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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

氷狼の温もり

作者:べるふぇ
 凍りつきそうなほどに冷え切った雪ウサギにかぶりつき、私はため息をついた。私に目をつけられなければ今も動いていたであろう哀れな獲物の肉を食いちぎっても、血液が噴き出ることはない。限りなく温度が下がっているからだ。

 前世の記憶は、薄ぼんやりとある。私は昔、ヒトだった。でも、今はもう魔物だ。ヒトとしての倫理観とか考え方とか矜持とか、そんな面倒くさいことを引っ張り出してくるつもりはさらさらない。ただ、大抵のものはどうでもよくなっていようと、ヒトとしての記憶があることによる唯一にして最大の問題が、一つだけある。

(冷たい……)

 氷の魔物である私が本来は知るはずのない熱、温もり、暖かさ。精神的なものでなく物理的な、温度。その心地良さを、生まれた時から知ってしまっていることである。



 私が生まれたのは、一年を通して雪が溶けることのない場所。ごくごく稀に弱々しい太陽が顔を出すこともあるけれど、大体は重苦しい曇天か雪か吹雪。植物は一応背の高い針葉樹が生えてはいるけれど、そんなに多くはない。この環境に適応して生息する魔物の数は少なく、基本的に静かな世界である。

 私は母の胎から生まれたわけではない。この極寒の地の吹き溜まりに魔力が凝って、長い長い年月をかけて私という魔物ができた。前世という基軸をもって自分の状況を理解できた私は体ができるときに狼のような姿を想像したため、今の私は銀色の大きな狼だ。成り立ちからして魔力の塊のような私に刃向かう魔物はおらず、危険な目にあったことはない。食事も、ごく稀に先ほどのように魔物を捕まえていただくこともあるが、基本的にはこの地の魔力で事足りる。

 そう、暮らしに不自由はないのだ。体調不良になったこともないし、吹雪の中でも問題なく活動できる程度にはこの体は強い。私に余計な記憶がなければ、なんの不満もなかったのかもしれない。

 けれど、私は知っている。普通、生き物には体温がある。温度がある。私がこの地で吐く息は、白くない。けれど、例えば先ほど仕留めたウサギの息は、私が触る前は白かった。ならば私が食らったときにはなぜ冷え切っていたのか。答えは簡単、私が触れた瞬間に凍り付いてしまったからだ。そう、私は自身が冷たいだけではなく、触れたもの全てを冷やしてしまう。凍りつかせてしまう。そんな生き物なのだ。

 ある時、私は南に向かうことにした。今いる場所が具体的にどこかは知らないが、生まれてからずっとあてのない徘徊をしていた成果として、暖かいのがどの方角かはなんとなくわかっている。それが南、ということでとりあえずいいだろう。とりあえず、強い太陽光を浴びてみたい。理由はその程度だ。私本来の生態からしたら熱はありがたくもなんともないのだろうが、私は暖かいものに触れたい。それで体調や気分が悪くなるのならそれはそれでいい。不快にさせてくれるなら、単に未練が消えてこの地に戻るだけだ。

 急ぐ理由はなにもない。私は気分に任せて走ったり歩いたりしながら、南を目指した。ある程度進むと針葉樹ではない木が見つかって、楽しい気分になった。もちろん、雪はしっかりかぶっているけれど。また、雪が降らない日が増えてきたような気もする。積もる雪の量も明らかに減ってきた。

 急がず気まぐれに、目新しいものを見つければそちらを優先しつつ、なんとなく南を目指す。そんなことを続けていた私の鼻が、ある時妙なにおいに気付いた。雪と氷の世界ではあまり役立てたことがなかったが、私は鼻がいいらしい。ハッとして前方に目をこらすと、大きな灰色の壁のようなものが遥か彼方にぼんやりと見えるような気がした。

