炎巨骨魔
豊豚魔は暴食の悪魔団を襲う余裕もなく、ただ逃げているだけのようだ。暴食の悪魔団は既に脱兎のごとく走り去っている。
炎を纏った骸骨の全身像が露わになったのだが、これは驚愕するレベルの巨大さだ。壁の頂点にもう少しで達しそうだ。十メートル近くあるのか。
あまりの熱量に視界が霞んでいるな。一歩踏み出すごとに、地面が足の形に溶けて陥没しているぞ。おまけに縦揺れが酷い。あれだけの巨体だと骨だけでも重量が半端ないようだ。自動販売機の体を浮かすほどの振動って、相当なものだぞ。
ここまで凄いと王蛙人魔に使ったコーラスプラッシュも通用しないか。水の入ったペットボトルをぶつけたところで、まさに焼け石に水だろうな。
倒すのは諦めて、時間稼ぎの方法を考えるか。もう少しで、豊豚魔が俺の元にまで辿り着きそうだ……ということは、やることが決まった。
まずはフォルムチェンジだな。ランク2から機能欄に現れた〈灯油計量器〉に変化する。ガソリンスタンドに必ずある冬場お世話になるあれだ。
白いボディーに某ガソリンスタンドのマークが描かれ、側面に強度のあるゴム製のホースとレバー付きのノズルがある。
よっし、これで地面に灯油をぶちまけて――ノズルの先端が本体に刺さっているな。このままレバーを引くと俺が灯油まみれにならないか。
まあ、灯油に濡れても〈結界〉内に入るのを拒否したら付着した灯油も外に弾き出されるよな。ちょっと試しに少しだけ灯油を出してみよう。
レバーを引いて……そうか安全性を考慮して刺さった状態だと灯油が出ないのか。さすが日本製だ。作戦、これにて終了!
とまあ、潔く諦める人間――自動販売機じゃないんだよな。何かしらの抜け道と言うか方法が無いか。っておおっ。
炎巨骨魔が更に一歩踏み出すと振動が増して、灯油計量器となった俺の体が地面から離れる。そして着地と同時にノズルが外れて地面に落ちた。
これはついてるぞ。先端も上手い具合に通路側に向いている。なら、このまま灯油を地面にぶちまけるか。
ノズルから溢れ出した灯油が俺の前の地面を濡らしていく。ここは地面も石なので灯油が沁み込まず、一帯に薄い油溜まりが出来る。
逃げることに必死で足元を全く注意していなかった豊豚魔が灯油地帯に差し掛かると、
「ぶひぃぃぃい」
その場で受け身も取れずに転んでいく。頭を抱えて唸っているのもいるな。
灯油まみれの床って、スケートリンクかと思うぐらい滑るので、一度転んだ豊豚魔は起きることも困難になっている。
そして、そこに後方から追い付いてきた炎巨骨魔が燃え盛る巨大な足を振り下ろすと――灯油が一気に燃え広がり、辺りが火の海と化した。
俺はもちろん〈結界〉で熱も炎も遮断しているが、転んで全身を灯油でコーティングした豊豚魔たちは見事なまでに燃え上っている。
断末魔を上げることすら出来ずに崩れ落ちた豊豚魔の死体を、炎巨骨魔が摘み上げると、骸骨の口を開き、その中へと放り込んでいく。
骸骨の癖に食事をするのか。炎に触れて消し炭となっているのに、それでいいのだろうか。
炎の海の中で燃え盛る巨大な骸骨が焦げた死体を喰う姿と言うのは、恐怖よりも荘厳な感じがする。これって俺が結界内部という安全地帯にいるから思うことであって、生身だったら腰でも抜かしていそうだ。
六体の豊豚魔を平らげた炎巨骨魔は俺を一瞥しただけで、ちょっかいをかけてくるわけでもなく、そのまま歩き去っていく。
配色を壁と同じに変化させていたので気づかなかったのか、もしくは腹が満たされて興味すら湧かなかったのか。どちらにしろ、助かったことに変わりはない。
しかし、酷い有様だ。地面は足裏の骨の形に陥没しているし、あれが近づいた壁際も溶けて固まり歪な形に変化している。
あれも階層主なのだろうか。上空から観察した時はその存在を確認できなかったが、何か出没する条件があるのかもしれないな。
