一方的な蹂躙劇
大海を掻き分けて泳いでくる一匹の巨大生物。
距離があるので正確な大きさは不明だが、全長が五十メートルを優に越えていそうだ。清流の湖で遭遇した八足鰐よりデカいのは確かだ。
姿は一見サメなのだが皮膚が鮮血の様に赤く、頭から牡牛を彷彿とさせる立派な角が二本生えている。そして、大きな目が顔の中心に一つだけ存在していた。
『まーたーぬぅーかー』
頭に重低音の渋い声が響く。この脳に直接届く感じはキコユの〈念話〉と似ている。ということは、あの巨大なサメの声か。
『冥府の王が居らぬ時に逃がしたとあれば叱責は免れぬ。中将軍として見過ごすわけにはいかぬ』
あの巨大サメが中将軍なのか。本拠地で一度も見かけなかった理由が良くわかるよ。あんなのが拠点に入ったら完全崩壊する。
近くの海中で過ごしていたのだろう。しかし、あんな巨体でどうやってこのダンジョンに入り込んだんだ。って、そんな疑問は後にしよう、今は緊急回避を最優先だ!
再び〈風船自動販売機〉にフォルムチェンジすると〈結界〉内部に風船を増やし急上昇する。
ぐんぐんと海面から離れていくが相手の動きが予想より速い。
真下に陣取られたのだが、見下ろすとその巨大さに戦慄を覚える。海にいる巨大生物というだけで全身が身震いしてしまう。青一色の世界に赤い巨大な物体が横たわる光景は驚愕の一言だ。
『逃がさぬぞ』
かなり上空に達しているのでどう考えても相手の攻撃は届かない。そう高を括っていたのだが、中将軍の背中に穴が開いたのを見て体内のパーツが異音を上げた。
あれはヤバい!
その穴から大量の水が噴き出し、真上にいる俺たちへと突き進んできた。
視界一面を埋め尽く水流を避ける術はないと判断して〈結界〉の維持に集中する。
《ポイントが918減少》
頭に浮かぶポイント消費の文字に構っている場合じゃない。限界まで軽くなっていた体に激流が衝突したことにより、俺たちの体が更に上へと跳ね飛ばされた。
「ひぃぃぃぃ」
その衝撃にピティーの手が離れ、重さを取り戻した体が上昇する速度が徐々に落ちていき、空中でピタリと止まった。
ちょっ、ちょっとピティー!
「て を て を」
「えっ……あっ……」
慌てて手を体に触れてくれたことで重量が戻ったことにより、空中で何とか停滞できた。
想像以上に打ち上げられたようで中将軍が小さな米粒に見える。この高度を保って移動すれば安全に逃げ切れそうだな。
眼下をぐるぐると円を書くように泳いでいる中将軍は、こちらの姿を見失っているのか。
「ハッコン……このまま……逃げよう……」
ピティーの言う通りここは逃げるべきだろう。だが、敵が真下で彷徨っている今は絶好の好機だよな。
俺の能力であの巨大サメをどうにかして仕留められないだろうか。ここでやれるなら今後の冥府の王との争いで、少しは優位に立てるかもしれない。
倒すだけなら方法はある。俺が巨大自動販売機にフォルムチェンジをして落下すればいい。この高さなら相手が如何に巨大だとはいえ、致命傷を与えられるだろう。
ただ、問題が幾つかある。まず、外れたらそこで終了だ。海底に沈んでいくか、中将軍に壊されるかの二択が待っている。
更に当てたところで、その衝撃で俺も破壊されかねない。幾ら頑丈な自動販売機とはいえ、この高さを落ちて無事はあり得ない。
下が水面だから大丈夫なんて考えは、ある程度の高さまでしか通用しない。この高さから落ちた衝撃は、コンクリートの地面であろうが海面であろうが対して差はないだろう。
それにピティーも巻き込んでしまう。だからこの作戦は却下だ。となると俺の能力でこの高度を生かした攻撃手段は……あっ、良いこと思いついた。
風船を幾つか〈結界〉の外に排出して高度を下げていく。すると、中将軍も俺たちに気づいたようで俺たちが風に流される方向に付いてきている。真下の位置をキープしたまま。
再び穴からの潮吹き攻撃があったのだが、俺のいる場所までは届かないようで