 私は走った。全力で走ると壁のようなものはぐんぐん近付いてきて、砦のようなものがあるのがわかった。人間の集まり。砦だか町だか、よくわからないが、それなりに高い壁にくるっと周囲を囲まれた中から、人間のような声がする。高い壁には門のような場所があり、地上から2メートル程のところに中と繋がっているらしい見張り台がある。そこには見張りの人間が二人立っているが、そこそこの距離がある上に雪が降る中、銀色の毛皮を纏った私のことはまだ発見できていないようだった。

 近付いたら攻撃されるだろうか。しかしたとえそうなったとしても、正直、人間の攻撃が今の私に効くとは思えなかった。攻城兵器とか、そのレベルの殺傷力をもったものを持ち出してくれないと怪我もしない気がする。これは過信だろうか。もしそうならそれでも仕方ないだろう。

 私はゆったりと歩いて門に近付いていく。ある程度近付いたところで、見張りの人間と目があった。男は息を詰め、手にしていた長い槍を取り落としかける。声を出そうとしたようだが喉にひっかかって上手くいかず、何事かと振り向いた相方に指でこちらを示す。こちらも顔を引きつらせた相方を尻目に何とか息を吸った一人目の見張りは、ようやく声を上げた。

「~~~~!!!」

 ……。ああ、言葉がわからない。だが、敵襲だとか警戒しろとかそのあたりだろうか。閉まっている門の中がにわかに騒がしくなるのがわかる。

 何となく近付いてみたはいいが、特に目的があるわけではない。強いて言うなら交流を持ってみたい気持ちはあるが、なんでも凍りつかせる巨大な狼に平和的な対応はしてくれないような気がする。それは、大きな門の横の小さな扉から武器を持った兵士がわらわらと出てきたことで確信となった。

「~~~~、~~?」

 先頭に立った兵士が何かを言っている。何かを問いかけるように語尾が上がった気はしたが、それだけだ。わかるはずもない。人間の兵士たちからは緊張が伝わってくる。

 私はふいと横を向いた。進路を東にとって、この町を迂回して南を目指そう。興味なさげに町を迂回しようとする私に兵士達は襲いかかってくることもなく、ただ緊張を滲ませた目でじっと見送られているのがわかった。

 少し走ったら町を囲む壁はすぐに終わり、私はまた南へ進む。雪が故意に踏み固められたような道が町から伸びていたが、わざとそこからは離れて歩いた。私は魔力で、踏み固められていない雪の上を沈むことなく歩くことができる。そうでなければ豪雪地帯で自由な移動などできない。応用すれば水の上も歩けるような気がするが、悲しいかな凍っていない水というものをまだ見たことがなかった。

 それから南に数日で、景色は劇的な変化を遂げた。ところどころ、地面が見えるようになったのだ。雪はまだ降っているが、大分弱まった。大きな木の下や日当たりの良さそうな場所などは、地面が顔を覗かせている。そこには背丈の低い雑草のようなものも生えていた。魔物として生を受けてから初めての雪の積もらない地面に興奮し、鼻先で雑草に触れたら哀れな草は一瞬で凍りつき、砕けた。

「…………」

 一気にテンションが下がり、私はまたのそのそと南を目指す。とりあえず雪のないところへ。日射しの強いところまで。私の体は冷気の薄膜に覆われているらしく、ごく稀に覗く弱々しい太陽からは一切の熱を感じ取れない。もっと暖かいところに行くしかない。

 数日後、ついに雪は止んだ。雪は日照の悪そうな場所に残るだけで、ない場所の方が多くなった。それなのに、私の気分は晴れない。

 私は後ろを振り返る。私が歩き、踏みしめた地面や草花は凍りついている。周囲には白く霜が降っていた。

 素早く動けばここまでにはならない。しかしゆっくり歩けば、私の後ろには凍った道が作られている。足を休めて眠ろうものなら、起きた頃には氷の寝床ができあがりだ。これは、雪の上を歩いていた時には気付かなかったことだった。たまに顔を見せる太陽は、元々の豪雪地帯よりは遥かに強いような気がしたが、やはり私に熱を届けるほどのものではない。私はもっともっと南を目指す。

