5話・不精者のお兄さま
「お兄さま」
言い過ぎだとシルビオの袖を引いたオリナを、ブリアンナが非難する。
「ひどいわ。オリナ。わたくしのことを王太子さまに悪く行ったのね? だから王太子さまはわたくしに対して冷たくなさるんだわ」
「お帰り願おうか。公爵令嬢。これ以上、わたし達の仲を邪魔しないでもらいたい」
「そんな。なぜですか? なぜオリナなのですか? 王太子さまは他の女性にも目を向けるべきですわ。オリナとだけ親密過ぎませんか?」
「公爵令嬢ともあろうものがそんなことも分からないのか? 公爵からは聞いてないのか? 話にもならないな」
「お兄さま。だめ」
シルビオが嘲笑する様な目をブリアンナに向けた。オリナは彼にそれ以上、彼女には言わないで。と、首を横に振った。だが彼の許容範囲はすでに超えていたらしい。
ブリアンナはシルビオの逆鱗に触れたのだ。その相手に情けをかけるような彼ではない。彼に好意を抱いてるブリアンナの心を砕くような言葉を投げつけた。
「オリナは私の許婚だ。許婚を侮辱する行動や発言は今すぐ止めてもらおうか? 彼女に対する侮蔑は私への侮辱と受け止めるが?」
ブリアンナは青ざめた。
「わたくしが悪うございました。失礼致します」
彼女はガタンッと椅子の背を倒し立ち上がると、居たたまれずその場を飛び出した。
「お義姉さま」
オリナの制止の声さえ耳に入ってない様で、近くを通りかかった女官に馬車の手配を頼み、この場から一刻も早く遠ざかろうとしているように見えた。慌ただしく去ってゆく彼女の背を見送ってオリナははあ。と、ため息をつく。
「お兄さま。もう少し言い方があるでしょうに。あんな言い方されたらかなり堪えますわ」
「いいんだ。あれくらい強く言っておかないと勘違い女は気がつかないからな」
それでなくともあなたさまは次期国王さまになられるというお立場なのに。と、オリナが言えば、それはきみもだろう。と、返される。
確かにオリナは今のところ、シルビオの婚約者だ。それは本人が婚約者候補のなかで一番、オリナが気心が知れていると言うだけで、今後の状況次第ではどうにでも変わるものだとオリナは考えている。ちょうど父のザカリー公爵のように。父は自領に有益をもたらす大商人の娘で寡婦となっていたブリアンナの母を、後妻として貰い受けたのだから。そのせいもあるのだろう。
ブリアンナの母は自由奔放な娘とは違って、公爵とその娘のオリナを常にたてて暮らしていた。そんな母親を嫌ってかブリアンナは反抗し、オリナに当たるのだろう。とも思う。
王族や貴族の結婚というのは政略結婚が当たり前だ。庶民のように好きだ。惚れたで結婚するのとは違う。王太子のシルビオも今の国王の後を継いで王になる頃には、血筋や国益とかを重視した婚姻となるだろう。
オリナは、自分はそれまでの繋ぎだと自覚していた。考えこんでいた彼女の手元がくすぐられる。シマリスがおねだりするように、彼女の手に自分の小さな手を乗せていた。
「もっと欲しいの?」
乞うような円らな瞳に促されて、オリナは自分の手のなかのクッキーをシマリスのルカに与えた。
「そら。私のもあげよう。おいでルカ」
シルビオがルカに優しい瞳を向ける。先ほどブリアンナに向けていた瞳とは全然違う柔らかな瞳だ。
ルカは小首を傾げたが、シルビオにクッキーを差し出されると遠慮なく受け取った。シルビオはオリナの前では口調も優しいものへと変わる。
「ねぇ、オリナ。きみはこのルカくんと森のなかで会ったという話だったけど、どうしてきみは夜に森に入ったりしたのかな?」
ルカを見ていたオリナは、突然話を振ってきた彼の意図に気がつかず素直に打ち明けてしまった。
「お義姉さまに頼まれたの。お父さまに買ってもらった帽子を森の中に置き忘れたから取って来て欲しいと」
「ふ~ん。きみ一人で?」
そこまでオリナは話してからしまった。と、思ったが遅かった。彼女は夢のなかで出会うユミルと、夜の森で出会ったことと、シマリスのルカを預けられたことを話したが、どうして森に言ったのかはシルビオに話してはいなかった。
同席していたブリアンナの手前言いにくかったのと、自分の言い方によっては彼女がシルビオに悪く思われそうな気がしたからだ。オリナはブリアンナを嫌えなかった。多少気分屋の所もあるが、それは自分の気持ちに正直でもあるだろうし、なにより縁あって姉妹になったのだから、彼女とは仲よくしたかった。
「あの女に取りに行くよう言われたんだね? なんて女だ。オリナをたった一人であの森へ行かせるとは」
シルビオが憤慨する。
「お兄さま。あまりお義姉さまに色々言わないであげて。わたしは気にしてないから」
「オリナ大丈夫かい? この後、館に帰ってからあの女に色々言われたりしないか? なんならここに今夜泊まってゆくか? このままきみがここに住む事になっても私は全然構わないよ」
「だめよ。お兄さま。そんなことをしたら節操がない。と、言われてしまうわ。そしたらお父さまにも迷惑がかかるし」
「きみは真面目だからな。でもあの女に何かされたら言うんだよ」
必ず自分に報告する様に。と、シルビオに言われたが、オリナは頷くのに留めた。
「お兄さま。あの女ではなくてブリアンナお義姉さまよ」
「いいんだ。きみ以外の女性の名前なんて覚える気はないから」
「お兄さまは不精者ね」
「きみが鈍感なだけだよ」
シルビオはこの話題はもうお終い。と、言ってルカを構い出した。