自動販売機マニアとして
鼓膜があれば麻痺しそうな爆音が地下室を満たし、見上げた天井が軋み亀裂が縦横無尽に走っていく。
あ、これ駄目なやつだ!
「ほ、崩落するぞっ! きゃあああああっ!」
悲鳴を上げる時は可愛いんだなとか思っている場合か〈結界〉発動!
ギリギリで青い壁が俺を取り囲み、崩壊した天井を弾き結界内に入ることを拒む。もう、何の音か判別付かない騒音に包まれ、ヒュールミは耳を押さえて蹲っている。
ようやく音が消えると俺たちは瓦礫に閉じ込められていた。本来なら光を通さない漆黒の闇なのだろうが、自動販売機の体から溢れ出す光で、辺りが良く見えていた。
「た、助かったぜハッコン。できる男だなてめえは」
鉄の体を拳で軽く小突かれた。安心できる状況ではないのだが、取りあえずは何とかなったようだ。だけど、問題はこれからか。
食料は何とでもなる。最大の問題は結界の維持だ。一万を切っているポイントでは毎秒1ポイント減り続ける結界を持続するには限界がある。一時間で3600ポイントも減るとなると、三時間以内に掘りだしてもらえなければ押し潰されて死ぬだけ。
俺だけなら……頑丈を上げれば耐えられるだろう。だが、それを選ぶ気は微塵もない。彼女を見捨てたら俺は一生後悔し続ける。人ではなくなったからこそ、心だけは人でありたい。
それにラッミスの泣き顔を見たくはないからな。
「ハッコン、この結界はずっと維持できるのか?」
「ざんねん」
ここは嘘を吐いてもしょうがない。現状を出来る範囲で伝え、二人で助かる方法を探すべきだ。
「一時間ももたないのか?」
「ざんねん」
「二時間がぎりか?」
「ざんねん」
「三時間ぐらいか?」
「いらっしゃいませ」
「そうか、三時間持つかどうか……余裕は殆どないのか、厄介だぜ」
そう、時間が無いのだ。時間切れまでに現状を打破しなければならない。自販機の商品にここから逃げ出せるような道具は――存在しない。
非情であろうがこれが現実か。加護を得るには圧倒的なポイント不足。機能にドリルでもオプションでつけられるなら話は変わるのだが、もちろんそんなものはない。あったとしても膨大なポイントを必要とするだろうな。
どう考えても詰みだが、まだだ。まだ何か組み合わせれば……。
「おい、ハッコン。加護を維持するのには、もしかして金が必要なのか? 前にも金を別のことに使っているって話をしたよな」
「いらっしゃいませ」
ああ、そんな話をしたな。もちろん、硬貨を大量に得ることが出来れば、ポイントに変換して結界を保てるが、ヒュールミは硬貨と荷物を全部奪われたと言っていた。そんな金、何処にも存在しない。
「やっぱそうか。ならどうにかなるかもしんねえぞ。ハッコン上を見てみろよ」
何とかなる? 素直にそれを信じられなかったが、視線を上に移動すると元々は天井だった瓦礫が埋め尽くしている。これでどうしろ――え、これって。
「見えたか? あれって硬貨の詰まった袋だよな。上が倉庫だって話したのを覚えているか」
あ、ああ、そうか。真上に倉庫があったから、この大惨事を引き起こしたのだった。床が抜ければ、倉庫にあった物が下に落ちてくるのは道理。
なら、その袋だけを結界内へ入ることを許可する!
地面に落ちた子供がすっぽり入れるぐらいの袋の口から、金銀銅が入り混じった硬貨が溢れている。よおおおし、これだけあれば結界の維持は余裕だ。零れている硬貨だけでも丸一日は余裕で持つだろう。
あとは料金設定を商品一個、金貨一枚以上に変更してやる。
「よーし、何でも好きなの買ってやるぜ!」
金貨、銀貨、銅貨が大量に投入され、ポイントが信じられないぐらいに上がっていく。たぶん、違法な行為で手に入れた金銭だとは思うが、被害にあった人に返しようがないので俺が有意義に使わせてもらいます。
これで、あいつらの親玉が無事で、貯め込んだ金がすべて消えていると知ったら発狂するかもしれないな。
結界の心配はなくなった。三日も耐えれば、ラッミスなら瓦礫を排除して俺を掘り当ててくれるだろう。加えて俺が声を出し続けておけば、近いうちに気づいてくれると信じている。
生命の危機が遠ざかり、ようやく心に余裕ができた。
あとは助けを待つだけでいい。ヒュールミも完全にくつろいで金貨一枚以上で購入した高価な成型ポテトチップスを齧っていた。今はお腹一杯になって眠いのか静かだが。
「はぁーはぁーはぁはぁ、何だ……息が、苦しい」
えっ、顔色が悪くないか。呼吸も荒く、額に手を当て苦しそうに見える。一体どうしたんだ、さっきまではあんなにも元気だったの……ああっ、馬鹿か俺は!
