久しぶりの清流の湖階層で
「残してきた皆を呼んで来てもらえませんか。私はこの人たちから聞きだすべきことがあるので」
俺たちがいない内に尋問を終わらせておきたいのだろう。この場に居られると困る内容もあるようで、遠回しに立ち去れと言ってきている。
「わかった。じゃあ、ヒュールミたちを連れてくるね」
ラッミスは察しの良い子だからな。何も追求せずにミケネと一緒に背を向けて、その場から離れて行く。背中で揺られながら遠ざかるミシュエルを眺めていたのだが、一度こちらをチラリと見た時に見えた横顔は、無表情でその顔からは何も読み取ることができなかった。
「ミシュエルにも色々あるみたいだね」
「いらっしゃいませ」
「こういうのって、何処まで踏み入っていいのか悩むよね」
「いらっしゃいませ」
「今回のことも余計なお世話だってわかっていたんだけど、どうしても黙っていられなかったんだ。もう少し距離を置いた方がいいのかな」
ラッミスも色々考えているのだな。この問いにはどう答えていいのか俺にもわからない。鬱陶しいと思う人もいれば、聞いて欲しいと思う人もいるだろう。
彼は誰かを巻き込むことを恐れているようにみえた。相手を拒絶しているというよりは、被害が及ばないように気を使っているだけの気もする。
そんなことを考えている間にヒュールミたちが待つ荷猪車と合流し、特段急ぐことなくミシュエルの元へと向かった。
往復で30分程度だったのだが、戻った時にはミシュエルが一人立ち尽くしているだけで、魔法使い風の二人は何処にもいない。彼が斬り捨てた三人の男たちの死体も消え失せている。
逃がしたのかとも思ったが、注意深く地面を観察していると、薄らと焦げた跡が幾つかあった。それは――人型のようにも見える。数は五。つまり、そういうことなのだろう。
「処分は済んだみたいだな。お疲れさん」
「連れてきたよー」
ヒュールミはここで何があったかを理解した上で、あえて気軽に声を掛けている。ラッミスも軽く手を振って深刻さを微塵も感じさせていない。
「お帰りなさい。私事に巻き込んでしまって、申し訳ありません」
「気にしない、気にしない。ハッコンだって誘拐されたり、階層割れに落ちたり、いっぱい巻き込まれているもんね」
「ちげえねえな」
「ざんねん」
その節はお世話をおかけしました。
そんな俺たちのやり取りを聞いて、ミシュエルの張り詰めていた表情がほんの少しだけ緩んだ。
「詳しい事情は明かせませんが、私はとある理由で命を狙われている身です。これ以上共に過ごすのは皆様の命に関わりますので、一足先に集落に戻り別の階層に移ることにします。今まで本当にお世話になりました」
「あ、ちょっと待って。訳ありで実力者なら、愚者の奇行団に入ったらどうかな。団長がそういった人材を探しているって言っていたよ?」
「そういや、そんなこと口走ってたな。実力があれば、素性なんてどうでもいい。むしろ、厄介事の一つも抱えてない奴は、うちの団には一人もいねえ。って自慢していたぜ」
まさかの勧誘だと。そういや、ケリオイル団長は、そんなこと確かに言っていた。追手なんぞ返り討ちにするだけだ、いい不意打ちの訓練になる。とか平然と言いそうだ。肝っ玉大きいからなケリオイル団長。
「愚者の奇行団とは、あの有名なハンターグループですか」
「そうそう。みんな面白い人たちだよ。うちらも、たまに協力する約束しているんだ」
「まあ、難しいこと考えずに一度話を聞いてみたらどうだ。力を手に入れるには、いいところだと思うぞ」
「そう、ですね。一度、接触を図ってみます。では、またご縁がありましたら」
深々と頭を下げていたのだが、すっと背筋を伸ばして去っていく。去り際も様になっているのだが、風に乗って運ばれてきた彼の呟きを俺は聞き逃さなかった。
「愚者の奇行団って……知らない人がいっぱいいるところなんて……無理だよぉ」
あー、やっぱり彼にはハードルが高すぎたか。イケメンモードの時は頼りがいのある男なのだが、このギャップも彼の魅力だと思っておこう。
