扉だって守りたい
この物語は書籍化記念として購入者対象の企画で募集した『擬人化して欲しい無機物』でいただいたお題を元にしています。
一話完結のちょっとした小話ですので、息抜き程度にご覧ください。
おはようハニー、今日もいい天気だね。
燦々と降り注ぐ太陽の陽射しに、若人たちのはしゃぐ声。
僕たちはここから動くことができないけど、キミがずっと隣で寄り添っていてくれるから幸せを感じられる。ずっと一緒にいようね。
「ちーっす、何か手頃な依頼ないっすかー」
ギィーッ
何処に行くんだハニー! そんな男について行くんじゃ……お帰りハニー。まったく、浮気なのかと焦ったじゃないか。
あんな粗野でハンターなんて魔物を狩る仕事をしている乱暴者について行ったら、だ、め、だ、ぞ。
「みんな、準備を整えて狩りに行くぞ」
ギィーッ
うわあああっ、違うんだハニー! これは俺の意思じゃなくて、こいつが俺の体を押して無理やりキミと引き離されているだけなんだっ。
ただいま。ほら、直ぐに戻ってきただろ。僕と君は二人で一つ、一心同体さ。どちらがいなくなっても成り立たない、そんな存在だからね。
「職員さん! この扉建て付け悪いんだけど。開くとき重いんだが」
おいこら、オッサン! そんな汚い手で俺を掴んで揺らすな!
お外から帰って来たら手を洗うのが常識だろ!
あっくそ、磯臭ぇぇ!
そんな手で俺のハニーに触れるな!
「ギーギー軋んでうっせぞ、このボロ扉」
ふざけるなよ、扉に逆らってただで済むと思うな。喰らえ、ギリギリまで開いてからのー、勢いよく閉める!
「へぶしっ! おいっ、この扉勝手に動いたぞ!」
「そんなわけないじゃないですか。油を注しておきますからどいてください」
いつもの職員さんがやってきてくれた。ここの職員で一番まともで可憐で素敵な女性だ。
顔は童顔でパッと見は十五、六歳に見えるが実は二十八歳らしい。異世界恐るべしだな。
「どうしたのかな。一か月前ぐらいから急に苦情が増えたけど、扉におかしいところはないのに。ちょっと蝶番が緩んできているかしら」
全身を優しく擦る動作に生身なら興奮を覚えるかもしれないが、ナニも失ってしまった俺に性的興奮は皆無だ。
「こっち側の扉は問題ないのに」
隣に寄り添う俺の恋人、左扉のヒダコは従順で素直だからな。
いつも嫌なことでも大人しく一言も文句も言わず従って、俺と一緒に居れるだけで幸せと……言うこともないが、俺にはその熱い思いが伝わってくる。
「みんなが乱暴に使うから蝶番がずれたのかもしれないわね。職人さん呼んで今度見てもらわないと」
首を傾げながら童顔の職員が室内へ戻っていった。
今日もカウンター越しに魔物の討伐依頼や、収集品の売買業務をするのだろう。
もう少し日が昇ればハンターが次から次へとやってきて、また俺は揺さぶられることになる。
そろそろ日課の現実逃避、左側の扉との恋愛ごっこにも飽きてきた。あいつ全く話さないし、何の反応も示さないから面白くないし!