自分が機械の体になったことで、間抜けなミスを犯してしまった。今、彼女は窒息状態だ。俺と違って人は呼吸を必要とする。瓦礫で隙間なく埋め尽くされた密閉された空間で、人は長く生きられない。
くそっ、少し考えたらわかったことだろ。自分が死なないからって油断をして、彼女をみすみす危険に晒してしまった。
「頭がいてぇ、はぁはぁはぁ」
どうすればいい。時間の余裕はさっきよりもないぞ。ヒュールミが窒息して気を失ったら、俺にはどうすることもできない。酸素が不足しているのなら……酸素……そうか!
確かあったよな、この機能。取ることはないと思っていたのだが、今ほど、俺が自動販売機マニアで良かったと思ったことは無い。
自動販売機がレトロな感じに変形する。長方形のお世辞にもデザインセンスがあるとは言えないフォルムチェンジすると、上の方にある文字が漢字で表示される。
『酸素自動販売機』
体の中央部には鼻と口をすっぽりと覆うことが可能なマスクがあって、細いチューブで本体と繋がり、それを当てることにより酸素を吸うことが可能となるのだ。
「はぁはぁ、こ、これは、どうすれば」
本来50円で3000ccの酸素を供給するシステムだが、今回はもちろん無料だ。彼女が気づかなくても大丈夫なように酸素を出し続けておく。ようは、この空間に酸素を供給できればいいのだから。
「はぁはぁ、ここから、はぁはぁはぁ……何かが出ている……吸えって、はぁはぁ、ことかぁ」
「いらっしゃいませ」
彼女はマスクをしっかりと口に当てた。貪るように酸素を吸い続け、苦しそうな顔が段々と穏やかになっていく。よかった、もう大丈夫だな。
はあああぁ、焦った。自動販売機博物館やミュージアムを見つけたら迷わずに飛び込み、自動販売機マニアのコミュニティーに加入していた甲斐があった。
この酸素自動販売機は昭和40年頃に実際に存在していた自動販売機だ。当時の日本は大気汚染が問題になっていて、その対策の一環なのか銀座に置かれていたそうだ。
俺の知りうる限りだが、変わり種の自動販売機の上位に入る逸品だな。
ポイントは潤沢なので結界と酸素を同時に発動し続けても、問題は無い。後はのんびり彼女の助けを待つことにしよう。もちろん、今度こそ見落としが無いか調べてからだが。
食事は何時でも提供できるし、大量購入した商品が床に散らばっているので暫くは何の問題もない。ポイントも必要以上にある。何か異変があった時に備えて、俺は暫く不眠不休で警戒態勢を維持。これで万全、だよな。見落としはない、と思う。
これまでが酷かったので断言ができないのが悲しいが、失敗をしたとしてもフォローが出来れば何とかなる。助かるまでは油断をしないことを自分自身に誓おう。
「ありがとうよ、ハッコン。あれだな、お前さんが人間だったら、マジやばかったかも」
座り込んだ状態で照れながら上目遣いをされたら、自動販売機なのに胸が――装置が高鳴りそうになる。だけど、物理的にも俺の背を預けられるのはラッミスだ。
今も、俺が押し潰されたんじゃないかと、泣いていないだろうか。俺の結界と頑丈なことを知っているので大丈夫だとは思うが、無茶してないだろうな。
そんな俺の思考を遮るように、頭上から妙な音が響いてくる。ガリガリと何かを削るような音に重低音が混ざりあっているが、腹に響く音は何か重い物が地面に落ちたのか。
その音も直ぐに掻き消されることになる――ある少女の叫びにより。
「ハッコン! どこ、どこっ! 無事じゃなくても返事して!」
あの悲痛な声は……泣いているのか。まったく、自動販売機を想って泣くなんて、マニアの俺も真っ青だよ。
「ふはははは。ラッミスが呼んでいるぞ、ハッコン。返事してやれ」
立ち上がったヒュールミがバンバンと俺の背を叩いている。
頭上の瓦礫が吹き飛ばされ、魔法の灯りに照らされたラッミスが俺たちを覗き込んでいる。顔は鼻水と涙で濡れ、泣きはらした目元は腫れ目が真っ赤に充血している。俺のことをどれだけ心配してくれていたか一目でわかる。
「はっこおおおおおんっ!」
彼女は躊躇うことなく、頭上から俺に向かって飛び込んでくる。結界にラッミスが入れるように許可を出すと、青い壁をすり抜け俺にラッミスが激突した。
《25のダメージ。耐久力が25減りました》
ぐはっ、く、思ったよりもダメージが通ったな。でも、空気読もうなダメージ表示。
「ごめん、ごめんね。私が目を離したから、こんなことになったんだよね」
そんなに気にしないでいいから。あと抱き付いてくれるのは嬉しいけど、身体がミシミシって軋むダメな音がっ。
《10のダメージ。耐久力が10減りました》
……耐久力回復しておこう。されるがままにしていたら、助かった命を失う羽目になりかねないぞ。落ちつこうな、ラッミス。
「ありがとうございました」
「ごめんね、ごめんね、無事でよかったぁぁ」
泣きじゃくる彼女を抱きしめる腕もないし、慰める言葉を伝える口もないけど、キミと会えてよかったと心から思っている。また会えて嬉しいよ、ラッミス。
これにて一章終了となります。
これからもお付き合いのほど、よろしくお願いします。