誰も止めることもなく、その背が見えなくなると俺たちも進行を再開した。速度を上げてミシュエルに追いついたら気まずいので、出来るだけ速度を落として、のんびりまったり揺られていく。
通常の倍以上の時間を掛けて集落にたどり着くと、空が夕闇に染まり始めていたので、慌てる必要はないと迷路階層唯一の宿屋で一晩を明かした。
「色々あったけど、ようやく清流の湖階層に戻れるね!」
翌日。転送陣の上に立つラッミスだけがハイテンションだ。ヒュールミは眠たそうに欠伸を噛み殺し、大食い団も眠たそうに目元を擦っている。
それもその筈。まだ朝日が昇り始めた早朝で、夜型と夜行性にはきつい時間帯だ。
昨日は、ハンター協会に異常なしと報告を終え、軽く説明するだけであっさりと任務は終了した。その後、俺から商品を大量に購入して、夜遅くまで騒ぎ今に至る。
「暫くは、のんびり研究したいところだぜ」
「清流の湖階層って今、仕事が一杯あるらしいから、食うのに困らないぐらいは稼げるらしいよ」
「お腹いっぱい食べられるといいなぁ」
「水浴びしたいわ」
「熊会長が支配している場所だからな、悪いことにはならないだろう」
ヒュールミは当然なのだが、大食い団も清流の湖階層に住むらしく、これからも常連として期待できそうだ。
迷路階層を去ることになる訳だが、もう二度とここに来ることは無いだろう。大体、階層割れに巻き込まれていなければ、空から降ってくることもなかったわけだし。
新たな出会いもあったが、落ち着く場所はやっぱり清流の湖だな。一ヶ月近く離れていただけだというのに、かなり懐かしい気がする。
ハンター協会前のいつもの定位置で常連相手に早く商売がしたい。みんなもきっと待ち望んでいることだろう。購入した際のあの嬉しそうな顔を見るのが、自動販売機としての楽しみだからな。
「じゃあ、帰るよー!」
ラッミスの声を合図に転送陣が職員の手により起動され、足元から溢れ出した光りに包まれた俺たちは、体が軽くなり浮遊感が生じた。
そして、一瞬だけふっと意識が途切れたかと思うと足元の光が消え、周囲の光景がガラッと変わっている。
さっきまでは6畳程度の木造の部屋だったのだが、100㎡以上はある巨大な石造りの部屋にいる。壁には魔道具らしき灯りが四隅に備え付けられ、窓が無いというのに魔法の光で視界は十二分に確保されている。
「清流の湖階層に着いたみたいだね」
清流の湖の転送陣はこんな場所に設置されているのか。人も多いし、物資の運搬もあるので部屋を大きくしていないと、色々困るのかもしれないな。
俺でも余裕を持って潜れる大きさの扉をラッミスが開け放ち、通路に出る。右側には扉が規則正しく並び、左側は大きな窓が取りつけられている。
通路は大人が四、五人横並びになっても問題が無いぐらい幅もあり、高さも3メートル以上は確保されている。窓から射し込む光からして清流の湖階層の空は晴天のようだ。
長い通路の先にはまたも両開きの大きな扉があり、押し開くとそこはハンター協会の一階ホールに繋がっていた。
ホールにはハンターの姿がなく、ハンター協会の職員が居るだけだった。
カウンターの向こうには職員のお姉さんがいつも通り並んで座っていて、俺たちの姿を見ると……何で口に手を当てて驚いているんだ。
「あれっ、何でハッコンさんがそこから?」
えっ、ああ、そうか。俺は階層割れから下に落ちたから、転送陣から戻って来たら変に思われるよな。驚いている理由はそれか。
「ハッコンは階層割れに巻き込まれて、迷路階層に落ちちまってな。オレたちで回収して戻ってきたんだぜ」
ヒュールミが即座に説明してくれた。これで、職員さんの疑問も氷解しただろう。
「あ、それは会長から聞いていますので、存じておりますが……」
あれ? じゃあ、何で驚いているんだ。知っているなら何も問題ないじゃないか。
「ハッコンさん、今朝といいますか、一週間以上前から集落内で商売していますよね?」
「えっ」
えっ。ラッミスとヒュールミの漏らした声と心の声が被さった。ど、どういうことだ。俺は今、帰ってきたばかりで、下の階層に落ちたのは一ヶ月ぐらい前だぞ。どう考えても計算が合わない。