はあああぁ、どこをどうやったら異世界の扉になんて生まれ変わるんだよ……。
あまりにツッコミどころが多すぎて現実逃避に磨きがかかり過ぎていたが、もう正気になってもいいだろう。
まず、異世界ってなんだ。学生時代にやり込んでいたゲームと世界観が似ているから、勝手に異世界設定をしたが間違いはないと思う。
手から火や水を出す人間がいて、服とか鎧を着た猫や犬や動物が二足歩行で言葉を話しているから日本や地球ではない。
異世界だけでも大ごとなのに、よりにもよって魔物を倒して金銭を稼ぐ荒くれ者の総本山である、ハンター協会入り口の扉になってんだよ。
どうせなら共同浴場の女風呂の扉とか、女子トイレの扉……これは変態か。もっと他の施設の扉にして欲しかった。
ここは海の近い場所らしく、屋外側に開いたときに視界の端に海が見える時がある。
基本的にハンター協会一階ホールと真正面の風景しか見えないので、面白味も何にもない。
俺が何故か生まれ変わった扉は一風変わっていて、西部劇で観たことのある腰辺りの高さにある二枚の無駄に分厚く短い扉の右側だ。
この扉に何の意味があるのか毎日疑問を抱いている。雨風が入り放題の扉って無意味だよな。外からも丸見えで防犯の役にも立たない。何もないよりマシ程度だろう。
存在意義も感じられないので扉としてのやる気もなく、最近の趣味は妄想と人間観察ぐらいだ。
文明レベルは俺のいた世界の数百年前ぐらいだと思うのだが、魔法みたいな不可思議な力が存在しているので、どうにもちぐはぐな印象を受ける。
服装も現代日本でもおかしくない格好をしている人もいれば、素朴な格好でうろついている人も少なくない。
機械もないようだが同じぐらい便利な魔道具と呼ばれる不思議アイテムがある。こういうところは深く考えたら負けなのだろう。俺、扉だし。
正直、異世界であろうがどうでもいいことだ、扉ですし。
俺はここで開閉を繰り返すしかないので異世界でありがちな冒険ができるわけでもない。一応気合を入れたら扉の開閉を自力で行なえるが、これだけでどうしろと。
「おい、今回の依頼嘘ばっかじゃねえか、どうしてくれんだよ!」
どぅおおおっ、くっそ痛えなああっ!
怒鳴り声と共に俺の体を蹴りつけて、乱暴に扉を開く荒くれ者が現れた。
こいつは嫌われ者で有名なハンターだ。
身長が軽く二メートルを越えていて、もみあげから顎髭までが繋がっている。髪もぼさぼさで獣人のように見えて普通に人間のオッサンらしい、あれで。
自分の不手際でも職員に責任を擦り付けようとするクズハンターだ。
毎回毎回、飽きもせずに俺を蹴り飛ばしやがって、今日こそ目に物見せてくれる。
直ぐに戻らないでタイミングを見計らってから股間を強襲した。
「何とか言った、げひああああっ!」
筋肉の塊でもそこは鍛えられないだろ。おうおう、蹲っていやがるぜ。
更にもう一度限界まで扉を開いて、大男が顔を上げたところにダイレクトアタックだ!
「ほぐうおあっ」
会心の一撃だ。顔面を押さえてもんどりうっている。
「アイツ馬鹿じゃね。自分の押した扉に当たってやがるぜ」
「バッカでー」
「間抜けにも程があるだろ」
痛みに身悶えていた大男だったが周りからの嘲る声が聞こえたようで、そそくさと逃げるように外へ跳び出していく。
やればできるじゃないか、俺。
怒りに任せた行動だったが扉の開閉だけでもやれることがあるとわかって、少しはこの新しい人生……扉生を楽しめる気がしてきた。
「扉壊れてないかしら」
童顔の職員さんが慌てて俺に駆け寄って、体の隅々を調べてくれている。そして、何も壊れていないことを確認すると安堵の息を吐いて、綺麗な布で俺が蹴られたところを丁寧に拭いてくれた。
すまない、ヒダコ。無口で根暗なお前とはもうやっていけない、俺はこの童顔の職員さんと添い遂げるから!
今日から俺はここで職員さんに迷惑を掛ける輩を排除する門番と化す!
どんな厄介な敵でも身を挺して彼女を守ってみせる!
