35話・最終話◇最後の聖女さま~あなたはわたしが守ってあげる~
口許を噛みしめたオリナを、ユミルが抱きしめて来た。
「オリナ。ぼくはね、ずっと隠して来たけど、父神さまに似て狡猾な部分も持ち合わせているんだよ」
「ユミル、あなたは正直な人よ。あのディークに似たずる賢い部分なんて持ってない」
「それはぼくを買い被りだよ」
ユミルはグライフと目を合わせた。グライフはユミルの物言いたそうな視線を受けてか退出して行く。あとにはルカも続いた。
部屋にふたりだけとなってしまうと、ユミルはオリナの手を引いて、部屋の中央にある三人掛けのソファーへと促した。隣あって腰掛ける。
「オリナ。ぼくはきみが好きだよ」
「そう。わたしも好きよ」
オリナはユミルの好きと言う言葉に特別な意味はないものと理解した。だって今まで自分達は友人同士だったのだから。
「ぼくの好きだという気持ちは、オリナのそれとは違うよ。分かってる?」
どういう意味だろうか?と、考えたオリナは反論した。
「えっ。だってあなた志織が好きなんでしょう?」
「志織も好きだよ」
ますます分からない。神さまというのはどれだけ人間の心を揺さぶってくれるのだろう? 当惑するオリナの額にユミルの唇が振れた。
「ユミル‥」
「志織とは友達だった。言いたい事を言いあった仲だよ。それ以上でもそれ以下でも無い」
「わたしに会うといつも志織の話ばかりしてた‥」
信じられないわ。と、オリナが膨れると、ごめん。と、額にユミルの額が押し当てられた。
「彼女は初めて会った時から気があったんだ。彼女は今までの聖女たちと毛色が違っていたからね、興味が惹かれたのもある。だから志織の生まれ変わりであるきみにも興味を抱いて、始めは見守っていたんだ。だけど見守っていくうちに真面目で、生きてるのにどこか不器用なきみに愛おしい気持ちが湧いて来て、きみから目が離せなくなった」
一部聞き逃せないような言葉があったが、それは彼が神だからそう言った風にオリナを評価していたに違いなかった。オリナは訊ねた。
「いつから?」
「さあて。いつからかな? 気がつけば手放せない存在になっていた。きみの傍にいる許婚くんやムダル神に妬いていたよ」
「でも志織が危ないと知った時は、わたしを助けに向かわせたじゃない?」
それだけ志織が気になる存在だったからじゃないの? と、聞くオリナにユミルは誤解させてしまったようだね。と、言った。
「志織がいなくなればオリナ、きみが存在しないことになる。それがぼくには堪えられなかったんだよ。信じられないかい?」
「ユミル」
「ぼくはあの世界の創造神だった。あの世界の者には干渉出来ない規則があったのに、ぼくはきみを助けたいが為に世界の理をねじ伏せた。そこをムダル神に付け狙われてきみに付け入る隙を与えてしまった。それがどんなにぼくの心を妬きつかせたことか。きみを傍に置いておくのだったと後悔した」
志織の命を守ってと、彼女の時代にオリナを送り出したことは世界の理に逆らうことだったらしい。彼曰くそれは未来に生まれるはずのオリナを守る為だったらしいが。
志織の世界に飛んで偶然、ディークに出会ったとオリナは思っていたが、あれは作為的なものだったのだろうか? だとしたらムダル神は抜け目が無いと思う。オリナが不安を覚えると、それを安心させる様に頼りがいのある腕がオリナの背に回されていた。
「きみにはぼくの傍にいて欲しい。ぼくの隣にいて欲しいんだ。頼むからぼくからもう離れないで」
「ユミル。本当にわたしでいいの?」
「きみは疑り深いんだな。志織のことはきみと仲良くなる為のきっかけに過ぎなかったのに。きみは御先祖さまに憧れていただろう? だから志織の話題をすれば警戒なく、ぼくに懐いてくれると思ったんだよ」
「まあ、ユミルったらずるい」
「そうだよ。ぼくはずるい男なんだ。きみが傍にいないとぼくは情けない男になるみたいなんだ。どうかぼくを助けると思って、傍にいてくれないかな?」
「分かったわ。わたしがあなたを守ってあげる。一生かけてね。ユミルったら甘えん坊なのね。大人なのに子供みたい」
オリナの言葉に、躊躇したユミルだったが、言ったな。と、オリナの額を指先で付く。
「痛あい」
「ぼくをからかったお仕置きだよ」
「まったく大人げない‥」
悔しがるオリナを、ユミルが抱きしめて来る。ふたりの恋は始まったばかりだ。ふたりは顔を見合わせて笑った。部屋のなかに笑いが満ちる。この時間が永遠であればいいとオリナは心のなかで願っていた。
その後、ふたりはマーカサイドの音頭で夫婦となり、天界と魔界との覇権を競った神々との全面戦争に巻き込まれてゆくことになる。
魔王の息子との戦いで敗北したムダルは責任を問われ、天界を追われた。その彼に代わって天界の神々を統べることになったのは勝者のマーカサイト神で、ユミル神は魔界を統べる王となった。そのユミル神の傍には、人間界から迎えた姫が常に寄り添い彼を支え続けた。
またそのユミル神は先代最高神が消滅させた人間界を復活させ、己の子孫を送り込んだという。
それから何百年か過ぎ、人間界である話が語り継がれるようになっていた。題名は「デルウィーク聖女伝」
その話は子から孫へと語り継がれてゆく間に、いつしか題名が「最後の聖女さま」という名の童話となり子供達にとって馴染み深い話となってゆくことになるのを彼らはまだ知らない。




