おでん缶
清流の湖階層の冬はかなり厳しく、日本の豪雪地帯まではいかないが常時5センチぐらい雪が積もっている。これ以上、雪が降り積もるならテントでは潰れてしまう可能性があるので、1メートル以上の積雪は滅多にない……と信じたい。
この階層の魔物は冬になると地中深くで冬眠するらしく、ハンターたちも討伐依頼や素材集めが難しくなるので、集落に引きこもるというのが定番だと、おでんを食べながら門番のカリオスが零していた。
ただ、今年は復興作業があるので集落内で働き口に困ることがなく、いつもなら冬が訪れたら別の階層に移動するハンターたちも、ここに留まっている。ミルクティーを片手に青年商人が稼ぎ時だと嬉しそうに語っていたな。
俺はいつものようにラッミスが特定の場所で作業をする時は背負われて行き、夕方になったらハンター協会前で商品を売っている。
飲食店が店を閉める時間になるまでは飲料だけを置いて、それからは食べ物も並べるというのがパターン化している。外気がとても寒いというのは理解しているのだが、俺には温度を感じる機能が無いので全く苦にならない。
あっ、気温を測れる機能を追加してもいいな。次世代自動販売機と呼ばれる高性能なタイプには気温を計測して、おすすめの商品を提示する物もある。
ポイントは……そんなに高くないか。これは選んでもいいかもしれないな。
「うー、さみぃさみぃ。スープと煮物、煮物」
夜も更けて寒風吹き荒れる中、商品を購入しようなんて物好きは少ない。訊き慣れた声と状況から見て、門番のカリオスで間違いないだろう。
「ゴルス、お前は今日何にすんだ」
「甘いお茶」
「そればっかだな、お前は」
「お前も串で刺した煮物ばかりだろ」
今日はカリオスとゴルスが門番担当なのか。寒い中ご苦労様です。
彼らは温かい商品を購入した後、暫く懐や服の内ポケットに入れて、カイロ代わりにするので、ちょっと商品を熱めに設定しておく。
「今日もあっつあつだな。ありがとよ、ハッコン」
「感謝する」
「ありがとうございました」
彼らは俺が気をきかせて温度調整をしていることをわかっているようで、いつもこうやって、お礼を口にしてくれる。
この集落に来てからラッミスの次に言葉を交わしているのが、この二人かもしれない。まあ、一方的にカリオスが話して、俺とゴルスが相槌を打っているだけなのだが。
背を丸め厚手のコートの襟を立てた二人が、闇の中に消えて行く。彼らを見ていると門の近くに設置してあげたいのだが、ラッミスが離れることを拒むので彼女たちのテントが見える、この定位置から夜から朝にかけては動くことが滅多にない。
いつもの二人を見送ると、視界の隅に赤い何かがすっと入り込んできた。
ああ、またか。
それは血のように赤いワンピースを着込んだ一人の女性。といっても、半袖ではなくゆったりとした長袖に丈の長い服で、たぶん中は厚着をしていると思う。
首に巻き付いているマフラーも真っ赤で、靴、手袋も同様に赤く染まっている。そんな女性の顔なのだが、よくわからない。
長い黒髪は腰の下まで伸び、前髪は鼻先まで伸びている。唯一見える口も真っ赤なルージュが塗られている。
深夜に赤一色の服装で佇む不気味な女性。普通なら悲鳴の一つも上げて逃げ出してもおかしくない場面だが、俺は動けないし、悲鳴を上げる機能もない。
そして何より――見慣れてしまった。
この女性、結構頻繁に現れるのだ、それも夜にばかり。
夜の常連と言うだけでも珍しいのに、この格好だ。嫌でも覚えてしまう。夜に女性が一人で出歩くのは危険だと思うのだが、この女性に声を掛ける勇気がある人がいるのかと問われたら返事に困るな。
いつものように、おでん缶を購入すると、すーっと闇の中へと消えて行く。
自動販売機に転生する奴がいるぐらいだ、お化けが存在していても不思議じゃない。でも、あの女性は実体もあるし、ちゃんと生きている。それに、おでん缶を手に取った瞬間、口元に笑みを浮かべるのだ。余程のおでんマニアなのかもしれない。
どんな人でもお客には変わりない。それに、誰もいない場所で一人――いや、一台佇んでいるよりは寂しくないので助かっている。
それにしても今日も寒そうだな。