 ふと、視界の端でちらりと動くものがあった。そちらに意識を向けると、巨大なツノを持った鹿が怯えたようにこちらを見ている。逃げ遅れたのだろう。鹿と私はしばし見つめあった。耐えきれなくなった鹿が後ろを向いて逃げ出そうとしたところで、私は駆け出した。

 距離を詰めるのは難しくなかった。私は斜め後ろから体当たりして鹿を転ばせ、脇腹を前足で押さえつける。私の方が体格はいいし、それ以上に鹿を蝕むのは私の冷気だ。足をもがかせていた鹿の動きはすぐにぎこちなくなり、押さえつけられた脇腹は外側から凍りつき始め、動きが鈍くなっていく。少しでも早く終わらせてやるべく首に噛み付いて捻るように回してやると、びくんと体を痙攣させたあと固まって動かなくなった。暖かかったはずの命に今日も温もりはなくて、それでも私は無言で鹿にかぶりついた。豪雪地帯にいた頃はその地の魔力だけで生命維持ができており、食事は娯楽に近かったが、ここでは多少は食べないと必要なエネルギーを賄えないらしい。食って初めて、腹が減っていたと気付いた。

 ツノと多少の骨を残し、私はまた南へ。しばらくはもつが、数日おきに狩りをしなければならないと認識した。

 それは、荒野と草原の中間のような見通しのいい場所でのんびりと休んでいた時だった。私は基本的に身を隠すということをしない。私はやはり強大な存在らしく、知覚した生き物は例外なく全てが逃げるか隠れるかという選択を取る。向かってきたものはいまのところいない。

 しっかりと形成されている凍りついた寝床に辟易しながら眠気を飛ばすように首を振り、立ち上がる。歩いてきた方角、つまり北に、十人ほどの人間が立っていた。もし私に遭遇したくて追ってきたのだとしたら、私の追跡は限りなく容易であることだろう。なんせ、氷の道がある。

『お初にお目にかかる。氷の狼王殿、と呼ばせていただいてよろしいかな』

 どうせ言葉は通じぬものと思っていた私は、脳内に直接届くようなその言葉に目を見開いた。動揺する私に、人間たちの中心に立った男は意外そうな顔をする。

『これは念話という技術で、言葉が通じずとも意思を魔力に込めて相手に送ることで意思の疎通を図るものだが……狼王殿は習得しておらぬかな?』

 魔力をそのように使おうと思ったことがなかった。ゆっくりと首を振ると、男は困ったような顔をする。

『我らはこの国家に仕える者。今日は、狼王殿と話をすべく馳せ参じた』

 何を話すことがあるというのか。無言で先を促すと、男は一つ頷いた。

『単刀直入に言うが、お聞きしたいのは狼王殿が北の秘境より出て南下を続けておられる目的だ。城塞都市で八日前に姿を見せられてから、ほぼ真っ直ぐに南下なさっているようだが』

 城塞都市。あの雪と壁で囲まれた灰色の町のことだろう。あれから八日が経っているらしい。

『狼王殿が暮らす上で、秘境の方に何らかの問題があったのですかな?』

 私は首を振った。あそこで過ごす上で実質的な不都合など何一つなかった。ただ、あの白い世界は冷たいだけだ。

『ふむ。では秘境の外に何らかの目的があって南を目指しているようだが、具体的な目的地は定まっておるのですかな?』

 またも私は首を振る。

『では、進路が南なのは偶然?』

 首を振る。

『ふむ、では……』

 男は少し考えて次の質問を……って、私はどうして馬鹿正直に付き合っているのだろうか。熱を感じたいなんて理由、このイエスノー方式の会話ではなかなか出てこない気がする。少なくともかなりの根気と時間を要するのは間違いない。そんなものに付き合うのは面倒だし、そもそも理由を教える義理もない。

