10話・何も知らない
オリナからこの世界に来ることになったあらましを聞き出したグライフは、疑うことなく信じてくれた上に、オリナ達に協力を申し出てくれた。
「それは有り難いけどいいの?」
「構いませんよ。わたくし一人ではこの館も広いもので。それに時々、所用で留守にする場合があるので、留守番を頼める人材はいないかと思っていた所でして‥」
「留守番なら任せてくれよ」
「じゃあ、ルカくんにお任せしましょう。その時は」
グライフが滞在している館と聞いていたので、誰かから借りてる屋敷なのかと思ったら違ったらしい。彼の持ち家だそうで、ときどき休暇を利用してここに帰って来るそうだ。
当面の衣食住には困らないことで、オリナとルカは大いに助かった。
あとは聖女にどう近付くか。と、思ったところで、グライフが思いがけないことを言い出した。
「ただいま神殿の方で雑用係を募集してるらしいのです。それに申し込みされては如何でしょう?」
「それは構わないけど、大丈夫かしら?」
「大丈夫ですよ。わたくしの知り合いが丁度、料理人として働いているのです。彼の紹介として入り込めるはずです」
そんなに上手くいくものかと疑っていたオリナだったが、後日神殿で働く事が決まった。グライフの知り合いとは神殿の調理長だった。神官長の信頼が厚い彼の紹介ということであっさり決まったのだ。
オリナとルカは神殿で住みこみで働く事になり、これで聖女に接近出来ると思ったのに、思わぬ伏兵がいた。聖女付きの女性神官の存在だ。彼女らは常に聖女の傍にいて盾のように立ちはだかった。
そのせいで志織を遠目に見ることしか叶わず、オリナはがっかりした。
「あ~あ」
「そんなにがっかりしないで。きっと彼女と話す機会は訪れるよ。ここにいれば」
「そうかしら? ここに来てもう一週間よ。なのに聖女さまの姿すら見れないなんて」
「まあ。座りなよ。これもらったんだ。一緒に食べよう」
これじゃ、ユミルとの約束が叶えられないわ。と、ぶつくさ言うオリナを慰めるように、ルカが裏庭の芝の上に座るように促し、サンドイッチを差し出して来た。食パンの間にバターとマスタードを塗り、そのなかに薄く切ったキュウリを挟んだものだ。
デルウィークではサンドイッチといえば、これが定番だった。懐かしい祖国の味だ。早くもホームシックになりかけていたオリナには嬉しい差し入れだった。
「これどうしたの? ルカ?」
「調理長がくれた。オリナとふたりで食べろって」
オリナとルカはグライフを通して、この神殿で調理長をしているロベルトに引き合わされていた。彼は愛想のいい人で、神殿で働くオリナたちの保護者的な存在となっている。
「ああ。嬉しい。丁度お腹空いてたの」
「今日は沢山、お洗濯してたものね。オリナは」
「うん。セレナさんと一緒にシーツ洗ったの。わたし洗いものなんてした事なかったからびっくりしちゃった。あんなに体力使うものだったのね」
オリナは裏庭の日の当たる所に干したシーツが、綺麗に並び風に乗って翻るのに目を留めながら言った。令嬢育ちのオリナは、身の回りの事はもちろんのこと洗濯なんて自分でしたことがない。
いつも侍女たちがしてくれていたのでセレナに一緒にやりましょう。と、言われて戸惑った。
しかも出来なくて当然ですよ。少しづつ覚えて行きましょうね。と、自分の素性を知ってる様な物言いに驚いたが、彼女はロベルトから以前お世話になった貴族の娘さんを行儀見習いとして神殿にあげたい。と、神官長に相談されたのを伺ってますから。と、教えられた。その辺りはグライフとロベルトが上手く根回ししてくれたようだ。
ふたりにお世話になりっぱなしのオリナは申しわけなくも思うが、そのオリナにセレナが実は‥と、言い出した。
「私もここに来る前はなにも出来なかったのですよ」
セレナもある貴族の令嬢だったらしい。セレナの話によるとここにいる若い女性神官は、未婚者がほとんどらしい。
本格的に神官の道を歩むのは男性のみらしく、女性は花嫁修業として一時的に身を置く者が多いらしかった。
この時代は、未婚女性は神殿で良き妻になる為の教えを受けてから嫁ぐのが良いとされていた。とはルカが教えてくれた事だ。ルカは物知りでオリナが分からないことを教えてくれる先生でもあった。
「ルカの方はどう?」
「ああ。僕はお皿洗いや、野菜の皮むきをしたよ。これがけっこうな量でね、大変なんだ」
「野菜の皮むき? 野菜は皮をむいて食べるもの?」
オリナが初めて知った。と、いうように目を丸くする。
「ああ、そうか。オリナは知らないもんね」
ルカはまずそこから説明か‥と、唸る。
「あの、ごめんなさい。またわたし変な事言った?」
「いや。オリナが知らない事を、僕がたまたま知っていたってことだから気にしないで」
ルカが唸るのはこれが初めてではない。オリナが質問することに頭を抱えてる気がして、オリナは自分の無知が彼を困らせてる気がしていた。
そこへふたりの聞き慣れた声がかけられた。




