21話・ディークの正体
状況が動いたのはその晩のことだった。この森に入って来てから救出隊のメンバーは同じところをクルクルと回って、デルウィークの王が住むという城には近付けなかった。
それというのもデルウィークの王がそれを望まなかったからだ。彼には秘密があった。聖女とどうしても対面する訳には行かなかったのだ。
それと怪しげな神気を纏う男が救出隊にいたことで、その男を警戒していた。男の目的が聖女の命と知った彼は彼女を守る為に森の結界をほどいた。
しかし、思いもしなかった事態が持ちあがる。獣人達が聖女たちのいるテントを襲って来たのだ。もちろん、彼はそれを命じてはいない。
「聖女を殺せぇええええええ」
と、迫りくる若い眷族達に尋常ではない様子を見て取った彼は繁みの中から愛しい彼女の身を案じた。
「リーっ」
彼女を早く逃がさなくては。そう思うのに獣人の彼らの姿を見れば、彼らの熱気にあてられて深層かに追いやられていた血が逆流し全身を駆け巡った。
魔族を従える王の血が、彼の姿をその主としての相応しい姿に変えてしまった為、おいそれと彼女の前に駆けつけたくても出来ない状態となっていた。
「ほお。見事な獣神だ。一介の調理人が黒豹の本性を持っているとは誰も考えはしないよな。ロベルト、おまえには騙されたよ。デルウィークの王よ」
物かげから姿を見せたビレルは、金髪の軽薄そうな男の姿へと身を変えた。黒豹となっていたロベルトは真相に気がついて驚いた。
「ディーク。一体おまえは何者だ? あのように我が眷族を煽ったのはお前なのか?」
「そうだ。俺だ。聖女には死んでもらわねばならぬ」
「そうはさせない。彼女は守ってみせる」
自分と同じように姿をいとも簡単に変えて見せたディークが普通の人間であるはずがない。デルウィークの王としての勘が、この男は危険だと告げていた。
「では取引をしようか? デルウィークの王よ。聖女の命は助けてやってもいい。その代わりにどうだ? あのイキの良い娘を俺にくれないか?」
「イキの良い娘?」
「オリナだ。おまえが保護者として保護している」
「断る」
「そんなことを言ってもいいのか? 今にも聖女は食われそうだぞ?」
繁みの向こう側では豹の姿をした獣人達に追いまわされて、逃げるリーの姿とそれに寄りそう神官と勇者がいた。
ロベルトはその場に駆け付けたい思いに心は揺れたが、リーを追いまわしてる豹の先頭に大きな豹が立ち、彼女の肩に手をかけたのを見てディークと向き合った。
「いいのか? 彼女を放っておいて?」
「構わない。信じてるからな」
ロベルトはディークに飛びかかった。喉元に食らいつくが、相手はいとも簡単に黒豹の身体を掴みあげると払いのけた。黒豹のロベルトの身体は投げ飛ばされて、側の木に胴体を打ち付けるかと思われたが、彼は宙で身軽に身体を捻らせて地に着地した。ディークは唸る。
「俺に逆らうのか? デルウィークの王。愚かな‥」
「愚かなのはどっちだ? 我はあなたの飼い犬ではないぞ。我はあなたが最も嫌う魔王の末であり、不本意だがあなたの血も半分受け継いでいる」
「なに…?」
勝利を確信した男の笑みが崩れたのを視界におさめ、デルウィークの黒豹王は四肢を進ませた。男との間の距離を詰める。ロベルトはこの男の正体に察しがついていた。
「時の流れは移ろいやすい。あなたが脆弱で命を奪うのが容易いと思われる人間にも、一寸の虫にも五分の魂というように意地がある。抵抗もする。この世界に住む皆があなたに従うとは限らない。覚えておかれよ。ムダル神」
ディークは黒豹が堂々とした歩みで寄って来るのを忌々しい思いで見つめるしか出来なかった。それでも彼の瞳に宿る戦意は衰えてはいない。本気を出せば彼には目の前の黒豹王を屠るには簡単なことだ。
しかし、いまの彼にはデルウィーク王には手をかけられない事情があった。それと同時にデルウィーク王に、自分の命を握られてしまったことに苛立ちのようなものを感じる。
「俺を殺す気か? デルウィークの王。親神殺しは重罪だぞ」
その覚悟はあるのかとディークは問う。迷いなくロベルトは告げた。
「この場は見逃して差し上げてもいいですよ。聖女の命を狙うのを止めるのならば」
ディークは諦めるしかなかった。
ムダル神は神々の王であり最高神である。争い好きで気まぐれな彼は策略家で知られていたがその彼にも弱みがあった。父親である最高神ラダモスを騙し、力と地位を奪って天界から追いやった彼は、その父親から予言されていた。
『お前の身にも同じようなことが起こるであろう』と。
父親同様、自分の子に今の地位を奪われると聞いて、彼は自分の子はもちろんのこと子孫に至るまで疑い続けているのだ。
「この場は引いてやる。だが俺の恨みを買ったことは覚えていろよ」
面白くない。と、ぬめつけて彼は姿を消した。後に残されたロベルトは獣身から人間の姿に戻り、自分の居城がある方向を見つめた。