爪先の境界線 ―ナズナ―
安心してください…何も起きませんよ。
夢を見る。
――「待っててね、ナズナ」
聞こえてくるのは幼さ残る少年の声で、そのセリフだけ。目の前に広がるのは、池なのか湖なのか……とにかく、立っているのは森の中だ。足元にはタンポポ。それも全部が全部、そろって白い綿毛になっている。
どうしてこんな夢ばかり。草木生い茂る場所なんて、生まれてこのかた校外学習で近所の山を散策したぐらいで……――――
「ナズナ、ナズナってば!」
「え? ああ、私の番?」
「んもー!早くぅー!」
「じゃあコレ……はい、あがり」
「えっ、うそ!」
「マジかよ!」
「相変わらず引き強ぇな」
ほんとだよ、と言う代わりに、揃ったカードを見せた。ハートの5とダイヤの5、これでババ抜きは私が一位抜け。アサミとシュウトが超悔しそうに自分の手札を睨んで、カズキは静かにコメント1つ。
人生で何戦したか分からない、ジュースのおごりを賭けたババ抜き。自分で言うのもアレだけど、今までの勝率は私がダントツ。
この日は結局シュウトが負けた。
「ナズナさぁー、昔からほんっと強いよね、ババ抜き」
「憑いてんじゃねーの? 狐とか」
「何でそーなんの。私、狐あんま好きじゃない」
ご近所で幼馴染みの私たちは、よくこうして集まって勉強会(という名のお喋り会)をしている。小学生の時からの恒例行事で、シュウトとアサミの部活かぶりを除けば、出席率は割といい会合だ。
「好きじゃないって、じゃあ何が好きなんだよ。犬? 猫? 似合わねーけどウサギ?」
「アルプスアイベックス」
「何て?」
「アルプスアイベックス」
「いや2回言われても意味わからんし! 知らねーよ!!」
「ウチは断然ネコ派ー!」
「フツーに会話続けんな!」
「シュウト、画像出たぜ」
「おおサンキュー……って、何でお前はそう対応早いんだよ! 安定感抜群か!」
「それほどでも」
「褒めて……るけど!!」
「いいでしょ、その角と輪郭」
「ぜーったいネコのが可愛いってー」
「見事な曲線だな」
「俺だけか……この流れが意味不明なの俺だけなのか……」
無気力(と言われる)私と、天真爛漫マイペースなアサミ、のんびりしたカズキ、振り回され上手なシュウト。無気力だけど、無気力だから、ちょうどよかった。この空気が、会話のペースが、役割が。
だから、何処にも行かないよ。誰に何を言われようと、誰に何と唆されようと。
私はココにいる。4人でいる。
――「彼らといなくても、ナズナは生きていけるんだよ」
まただ、変な夢。ようやく違うセリフを覚えたんだ。それにしても、随分身勝手なプレッシャーのかけ方してくる。
突風が私の背後、ずっとずっと後ろから駆け抜けてきて、タンポポの綿毛が一斉に舞う。何処へ行くのかな。陽光と、湖と、木々。全部の色が混ざり合って、モネの画の中にいるみたい。
――「迎えに行く、必ず」
******
「ナズナーっ、今帰り?」
「うん」
「んじゃ伝えといて。今日ね、試合前だから部活延びそうでそっち行くの遅れるぽい」
「分かった、がんばって」
「あんがとー!」
アサミと別れの挨拶を交わし、校門を出ると、一匹のネコに遭遇した。グレーの毛並みをキラキラさせた、ロシアンブルー。首輪が付いているから、どこかの飼い猫だろう。
何にせよ、正面に立たれてグリーンの瞳に見つめられ、帰路につく足を止めてしまった。今日は喫茶店で落ち合う約束。早く行かなくちゃ。避けようとすれば、同じ方向にネコは足を伸ばした。
何なの、私に飼い主探せってか。嫌だよそんなの、面倒くさい。
溜息をついてから逆方向に避けようとしたものの、またしても猫は通せんぼした。
「にゃあ」
面倒くさい。アサミのトコでも行けばいいのに。きっと可愛がってくれるだろうから。……けどまぁ、せっかくだし撫でてあげるか。屈みこもうとした、その時。
後ろから、ぐいっと腕を引かれてよろめく。私の肩は、私を引っ張った張本人・カズキの胸元にぶつかった。
「カズキ」
「ナズナも今から喫茶店?」
「そうだけど……」
「俺も。シュウトもう席取ってるってさ、急ごうぜ」
「うん」
私の返事を聞いたカズキは、ネコを撫でながら謝る。
「悪ぃな、ナズナはアルプスアイベックスにご執心だってさ」
「……にゃあ」
そのままスタスタ歩き出すカズキに、私は小走りでついていった。何故か、ネコは通せんぼしてこなかった。
「カズキ、よく覚えたね」
「んー……まぁ、何となく。画像検索した時、名前打ったし」
「そっか」
「ナズナって、結構大事なことポロッと言う」
「そーなの?」
「そう」
「アルプスアイベックス?」
「アルプスアイベックス」
変なの、と笑う私に、カズキも笑った。
******
――「待っててね、ナズナ」
また、この夢。綿毛は何処に飛んでったんだろう。
――「次は、必ず」