて貧しく生きるのならば、それはデフレスパイラルを促すだけなのだから。
自分が正しいと思っていた清貧。それの間違いに気付き、自分は考えを改め直した。
しかし、考えを改めても貧乏人は貧乏なまま。改めたところで何かが変わるわけでは無い。
…もし、小説家としてデビューして人並みの収入が得られれば、社会貢献として色々な買い物に勤しみたい所存。読者からの応援が無いと…ね。それも不可能なのですよ。
【追記】
お中元やお歳暮の数は年々少なくなって来ている様です。不況もさることながら、人間関係の希薄が主な原因かと。
贈り物だから良い物を贈る→質の高い物を作る製造業が活性化→高品質な物が流通され、経済も活性化
…これが理想ですが、今はデフレスパイラル。不況や人間関係の希薄がお中元やお歳暮の文化を衰退させ、高品質で高価格な物が売れず。良い物を作りし、担い手が減少。
最悪ですね。
応援ないと貧乏なままに…。
|ω・`)コソ
応援あっても生涯貧乏かも知れませんが。
|ω・`)チラッ




