昨日の敵は今日の
「人間の施しは受けない……」
声を出すのもやっとな状態で気丈に振る舞うスルリィム。
全員を眠りから覚まし、スポーツドリンクと食料を渡したのだが一人受け取ろうとしない。ここまで人間嫌いを貫き通すと感心するよ。
「駄目だよ、スルリィムお姉ちゃん。このままじゃ、死んじゃうよ」
少し元気になった双子の兄――灰が涙目で彼女の手を握っている。この灰という呼び名は「弟たちが赤と白ならボクは灰と呼んでください」と自ら提案した。
「私は人間に情けをかけられるなら、死を選ぶわ。それに、何が入っているかわかったものじゃない……」
毒の心配をしているのか。そんな弱り切った状態の相手をわざわざ毒殺するわけがないのだが。
「お姉ちゃん。ほら、ボクが一口飲んで毒が無いのは確かめたから。これを飲んで」
そう言って飲みかけのペットボトルをスルリィムに差し出している。
当然拒むものだと思って見ていたのだが、瞳に生命の光が宿りペットボトルの飲み口を凝視している。そして、呼吸も荒くなってきているなぁ。
「そ、そこまで言うのなら、もらおうかしら」
飲むんだ……周りのみんなもどん引きですわ。
顔を赤らめながら飲み口を含み、ゆっくりとその中身を流し込んでいく。
灰が協力してくれればスルリィムの説得も可能だと考えていたのだが、これは思ったより楽に事が運びそうな気がする。
俺は予め器に移しておいたレトルトのおかゆを灰に渡していたのだが、今度はこれを匙ですくって食べさせようとしているようだ。
「はい、お姉ちゃん。あーん」
「えっ嘘。そこまでしてくれるなんて……あ、あーん」
もう、何も言うまい。チョロすぎるとは思うが、あそこまで幸せそうに頬を緩めている顔を見たら、どうでもいい気がしてきた。
結局、おかゆを食べきりスルリィムは会話ができるぐらいは回復したようだ。
今は灰が背中を支えて上半身だけ起こしている。
「弱っている時に悪いが話し合いを始めさせてもらうぜ」
「人間に話すことなどない」
碌に動けないのに強気の態度を全く崩さないな。
「じゃあ、ケリオイル団長と話をすっか。あんたは反論があれば口を挟んでくれてもいいんだぜ」
口を噤んだままそっぽを向いている。まともに対応する気はないようだ。
ケリオイル団長はスルリィムと違い何でも受け入れる気のようで、胡坐をかいて勢いよく飯を喰らっている。
「んじゃあ、ケリオイル団長たちはもう冥府の王に従う気はないということで、間違いないんだな」
「おう、そうだぜ。従うも何も、もう戻れねえからな」
「戻っても殺されるだけです」
フィルミナ副団長はまだ動けないようで、ケリオイル団長の脚に頭を乗せて寝ころんだまま答えている。
こうしていると仲の良い夫婦に見えるな。
「ただ……息子のことがあるから、スルリィムには逆らえないぜ」
今も灰の命を握っているのは彼女だから、それは仕方ないとは理解できる。
一番の方法は仲間に引き込むことだが、どうすればいいのか。
「お姉ちゃんも冥府の王の所に戻れないのだから、今は一緒にいようよ」
「で、でも、私は人間と……」
「ボクだって人間だよ。お姉ちゃんはボクのこと……嫌い?」
スルリィムの手を包み込むように握りしめている涙目の灰。
そっちの気は全くないが、中性的な少年の懇願する姿はかなりの破壊力を秘めているようで、仲間たちにも影響を与えている。
女性陣は目を輝かせてことの成り行きを見守り、紅白双子は憔悴しているというのに親指を立てて応援しているつもりのようだ。
親であるケリオイル団長とフィルミナ副団長は息子の説得方法に感心しているようで、立派になってと言わんばかりに頷いている。
「灰のことは、好きよ……でも、それとこれとは」
「別じゃないよ。人間が信じられないなら、ボクを信じて! ボクは絶対にお姉ちゃんを裏切らないからっ! ボクも大好きだよ!」
断言する灰の一撃が止めを刺したようで花が咲いたように笑うと小さく一度頷いた。
「だ、大好きなんて……わかったわ。今は協力することを誓う。慣れ合う気はないけどね」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
後ろからスルリィムに抱き付いた灰の頭を優しく撫でている。
その表情は優しく慈愛に溢れているようにも見えたが、頬が上気して鼻から血がすーっと垂れていなかったら完璧だったな。
これで味方が増えたと純粋に喜びたいところだが、一度裏切られた過去があるので本当に信用していいのか不安が残る。
こういう時にキコユがいてくれたら、相手が本心かどうか探ってもらえるのに。今頃何をしているのだろうか。畑さんには合流できたかな。
と、人の心配をしている場合じゃないか。彼らを荷台に乗せてこの道を進んで行かないと。
彼らが完全復活するまで待つことも考えたが、時間は有限だ。この道が何処まで続いているかもわからないのだから、少しでも進んでおかないと。