『ちょっ!』

 私は男たちを無視して南へ向かうことにし、背を向けて駆け出そうとした……その瞬間、突然私に向けて火の玉が飛んできた。私が睨みつけると急激に温度が下がって消滅したその火魔法をはなった張本人、念話を使っていた男の隣に立つ赤髪の男をギロリと見据える。十人ほどの男たちは戦闘態勢に入り、張り詰めた緊張感が漂っていた。

『申し訳ありませんがもう少しお付き合いください、こちらも手荒なことにはしたくない』

 面倒くさい。確か念話は、意思を魔力に込めて相手に送る、と言っていたか。私はとにかく強く念じて、魔力の塊を思い切り男たちにぶつけてみた。

『キョひす、る!』

 ギィィン、と。魔力で耳鳴りがしそうな強さと聞き取りにくい不明瞭さで、男たちにぶつかった念話が弾けたのがわかった。連中は平衡感覚を失ったかのようにふらつき、頭を抱えて地面に倒れる。今のは念話をはなった私の側も少しグワングワンとした。どうやら念話は、力一杯魔力を込めるものではないらしい。

 まあ、いい。私は今度こそ彼らに背を向けると、南へと向かって歩き出した。魔力に当てられて頭痛だか吐き気だか目眩だか知らないが何らかの体調不良に悩まされる男たちはみな、地面に転がって耐えるように頭を抱えたままうずくまって動けない。うめき声に混じってまるで引き止めるような声がした気もしたが、念話を使うほどの集中ができないのか私に声が届くことはなかった。

 それからまた南へ進み、小高い丘の上に立ったとき。私は、彼らが私に声をかけ、おそらくは南下を止めようとした理由を発見した。大きな人間の町である。もう周りに雪はない。太陽も暖かそうに照りつけており、冷たいのは私の周囲だけだ。

 いつかの城塞都市とは比べ物にならないほど、町は大きかった。あれが都市ならこれは大都市と呼べばいいのだろうか。そしてその大きさのせいか、城塞都市と違って周りに防壁のようなものは存在していない。せいぜい1メートルほどの、頑丈でもなさそうな柵が内と外を隔てている程度だ。見通しのいい広い草原にあるこの町は、ある程度の戦力を持っているか、もしくはこの辺りの魔物が弱いか、とにかく襲われることは稀なのだろうと思う。

 さて、どうするか。これは広いから、迂回するのは少し骨が折れる。そう考えてから、私はため息をついて空を見上げた。太陽が照りつけている。今は冬か、夏か、どちらに近いのだろう。それともここは、四季がはっきりしていない地域なのだろうか。なんにしても、それなりに草が茂っているから、真冬であるという可能性は低く感じる。

 ……これよりも暖かくなったとして。私がそれを実感するときは来るだろうか?

 南に向かう。その行為に意味がないかもしれないことに、私は気付き始めていた。冷気に守られた、極寒の支配者。私はきっとそんな生き物だ。

 どこに行こう。立ち尽くす私は、町から兵士のようなものがわらわらと出てくるのを知覚した。その数、30ほどだろうか。兵士とは言ってもその見た目も動きも格段に統率がとれているわけではなく、そう、あれは、冒険者とかそういうものに近いのかもしれない。明らかに私を意識し、私を目指して進軍してくるそいつらを見て、私は丘を駆け下りた。突然の急接近に動揺して戦闘態勢を整える人間たちの前に降り立つ。その中には、先日遭遇した連中も数人含まれているのが見て取れた。念話の男もいる。

『先日はどうも、狼王殿』

 のんびり南下していたので、この男たちが私よりも先にこの町についていることは特に不思議でもない。そして、私の念話という暴力で地面に転がっているのを放置したことを考えると、先日よりも明らかに重装備で戦う気満々なのもまあ頷けるだろう。