「ふむ、やはりここは熱いな」
外から渋い声がしたかと思ったら、俺の体に影が落ちた。彼女をじっと見つめていて気づいていなかったが、扉のすぐそこに誰かが歩み寄っていたのか。
それが何者か確かめる為に視線を向けると――巨大な熊がいた。
二足歩行の熊なのにロングコートを着て帽子まで被っている。熊だというのにその顔は知的な感じがして、イケメンならぬイケクマだ。
「これは清流の会長、どのようなご用件で」
彼女が慌てて駆け寄ってきているな。会長ということは、うちの子供にしか見えないハンター協会の会長と同じ役職なのか。
あれが会長を出来るぐらいだから、ハンター協会の会長というのはお気楽な仕事だと思っていたが、この熊さんは見るからに優秀そうだ。
「犬岩山会長に相談があってな」
「今、会長は席を外していまして、昼前には帰ってくると思うのですが」
犬岩山会長ってあの子供にしか見えない会長の呼び名だよな。改めて聞いても変な名前だ。
うちの子供会長って落ち着きがないから、一日中、ハンター協会にいたためしがない。今日も朝から何処かに出かけて行った。
昼前に帰ってくるのはお腹が空いて食事をする為に戻ってくるだけだ。
「集落の見回りに行ってくるね」
と言っていたが絶対に遊びに行っただけだ。
「では、待たせてもらっても構わぬか」
「はい、ご案内しますね」
彼女が二階に熊さんを連れて行っているのだが、その光景は熊を檻へと誘導する飼育員のようだ。地味な色合いの制服が作業服に見えてきた。
あれから子供会長が帰ってきて、待ち熊がいることを知った途端に逃げ出そうとしたのだが、いつの間にか背後に回り込んでいた熊さんに捕まり運ばれて行く。
巣穴に連れていかれて食われる姿が思い浮かぶが、あの熊さんは頭が良いので大丈夫だろう。
でも、何の話なのだろうか。俺はここで目が覚めてからまだ日が浅いので、この世界のこともハンター協会のことも殆どわかっていない。
ゲームや小説でいうところの冒険者ギルドみたいな場所なんだろうな、ぐらいの認識だ。
正直、世界観を知ったところでどうしようもないので、よく利用するハンターの個人情報や優しい職員さんのことを知る方が重要だったりする。
「初めての方ですね。ようこそ、犬岩山階層へ。お名前と職業の確認をさせていただいて宜しいでしょうか」
職員さんは今日も丁寧な口調と優しい笑顔で対応している。
はぁー癒されるわぁ。扉になって唯一良かったことが、ほぼ毎日彼女の姿を見ることができることだ。
だから、休みの日になると俺のテンションが駄々下がりになって扉の開閉が重くなる。
今日は朝から忙しそうに仕事をする職員さんを眺めるのが、俺の仕事だ。
門番をすると意気込んだところで、バカなことをするのは髭面のハンターぐらいなので特にすることはない。だから、じっと観察していても何の問題もない。
「ふぅー、今日は忙しかったわね」
夜も更け、営業時間をとっくに越えたハンター協会の前に職員さんが看板を運んでいる。今日は遅くにハンターが駆け込んできたので、それの対応をしていつもより遅くなってしまった。
あの看板はたぶん『営業終了』とでも書いているのだろう。今日もお疲れ様です。
ホールに戻ってから奥にある扉の先に消える。あそこは職員の更衣室になっているので、彼女も私服に着替えて帰るのだろう。
夜から朝まで寂しくなるが、待つ時間があるからこそ会えた時に嬉しさが増すと自分を慰めておく。
彼女に対する感情は恋愛ではなく憧れなのだろうな。扉と人間の恋愛が成立すると思う程、馬鹿じゃないつもりだ。手に届かない憧れの存在を影ながら応援する……アイドルの追っかけやっているファン心理が今ならわかる。
そんな馬鹿なことを考えていると、砂を踏みしめる音が微かに届いた。
もう営業時間外だぞ。今、職員さんは着替えている最中だろうから、ここは通さんっ!
と意気込んだのに扉の前に来ないで扉脇の壁際に屈んでいる。巨体を丸めているアレは前に俺が叩きのめした髭面ハンターか。
何してんだあんなところで。無い耳を澄ましてみると、何か呟いている。
「くそが、俺に恥をかかせやがって。ムカつくぜ、あー、いらいらする」
かなり酔っぱらっているようで、あの抱えている樽には酒でも詰まっているのだろうか。
おいおい、そんなところで吐いたりしょんべんするなよ。そこからだと、ここまで臭ってくるから勘弁してくれ。
扉の癖に嗅覚があるのが厄介なんだよな。ハンターのオッサンたちって何日も風呂に入らないで、汗だくだったりするから悪臭が酷いんだよ。
心配をしながら髭面を注視していると、手にした樽の中身を壁にぶちまけ始めた。
何考えてんだ酒をハンター協会の壁に……えっ、何だこの臭い。酒じゃないぞ、これって油か!?