全員を詰め込むと、やはり荷台がかなり狭くなってしまっている。この荷台、ピティーの加護の有効範囲に合わせて幅と奥行きが三メートルなのだが、団長たち六人が追加となるとかなり限界に近い。
ということで、二人ほど車の屋根に移動してもらうこととなった。
「風が気持ちいいな……白」
「そうだな赤……この役割は俺たちだってわかっていたさ……」
振り落とされないように縄で固定されて寝そべっている紅白双子が、何か言っているが気にしないでおこう。
体に力が入らないようだから丁度いいよな、うんうん。
車内には助手席にスルリィムが座り、その上に灰がちょこんと乗っている。正直、狭いと思うのだが至福の表情を浮かべているので問題ないようだ。
運転席にはケリオイル団長が座っている。かなり無理をしてきたようなので、席を倒してゆっくり体を休めてもらうことにした。
「ハッコン、これマジで最高だな。天気のいい日に草原で思いっきり飛ばしたら最高だぜ、きっと」
「いらっしゃいませ」
いいよね、天気のいい日のドライブ。ダンジョンでの騒動にケリが付いたら、ラッミスやヒュールミたちと車でピクニックでも行きたいな。
「ハッコン、本当にすまなかった。お前さんを利用しようとしただけじゃなく、敵になって仲間やダンジョンの人々を裏切っちまった。もう信じてもらえないかもしれないが、今度こそは絶対に裏切らねえ。あ、いや、息子のことがあるから断言は……んー」
前半は謝罪だったのだが今は発言を躊躇っている。
つまり、スルリィムが味方である限りは裏切らないってことだよね。信じるよ、ケリオイル団長。
「私はスルリィムが再び敵に回る場合、説得を試みてそれでも無理な時は敵につくかもしれませんが、決して皆さんの寝首を掻くような真似はしません」
絶対に裏切らないと口先だけでも言っておけばいいのに、団長も副団長も正直に話してくれている。
彼らの苦悩は既に知っているので、スルリィムに注意をしておけは大丈夫だと信じたい。
「うちは信じるよ! だって、仲間だしね!」
「だな。この飢えて衰えた姿が芝居だとしたら、どんな嘘を吐かれてもどうせ見抜けねえし」
「ハッコン師匠が信じるのであれば、異論はありません」
ラッミス、ヒュールミ、ミシュエルは団長たちを受け入れるつもりのようだ。しかし、元愚者の奇行団所属だった残りの三人は黙ったままでいる。
付き合いの長い分、彼らの心中は複雑なようで真摯な眼差しを二人に注いだまま、何も口にせず沈黙を守っていた。
「すまなかった、ヘブイ、シュイ、ピティー。わかってくれとは言わねえ。お前たちを捨てて裏切っちまったことは謝罪する」
「本当に申し訳ありません」
謝罪をする夫婦に加え「おーれーもーわーるーかーったー」「おーなーじーくー」屋根の上から風圧に負けずに叫ぶ紅白双子の謝罪の声が聞こえる。
「皆さん、わかっていませんね。私たちはそんなことで怒っているのではないのです」
ヘブイの言葉が意外だったのか、ケリオイル団長たちは眉根を寄せ小首を傾げると、考え込むような仕草をした。
「シュイ、言わないとわからないようですよ」
そう促されたシュイは胡坐をかいて勢いよく膝を叩くと、大きく息を吸った。
「怒っているのはそんなことじゃないっす! もっと仲間を信じて相談して欲しかったっす!」
ヘブイが靴の秘密を隠していた時にシュイは言っていたな。仲間ならもっと自分たちを信じて相談しろ、勝手に決めつけるなと。
「行き詰って間違った道に走るなら、全力で止めたっす。納得できることなら喜んで手伝ったっすよ。何でみんな勝手に抱え込んで勝手に判断するっすか」
「ピティーは……みんなに相談……して……怒られたのに……」
不満を吐き出したシュイに続いて、ピティーが台無しにすることを呟いているが愚痴は後で聞かせてもらおう。
「私も靴の秘密を黙っていたことでシュイに怒られましてね。自ら愚か者だと名乗っているのですから、カッコ悪いことも情けないことも悩みも暴露していきませんか。あっ、性癖や女性関係は秘密にされて結構ですので」
前半は良いことを言っていたのだけど最後で台無しになったな。
フィルミナ副団長が鋭い視線を運転席に居るケリオイル団長に突き刺している。
「私としては女性関係の方が知りたいのですが」
「あっ、はっはっは、ヘブイも面白い冗談を言えるようになったじゃねえか。あーそのなんだ、ヘブイ、シュイ、ピティー、ありがとうな」
「こんな私たちの為に怒ってくださってありがとうございます……で、団長、女性関係についてなのですが」
まだ動くのも辛い筈なのにずるずると荷台を這いずり、運転席に近づいて行くフィルミナ副団長。運転席は逃げ場がないので、このまま追い詰められて白状させられる羽目になりそうだ。
これで愚者の奇行団関係の一連の事件は幕を下ろしたのかな。わだかまりが全て溶けた訳じゃないけど、今は素直に彼らの合流を喜んでおこう。