『争いたくはない。北の秘境へと帰ってはもらえないだろうか。対価として、我らが手助けできる範囲内で狼王殿の目的の助けとなる準備はある』

『……ナ、ぜ?』

 前回の反省を生かして魔力を抑えて問いかけてみると、今回はうまく通じたようだった。難しい思念を送ることはまだできそうにないが。

『狼王殿の移動により、周辺の魔物が逃げ出して生態系が乱れている。我ら人間の町にも影響が出始めており、我らはこれを解決したい』

『……知らヌ』

 それは私の知ったことではない。勝手に逃げていく魔物に配慮して移動範囲を制限しろというのか。そう思ったが、そんなに詳しく伝えられるほど私の念話は発達していない。

 にべもない返事を返すと、人間たちは緊張した面持ちで剣や杖を構えた。念話の男が少しだけ待ってくれと言わんばかりに周りのやつらを目で止める。

『……狼王殿はどこに向かっておられるのかな?』

『ミ、ナミ』

『なぜ?』

『アタたかサ』

 男は首を傾げた。

『太ヨウ、ネつ。……冷タい』

 言語能力の限界を感じた私はため息をついた。まだ文章は難易度が高い。単語の羅列のようになってしまったこれも、果たしてきちんと伝わっているのやら。

『北へ帰ってはもらえないのかな?』

 やはり理解できなかったらしい男が、最後通告のように聞いてくる。私はゆっくりと、頷いた。

 その瞬間、私に向けて一斉に火魔法がはなたれた。どうやら火を扱える魔法使いを多く集めていたらしい。複数人が同時にはなったそれは業火の塊のようになって私に迫るが、しかしそれでも大きな脅威ではないということが私にはわかってしまった。

 私が望めば私の目の前に不可視の冷気の壁が現れる。それに触れた途端、業火の塊は急激にその温度を冷やされて消滅していく。3秒ほど拮抗してから、綺麗に消えてしまった。おそらく私の弱点が高温や炎なのは正解だ。だが、いくら相性がいいと言っても氷や冷気と反対属性のそれは、私の魔力を貫くほどの威力がなければ私をどうこうできるはずがない。圧倒的な実力の差があった。

 あまりにあっさりとした魔法の消滅に動揺しつつも、人間たちは私を囲むように移動する者と再度の火魔法を準備する者とに大きく分かれた。事前に打ち合わせがしてあったのだろう。

 二撃目の業火がはなたれた瞬間、私はわざと鼻先から炎に突っ込んだ。人間が驚愕する。

 ……火はさすがに熱いかもしれないと思った。それでもこの程度の魔力なら致命傷は負わないという確信があった。なら、暖かいかもしれないと思い立った。そうしたら居ても立っても居られず、私は自ら望んで炎に巻かれる。

 けれど、結論から言うと、炎は熱くなんてなかった。私の体は冷気の膜に覆われている。触れたもの全てを凍りつかせる私の体質。私の身を守るために存在する、盾。

 炎には私の視界を邪魔する程度の効果しかなかった。ぶるる、と体を震わせるとそれも搔き消える。視界が確保されると、まだ私が触れてもいないのにすでに凍り付いたかのような表情をする人間たちがよく見えた。火魔法を主体に戦うつもりだったのだろうか。相殺もせずに突っ込みながら無傷の私を見て、さぞかし絶望しているに違いない。

 その中で、もはややけになったかのように次の火魔法を準備している、先日も私に魔法を撃ってきた赤髪の男が目についた。率先して私に攻撃したがる男だ。私はそいつに向けて走る。横から剣や槍が振るわれたが、それらは大した衝撃ではなかったし私に傷を付けることもできなかった。

 障害とも言えないような障害をくぐり抜け、赤髪の男を押し倒す。私は四つ足で立った状態で、人間と目線の高さが同じくらいである。後ろ足で立ち上がれば人間よりも遥かにでかい。そんな私に手加減込みとはいえ飛びかかられた赤髪はなすすべもなく背中から倒れ、苦しそうに咳き込んだ。肩のあたりを前足で軽く押さえ込んでやると、声にならない悲鳴をあげる。私の冷気が、肩から侵食しているのだろう。