「ふぅー、くっそ寒いのに夜中担当かよぉ」
「諦めろ」
今日も丸坊主カリオスと角刈りゴルスは夜中の見張りらしい。二人はこの集落の衛兵の中でもかなり腕が立つので、稀に凶悪な魔物が出没する夜に回されることが多い。
「さみいなぁ。マフラーもう一本巻き付けとけば、よかったぜ」
「相変わらず悪趣味な色だ」
「はんっ、何とでも言いやがれ。俺の幸運を呼ぶ色は赤だからな。昔、よく当たる呪い師に教えてもらったんだぜ」
正直、厳ついオッサンに赤のマフラーはどうかと思うが、人の好みはそれぞれ。当人が気に入っている物を着るのが一番だ。
「赤と言えば、あの噂があった」
「ああ、真っ赤な女の幽霊って奴か。最近深夜に目撃したって話をそこら中で聞くな。有害な幽霊なら退治しなくちゃならねえが」
この世界では幽霊ってのは恐怖の対象でもあるが、討伐可能な存在なのか。さすが異世界だ。この二人は怯えている素振りを全く見せていない。
噂の幽霊って確実に、あの女性の事だよな。俺も初めはお化けかと勘違いしたから、噂になるのも頷ける。
二人はいつものおでん缶とミルクティーを手に取り、門の方向へと速足に向かっていった。そんな二人の姿が消える直前に、視界に割り込んできたのはいつもの赤い服の女性だ。
今更なのだが、彼女の出現条件に付いて気づいたことがある。彼女はいつも、あの二人が現れて直ぐにやって来る。そして、おでん缶を握りしめたまま、二人の後を追うように門の方向へと消えて行く。
流石に、ここまで情報が揃うと俺だって感づく。この赤い服の女性はカリオスが好きなのだろう。好物のおでん缶を買い、好きだと言っていた赤色の服で全身をコーディネートする。
若干ストーカー気質なところが怖いが、遠くで見守っているのだから害はないだろう……たぶん。
じっと観察していると強めの寒風が吹き、彼女の前髪を掻き上げる。その下から現れた顔を見て俺は息を呑んだ。
澄んだ瞳に形の良い鼻。頬を赤く染めた表情はとても魅力的に見えた。思わず自動販売機用防犯カメラで録画してしまうぐらいに。
「カリオス様……」
初めて聞く彼女の声はか細く、夜風に掻き消されそうだったが、想いを秘めた熱を感じさせた。
確かカリオスって恋人も嫁もいなかったな。結構本気で口説けば落ちそうな気がするのだが、そんな勇気は彼女にはなさそうだ。それに相手の好みもあるだろうから、俺は温かく見守るしかできないか。
おでん缶を握り締めたまま、ふらふらとカリオスの後を追うように、彼女もまた門の方向へと歩み去っていった。
「よーし、今日は非番だぜっ! 何すっかな」
カリオスが声を張り上げ、スキップでも踏みそうなぐらい浮かれた様子で俺の前に現れた。私服のカリオスを始めて見たが、まあ普通だな。ただ、赤のマフラーが浮き過ぎていて、昔の仮面なんたらの一号みたいだ。
「あの道具屋で備品でも購入したらどうだ」
ゴルスは今から見張りのようで、いつもの格好でミルクティーを購入している。
「おー、そ、そうだな。お前が言うなら、道具屋に行くか!」
あれ、何かソワソワしだしたぞ。ガラスに映る自分の姿を凝視して、服装に乱れが無いかチェックしているな。
それを眺めているゴルスが小さく「ふっ」と笑っている。
「よ、よーし、じゃあ何か手土産でも……あっ」
「あ、あら、カリオスさん」
偶然通りかかった女性を見てカリオスの背がぴんっと伸びた。女性の方も両手に荷物を抱えたまま硬直している。
「ぐ、偶然ですね。今から道具屋に向かうところだったのですよ」
「そ、そうなのですか。私も今から戻るところで。あっ、そのマフラー鮮やかな赤で素敵ですね」
「そうですか。実は赤が好きでして」
カリオスの口調が丁寧で違和感しかない。寒空だというのに額とこめかみに汗が浮かんでいる。かなり緊張しているようだ。
女性も視線が定まらず若干挙動不審だな。あれ、この二人もしかしていい感じ――あ、この女性の顔……見覚えが。カチューシャで前髪を上げているので丸見えなのだが、あの赤い服の女性だよな。防犯カメラの映像と照らし合わせてみたが間違いない。
あれっ、もしかして相思相愛なのか。何だろう、祝福したいと思う反面、何故かいらっとする。