「ちょ、ちょっと待って。ハッコンはずっと迷路階層にいたよ? 一度もここには戻ってきてないよ」
カウンターに詰め寄り両手をついて顔を寄せるラッミスを、女性職員は手で制しながら営業スマイルを何とか維持している。
「と、申されましても、実際集落内でハッコンさんの姿をお見かけしましたし。ねえ」
「う、うん。私も昨日利用させてもらいました」
隣に座っていた職員もこくこくと頷いている。二人が嘘を言っているという訳ではなさそうだ。だが、しかし、そうなると俺の偽物というか類似品がいるということなのか。
「つまり、ハッコンの偽物が存在するって事だよな……これは由々しき事態だぜ」
「偽物……文句言わないと!」
憤るラッミスが今にも飛び出しそうだったので「ざんねん」と発言しておく。
「ハッコン、何で止めるの。偽物だよ。ハッコンの振りをして商売しているなんて許せない。ちゃんと苦情を伝えて辞めさせないと」
その通りなのだが、相手が何を考えてそれをやっているのかが非常に気になる。俺がいなくなり、成り替わろうとしているのか。それとも、たんに真似をして儲けようと考えているだけなのか。
後者であるなら咎めるのはお門違いだろう。商売を真似るなんて、金儲けの基本だ。それに、どうやって自動販売機の機能を成立させているのか純粋に興味があったりする。
「落ち着けラッミス。相手の意図がわからない内は、迂闊な真似をしない方が良いぜ。熊会長に報告したら、一緒に偵察に行かねえか」
ヒュールミは俺と同意見か。彼女の場合は単純に学術的興味で提案しているようだが。
ラッミスは怒りがおさまらない感じではあったが、渋々ながら了承してくれたようで、取りあえずは全員で熊会長の部屋に向かうことになった。
熊会長は俺の探索で何日も仕事をさぼっていたツケが回ってきたらしく、こっちに戻ってきてからはずっと書類と格闘しているそうだ。
「会長ー入っていい?」
「ラッミスか。戻ってきたのだな。入ってかまわんよ」
扉の向こうから熊会長の覇気のない消耗しきった声が届いた。
開いた扉の先には机に山積みにされている書類を見つめ、うんざりした表情の熊会長がいた。あの熊の手で器用にペンを掴んでいるが、ちゃんと文字が書けるのだろうかと余計な心配をしてしまう。
「丁度、休憩しようかと思っていてな。ハッコン、冷たい飲み物を購入させてもらおう」
「いらっしゃいませ」
レモンティーを買うと、ソファーに深々と腰を下ろして中身を一気に飲み干した。疲労が溜まっているのが目に見えてわかるな。
「皆も座ってくれ。依頼の結果を伝えてもらえるか」
ヒュールミが代表して迷路周辺の状況を伝える。そして、少し迷っていたようだが、ミシュエルの事も隠すことなく口にした。
「ミシュエルか。優秀なハンターだとは聞いているが、誰とも組むことがないのは何かしらの深い事情があるようだな。心に留めておくとしよう」
まあ、コミュ障も原因なんだけどね。
「でだ、会長。最近、集落にハッコンの偽物が現れているのは知っているか?」
「偽物だと。すまん、ずっとこの部屋に籠っていてな。世事には疎いのだよ」
「ハッコンに似せた存在がいるらしくてな、それを皆がハッコンだと思いこんでいる。ちょっと調べようと思うが、ハンター協会の許可は必要か」
「いや、好きにやってくれていい。他者……この場合は表現が難しいが、ハッコンは清流の湖階層の住人だ。住人の名を騙り、利益を得る輩がいるのであれば、それなりに制裁を加えなければならぬだろう。ハンター協会からの依頼として、その者の正体を見破って欲しい。ただし、暴力に訴えるのは無しで頼む。充分な証拠を掴んでからであれば、問題は無いが」
「うん、わかった。ちゃんと正体暴いて見せるよ!」
ラッミスが拳を握り締めている。会長が釘を刺してくれたので暴走はしないと思うが、まだ少し心配だ。
しかし、俺の偽物か……どんな相手なのだろう。ちょっと、どころか、かなり興味が湧いてきた。何が現れるのか、期待させてもらうとしよう。