『や、やめろ!』

 非戦闘員だったらしい念話の男がうろたえきった声を上げるが、やめる以前にどうするか考えていなかった。まあ、ここらで一人くらい殺しておくのもありだろうか。

 そう考えて頭ごと顔を噛み砕こうとしたとき、私の左脇腹になにか暖かいもの(・・・・・)がはりついた。


 ――全ての思考が停止した。


「〜〜!!!」

 はりついた暖かい何かは、知らない言葉で何かを叫ぶ。呆然として動かない私と視線が合った、組み敷いた赤髪は苦痛に彩られた顔をニヤリと歪めた。

 次の瞬間、顔に炸裂した赤髪の火魔法の熱さ(・・)に私は驚いて悲鳴をあげた。ダメ押しのように赤髪に横面を殴られたことはまあ大したダメージではなかったのだが、フラフラと赤髪の上を退いて地面に座り込む。暖かい何かはもう脇腹にくっついてはいなかった。

 私は唖然としながら、暖かいなにか……先ほどまで私の脇腹に抱きついてきていた人間の青年を見つめる。栗色の髪をした彼からは魔力を感じなかったことから完全にノーマーク、むしろ存在に気付いていないレベルに気にしていなかった。栗色は起き上がれない赤髪を心配しつつ、座り込んで石のように動かなくなった私を警戒する素振りを見せている。

 なぜ。どうして、私に触れたのに、あれは凍り付く気配がない?

 援護するとばかりに周りの連中から飛んできた炎に再び巻かれながら、私は混乱の極致にあった。炎はもう熱くない。致命的ではないにしろ効果があったのは、さっきの赤髪の炎だけだ。だがその赤髪の炎も、それよりも前に食らったときには全く効かなかった。

 ゆらり、と。抜けかけた腰に力を込めて、なんとか立ち上がる。ユラユラと幽鬼のように、目指すのは栗色のところ。自分が狙われていると気付いた栗色は顔を引き攣らせ、間に戦闘員らしきものが立ちふさがるがすべて押し除けた。割り込む人間があまりに邪魔なので乱暴に払ったら思ったよりも叩きつけてしまい、栗色の顔色を見て後悔したため、そこからはできるだけダメージを与えないようにどかしたので少し時間がかかってしまった。

 だって、この栗色は、私の希望かもしれないのだ。魔力がないこれは、雑に扱ったら壊れてしまう可能性が非常に高い。そんな儚いこれが、希望かもしれないのだ。殺すのはいつでもできるが、一度壊してしまえば治す力は私にはない。

 間近で覗き込むと、栗色髪の青年の目は明るい茶色をしていた。その目には、じっと覗き込む私自身と彼の恐怖が映っている。背を向け、走って逃げても希望がないことは理解しているのだろう。それか、逃げたくても怯えた体が動かないのかもしれない。

 私は少しだけ震えながら、あまり厚くない彼の胸板にそっと頬を擦り付けてみた。強く押したら転んでしまうかもしれないから、そっと優しく触れるだけだ。

 果たして、その体は……暖かかった。

 それを認識した瞬間、視界が滲む。慌てて少し離れてみるが、栗色が凍り付いた様子はなかった。さっきは突然で混乱していたからわからなかったが、間違いない。この魔力のない青年は、触れた相手の魔力だか魔法だかを打ち消すような能力を持っているのだろう。だからさっきも、青年が抱きついてきていたから、赤髪の火魔法が私に通ったのだ。

 もう一度、頭ごと青年の胸に擦り付ける。暖かい。確かに暖かい。ポロポロと泣きながら自分に擦り寄ってくる、自分よりもでかい狼に困惑していた青年は、戸惑ったようにそっと私の頭に触れた。私が上目遣いに窺う以外何もしないとわかると、両手でそっと抱えるようにして遠慮がちに首のあたりを撫でられた。私はそっと目を細めた。





『イアン、おいで』

 私は絨毯の上に寝転び、自らの腹を鼻先で示す。イアンは苦笑して、栗色の髪をかきあげながら読みかけの本を持って私の元へやってきた。私の毛皮に埋もれるように座り込むと、読書を再開する。私はその暖かさに安心して、瞼を閉じた。