あんなのが我が物顔で闊歩していたら迷宮はもっと酷いことになっていそうだが、やはり、何か理由があるのだろうか。
さて、問題はまた独りぼっちになったことぐらいだ。でも、暴食の悪魔団はお腹がすいたら戻ってきそうな気がする。どうにも、考えがおおざっぱすぎるようで、食料をバックパックに入れておけばいいのに、何も考えずに食べているだけだったからな。
あとは地面の至る所が陥没して熱で歪んでいるから、自動販売機を押してもらうのも一苦労しそうだ。
流石に今回の敵は能天気な所がある彼らでも命の危機を感じたらしく、夜が更けて辺りが真っ暗になるまで戻ってこなかった。まあ、結局、今こうやって俺の前でご飯を食べているわけだが。
「はぁ、驚くとお腹減るよね」
ペル、キミはいつもお腹空いているよ。
「まさか、階層主にお目にかかれるとは……噂には聞いたことがあったけど凄かったな。会長に後で自慢できるよ」
「ほんと、ほんと、びっくりしたわ」
「炎巨骨魔を倒すとお宝が手に入るって話だが、あんなものをどうやって倒せと言うのだろうな」
ショートに同意するよ。あんなの倒しようがないだろう。巨体なのもあれだが、あの炎に近づけるわけがない。水を掛けて消火するにしても、それこそ池の水を一気にぶっかけるぐらいのことをしないと無駄だろう。
水の入ったペットボトルの水を投げまくっても無意味だよな。考えたところでしょうがないか。俺がアレと戦うような事はないだろうし。
安堵して眠りこける彼らに囲まれながら、炎巨骨魔が消えて行った脇道をずっと見つめていた。
「そこ、右に行きすぎないで。左、もうちょっと左」
ミケネの指示の元に、俺の体を慎重に運んでくれている。地面の凹凸が酷いので何とか平らな場所を探しながら進み、朝からずっとやっているのに陥没地帯を何とか抜けた時には、もう空が暮れ始めていた。
今日は殆ど進んでいないが、明日からは地面が平坦になるので移動速度も上がるだろう。またあの炎巨骨魔が現れたら、何とか時間稼ぎをするしかないよな。
今日はもうこれ以上イベントは必要ないので、安全な夜を過ごしたいところだ。
そんなことを考えている間も俺はフル稼働で、次々と商品が購入されていく。かなり安い値段で提供しているのだが、彼らの懐具合が心配になるな。そりゃ、団継続も危うくなるよな。
いつものように腹いっぱいになると注意力が散漫になるようで、見張りも残さずに眠りこけている。まあ、敵の気配や物音がしたらすぐさま目が覚めるようなので、俺が警戒音を発したら跳び起きるだろう。
静かな夜だな。巨大な壁が並ぶ幅の広い通路っていうのは雰囲気がある。夜なので灯りは俺の体から発している光のみで、少し離れると周囲は漆黒の闇だ。
俺の光は目立ちすぎるな消しておくか。完全な闇に沈み、聞こえる音も彼らの寝息ぐらい。ああ、怖いぐらい静かだ。でも、誰かが傍にいてくれるだけで不安は少し和らぐ。
これが生身で本当に独りぼっちだったら、恐怖のあまり発狂してもおかしくない状況かもな。それぐらい、この場所は寂しく本能的に恐怖を覚える。
気配を感じる能力でもあれば、また違ったのかもしれないが……あ、そういや面白い機能があったな。確か、ここら辺に、あったあった〈人感センサー〉だ。
人の来ない夜中は照明を落としておいて、センサーが反応した時だけ照明をフル点灯したりできる。ああ、でも、これって俺には必要ないか。全部自力で判断と調整できるしな。
とまあ、色々考えては見るのだが、幸せそうに寝ている彼らを見ていると和んでしまって、どうでもよくなってきた。うーん、彼らの傍にいると保護者のような気分になる。
せめて俺だけでも警戒は解かないようにしておかないと。暗闇では殆ど見えないので音だけに気を配っていると、今、微かに何か聞こえたような。
音の方向を探りだし、目を凝らして耳を澄ます。ボーっと小さな音だが途切れることなく、流れ続けている。これってコンロの火が付いている時のような?