何やってんだこの髭面、ハンター協会の壁に油なんて撒いて――こいつまさか放火するつもりか!
おいおいおい、待て待て待て!
俺扉なんだぞ火事になっても逃げられないし、それに今は中に職員さんがいる。
どうにかしてコイツの凶行を止めないと!
扉である俺に何ができる。考えろ、何か、何か扉にもやれることはないのか。
声は出ない。足も手もない。扉の開閉ぐらいしかできることはない……だったら!
「なんだっ、扉がギィーギィーうるせえな。今日は風が強いから揺れてやがるのか」
音と動きにびびって逃げ出せばいいと思ったが、酔っぱらって気が大きくなっているのか一瞬だけこっちを見て、それだけで終わった。
うおおおおっ、更に速度を上げるぞ!
「へへへ、これで火を付ければハンター協会も終わりだぜ。俺をバカにしたことを後悔しやがれっ」
やばい、火を出せるライターみたいな魔道具を取り出した。あれで着火されたらおしまいだ。うおおおおおっ、更に加速しろ俺の体!
限界を超えた俺の速度に付いていけなくなった蝶番が弾け飛ぶと、俺はその勢いのまま吹き飛んでいく――髭面の方向へと。
喰らえ、扉で頭を打って後悔しろアタック!
「ぶべっ、とび……ら……」
顔面のど真ん中に扉の角がぶつかり鼻骨を破壊してめり込む。血を撒き散らしながら男が仰向けに倒れ、俺はばら撒かれていた油が零れて染みた地面の上に落ちた。
ざまあみろ。これが扉の力だっ!
手があるなら中指でも立てたい気分の俺が視線を上げると、赤く火の灯った魔道具がゆっくりと落ちてくるのが見えた。
えっ、ちょっと待って。その落下コースにいるのは……俺なんですけどっ!
その魔道具は俺の体の上に着地して、運悪く落ちた衝撃で飛び散った油が俺の表面にも付着していたようで、俺の体が炎に包まれた。
あああああああっ、熱くないけど赤い!
自分の体が表面から炭と化していくのがわかる。ダメだ、このままじゃ俺は消えてなくなってしまう。
異世界で扉に生まれ変わり燃やされて死ぬだけの扉生だったのか。
体が焦げて崩れて行く度に意識が薄れていくのがわかる。
ああ……これで……終わりか……扉としては……カッコイイ……結末だよな。
足掻くことも出来ない俺は紅く染まる視界を見つめながら、意識を閉じようとした。
「えっ、火事! 何でこの人と扉が! えっと、水、お水!」
最後に聞く声が彼女で良かった、うん、満足な扉生だった――
「扉新しくなったんだね」
「うん、前の扉が外れて燃えちゃったから」
「あれでしょ。放火しようとしていたバカに扉が激突したんだっけ。あれがなかったら今頃ハンター協会も燃えていたらしいわね。怖いわー」
「あんな離れた場所に扉がどうやって飛んだのかが良くわからないの。だけど扉がハンター協会を守ってくれたのかもしれないわ」
「ないない。って言いたいけど……最近小耳にはさんだ噂話知ってる? 清流の湖階層には意思があって話す魔道具があるらしいわよ。その燃えた扉もそういうのだったりしてね」
「だといいな。ねえ、扉さん」
そうだね!
俺は彼女の仕事場であるカウンターの片隅に置かれている。
あの時、全身が燃え尽きたと諦めかけていたのだが、全てが燃え尽きた訳じゃなく生き残った中心部だけを削りだして、職員さんが木製のトンファーにしてくれたのだ。
ハンター協会を守った俺を彼女の護身用の武器としてくれた。元々優秀なハンターだったらしい彼女が持てばトンファーでも充分な威力を発揮するらしい。
扉に生まれ変わったと思ったら、今度はトンファーとして生きることになるようだ。
新しい人生の扉が開いたのだから、元扉として恥ずかしくない生き方をしないとな!