 あの日、私はこの栗色の青年、イアンについて行くことを決めた。私の目的地はここだと思ったのだ。

 私の無双っぷりに死すらも覚悟していた人間たちは、突然犬っころばりにイアンに懐き出した私に呆然。念話の男を介して何とか意思を伝え、和解した。その時に不便すぎたので猛特訓を行い、今では完全に念話を習得している。ちなみにイアンは魔力がないために念話は絶対に出来ないので、イアンの話す言語の習得に向けて目下勉強中だ。簡単な日常会話くらいなら聞き取れるようになってきた。

 イアンは魔力がない代わりに、触れたものの魔法を使えなくする能力がある。それは、私の冷気のようなオートで発動しているものも含めてだ。そうは言っても魔力のないイアンが敵に触れるという時点で相当な危険が伴うし、使いどころは限りなく狭い。それを聞いた時、対私専用の能力だと本気で思った。イアンが絶対に私から手を離さないこと、つまり誰かが間違って触れて凍りつく事故を起こさないよう冷気を発動させないことを条件に町に入れてもらい、最初はガチガチに縛られていた行動制限や監視も最近は少しずつ減ってきている。基本的には、町を歩く時はイアンのことは背に乗せている。触れ続けるのに一番楽だからだ。

 イアンは暖かい。行動制限をかけられても、その一点だけで許している。

 イアンを腹に乗せてゆったりと目を閉じていた私は、足音を聞きつけてそっと目を開いた。外を見つめる私に気付いたイアンが声を発しようとしたところで、玄関の戸が叩かれた。

「イアン!おい、いるか?」

「いるよ、ライド。今開ける」

 イアンはひょいと立ち上がり、戸を開けに行った。ああ、私の温もり。

 顔を出したのはいつもの赤髪だった。ライドと名乗ったこの火魔法使いの青年は、イアンとは長い付き合いらしい。危ない危ない、あの時殺さなくてよかった。ライドは私をチラリと見てからイアンに向き直った。

「東の町で〜〜の被害が出たらしい。討伐依頼が出てるんだが、どう思う?」

「〜〜って、また大物だね」

『〜〜とは?』

 大体の日常会話はわかるが、明らかに固有名詞のようなものはまだ無理だ。割り込んだ私に、ライドが説明してくれた。簡単に言うと飛ぶ頑健な爬虫類、飛竜のようなものだった。

『私より弱いか?』

「そりゃな」

『なら狩ろう』

 私という魔物は私自身が思っていた以上の脅威だったらしい。氷の狼王、銀色の悪夢、北の魔王。このあたりが、城塞都市からの情報を元につけられた私の異名だ。私が魔力を垂れ流しながら南下を続けることで怯えた生き物が大移動して周囲の生態系が崩れるとともに、いつ町を襲うかと気が気ではなかったと教えてもらった。

「飛竜相手に簡単に言ってくれるよな。味方なら頼もしいよ」

 いつか私に凍らされた肩をさすりながら、ライドが肩を竦める。もう少し深く冷気に侵されていたら腕ごとダメになっていたかもしれなかったと後から聞いた。ふーん、で終わらせたが。

 公的に、私はイアンに従う存在として扱われている。つまりこのような荒事の儲け話で多少手を貸してやれば、その報酬はイアンに入るのだ。私はそれでいい。というか、それくらいしないとイアンと対等になれない。イアンが触れて能力を抑えていない限り何でもかんでも凍らせてしまう私は色々と厄介であり、イアンに迷惑をかけている自覚はあるのだ。

 働くか。そう決めて伸びをした私に申し訳なさそうな顔をするイアン。イアン自身の戦闘能力は正直、無に等しいのである。気にするなという思いを込めてグリグリと脇腹に頭を擦り付けてやると、くすぐったそうに笑って私の耳を掻いてきた。イアンの手つきも慣れたものだ。

 この暮らしは悪くないと、私は笑った。

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