音は少し先の左手の方向。暗闇で見えないが確かそこら辺は横道の入り口か。
暗闇の中にほんのり光が零れている。揺らいで見えるのは灯りが燃えている火だからか。これは起こした方がいいな。
「いらっしゃいませ」
相手に感づかれる恐れがあったので、音量控えめで実行する。
「んー、から揚げ……あと二十個だけ……」
「ミケネ、ショート……男同士で、そんなの……駄目だよぉ……」
寝言が聞こえる。あと、スコの発言に腐の波動を感じるが、聞かなかったことにしておこう。
起きる気配が全くないな。って、このまま放置はできないから、もう少し大きめで。
「またのごりようをおまちしています」
「ヴアアアアアッ! 何、何、なんだ!?」
ミケネが跳び起きてくれたのはいいが、声が大き過ぎる。
その叫び声に全員が起きて、慌てて辺りを見回している。今ので完全に謎の光源にもばれたよな。辺りが徐々に明るくなっているのは近づいてきている証拠だ。
「みんな、敵だ逃げる準備をして」
戦わずに迷わず逃走選ぶスタイル嫌いじゃない。命知らずな無謀なハンターよりも余程いい。
逃走準備の整った暴食の悪魔団の前に現れたのは、大人の人間と同程度の大きさをした、炎を纏った頭蓋骨だった。
「炎飛頭魔かっ。速攻で処理しないと、炎巨骨魔を呼ばれるぞ!」
「み、水! 誰か大量の水をぶっかけて!」
あの炎の骸骨の仲間なのか。アレを呼ばれたら勝ち目はない。水、水が必要なんだな。
素早く2リットルのミネラルウォーターを取り出し口に落とす。
「え、水? 魔道具の箱から水が落ちてきたよ!」
「運がいいな! スコ、それを渡してくれ!」
ショートや、それを運で片付けるのはやめていただきたいのだが。彼らは自動販売機である俺に意思があるとは思いもしてないよな。そろそろ、察してくれてもいいんだよ?
諦め交じりに更にペットボトルを落としておく。
全員が二リットルのペットボトルを抱え、あの爪では咄嗟にキャップを外すのが難しいらしく、上部を鋭い爪で切り裂いている。
全員が小脇にペットボトルを抱えて特攻すると、思ったよりも素早い動きで間合いを詰めて中身を空飛ぶ頭蓋骨にぶっかけた。
四本もの水を掛けられた頭蓋骨の炎は完全に消え去り、守る物が無くなった頭蓋骨はミケネの噛みつきであっさりと砕かれ消滅した。炎が消えると結構脆いんだな。
今までは逃げているところしか見ていなかったので実力が不明だったのだが、かなり素早い動きをしていた。実は結構強いのかな。日頃の態度を見ているとそうは思えないが。
あの炎飛頭魔を倒したのはいいのだが、援軍を呼ばれていないか警戒しているようだ。あのデカいのが来たら、それこそ逃げるしか手が無いからな。
暫く様子を見て増援が無いことを確認すると、交互に見張りに立つことになったようだ。これで少しは安心して見守っていられるといいけど。