「カリオス、道具屋に行くなら荷物を持って差し上げたらどうだ」
おお、ナイスフォローだゴルス。
「そ、そうだな。宜しければ、荷物持ちますよ」
「あ、ありがとうございます」
荷物を受け取り、二人は肩を並べて歩み去っていく。その背を見つめていたゴルスは大きく息を吐いた。
「やれやれ、さっさと付き合えばいいものを」
「いらっしゃいませ」
俺もそう思うよ。ゴルスに同意しておいた。
深夜、いつもの二人が自動販売機の前から立ち去ると、またも赤一色の女性――道具屋の店員が姿を現す。いつものようにおでん缶を握り締め、カリオスの背を見つめている。
「カリオス様。この想いをどうやって伝えれば」
正に恋する乙女だな。
ゴルスの話によると彼女は以前、集落内で素行の悪いハンターに暗闇へと連れ込まれそうになったところを、カリオスに助けられたそうだ。
それをきっかけに何かと話すようになり、気が付くとカリオスが本気で惚れてしまっていたらしい。豪快な性格のくせして女性には奥手らしく、中々一歩を踏み出せずにずるずると今の関係が続いている。
道具屋の女性も、その一件以来カリオスが気になるようで、傍から見ていればもどかしい関係でゴルスは何とかしたいと考えていた。
うーん、切っ掛けか。男性から声を掛けるのがベストなんだが、あんな厳つい顔して彼女の前では緊張して碌に話せていないからな。
となると、彼女からアプローチをする理由があれば……ん、ああ、あれいけるんじゃないか。
「はあ、今日もこうして貴方の好きな赤に身を包んで、後姿を見つめることしか……えっ」
一人語りを始めた彼女を無視して、俺は身体を変化させる。飲食店に野菜を提供する時の自動販売機へと。
「これはお野菜?」
小首を傾げている彼女の前で大根が納められている、ガラス張りのロッカーのような蓋を開いた。
「あ、え、これを受け取ったらいいのかしら」
「いらっしゃいませ」
おどおどと大根を受け取った彼女を確認してから、今度は卵販売モードに変化した。そして、同じように卵を一パック提供する。
続いて今度は竹輪も取り出し口に落とす。今更だが自動販売機の商品の豊富さには驚かされる。これはとあるパーキングエリアで見つけた物だ。
そして、最後にいつもの自動販売機モードに戻り、マニアックだがかなり気に入っている商品を並べた。ペットボトルに入ったアゴ出汁だ。
これは大阪の自動販売機で発見したのだが、値段が少し高い方はアゴ――つまりトビウオのことなのだが丸々一匹入っている。
「あ、あの、ええと、こんなにも頂いて、あの、どうしたら」
止めにおでん缶を取り出し口に落とした。それを見て、彼女は目を見開き俺を凝視している。気が付いてくれたようだ。
「この食材で、この煮物を作れということですねっ」
「いらっしゃいませ」
「あ、ありがとうございます! これで、あの人を振り向かせてみせます!」
全てを理解した彼女は俺に何度も頭を下げて、いつもとは違う門とは逆の方向に走り去った。彼女の一途さを見ていると上手くいってほしいが、カリオスに春が来るのかと思うと、いらっとするのは仕方のないことだと思う。
「ゴルス、ハッコン恋っていいぞ! 毎日が輝いて見える! あ、そうそう、昨日なんだけどよ。彼女がまた手料理を作ってくれて、それが旨いのなんのって」
数日後、おでんを作った彼女が食事にカリオスを誘い、それをきっかけに急接近した二人は恋人となった。それからというもの、毎日、俺とゴルスに惚気話を聞かせるのだ。
ゴルスは心底うんざりした顔で冷たい視線を注いでいるのだが、カリオスは全く気付いていない。毎回毎回、よくも飽きずに彼女のことをこれだけ褒められるな。若干どころか、かなりうざい。
仲を取り持ったことを少し後悔しそうだ。
「てなことがあってよ。あ、そろそろ見張り交代の時間か。なら、いつもの買っていくか。彼女の手料理には劣るが、これはこれで旨いからなっ!」
浮かれ調子のカリオスがいつものように、おでん缶を購入して取り出そうとした。
「ひいぅあっ! 冷てえぇ! な、なんだ、ハッコン温まってないぞ!」
けっ、冷えたおでんでも食ってやがれ。