『卑怯なり。降りて来て正々堂々と勝負するがいい』
と言う声が頭に響いたが無視した。
空の敵に対する攻撃手段がそれしかないので、常に俺の真下を陣取って降りてきたところに撃ち込むつもりなのだろう――それが敵の敗因になるとも知らずに。
「ぽ て い た て」
「に く く っ て」
風船の一つを〈念動力〉で彼女の前に運び、盾に括りつけるように指示する。
「えと……何か……考えが……あるの……」
「ま か せ て」
そう断言すると、ピティーは風船と盾を紐で結んでいく。従順で信頼を寄せてくれていると、こういう時の対応が楽だけど、その素直さが少し心配になる。
全ての風船が盾と繋がったのを確認すると、盾の上に乗っておくように頼んでおいた。これは念の為であって、実際は意味のない行動で終わるかもしれないが。
じゃあ、そろそろ開始しますか。
体を大きめのサイズの自動販売機に変更する。といっても日本一の大きさをほこる自動販売機だとピティーの〈重さ操作〉が通用しないので三メートル手前ぐらいの体にしておく。
今も未練がましく眼下を泳ぐ中将軍の背中を見つめ照準を合わせると〈自動販売機設置据付用コンクリート石版〉つまり自動販売機の下に敷くコンクリート基礎を呼び出す。
本来は固定用のボルトで体と繋いで動かないようにするのだが、あえてボルトは出さずにコンクリートの板だけを出現させた。
その結果、コンクリートの板が真下へと落下してく。ただ落とすだけじゃなく〈結界〉で勢いよく吹き飛ばす!
高高度からのコンクリート板の爆撃。それも一枚や二枚じゃない。高速で何枚も続けて出現させているので、無数のコンクリートの塊が上空から降り注いでいく。
重量と落下速度でどれぐらいの威力が出るのかはわからないが、コンクリートの板は易々とサメの皮膚を貫き、深々とその体に埋没していくのが見えた。
『ぐおおおおっ! どうなっておる!』
状況が掴めずに海面で暴れ狂う巨大サメ。
さっさと海に潜ればコンクリート爆撃から逃れられるというのに、パニック状態に陥っているのか海面で身をよじらせているだけだ。
コンクリートの板を発射し続けながら風船の数を調整して高度を徐々に下げているのだが、相手はそれどころではないようで全く気づいていない。
かなりのダメージを負っているようで海面が血で染まっている。だが、まだ倒しきれてはいない。止めの一撃が必要か。
この高さなら経験上、大丈夫の筈だ。よっし、〈結界〉を解除だ。
「えっ……ハッコン!」
ピティーの本気の叫び声って初めて聞いたかもしれないな。
〈結界〉が消えたことにより、風船の浮力を得られなくなった俺は真っ逆さまに落ちていく。
遠ざかっていくピティーが手を伸ばして俺の名を叫んでいる。まるで映画のワンシーンのようだが、死ぬ気はないから安心して。
体を日本一大きな自動販売機に変化させ、幾つも穿たれ血塗れとなった中将軍の背中へ墜落していく。
『ぬあにぃ! 何処から現れたその物体うがああああああっ!』
背骨の位置に激突した自動販売機の角が皮膚と肉を貫き、背骨を砕いてそのまま内臓を破壊すると体の中心でピタリと止まった。
久しぶりの巨大自動販売機アタックが炸裂した。ここまで体を傷つけられて生きていられる生物はいない。体を素早く元の自動販売機に戻し、大きく抉れたサメの死体の上で今後のことを思案していた。
暫くしたら中将軍も沈むだろうから、この場から撤退した方が良い。
となると風船とダンボールという、いつもの組み合わせで空に退避した方がいいな。
早速行動に移そうとした、その時。空から巨大な二枚貝がすぐ近くに落ちてきた。って、これピティーだよね!?
無茶なことを。風船を割って盾の中に入って落下してきたのか。皮膚に突き刺さってないから、重さを調整して衝撃を緩めたのはわかるけど生身の体で大丈夫なのだろうか。
「ぽ て い」
「良かった……無事で……」
盾が開き中から這いずり出てきたピティーが俺の体をペタペタと触っている。
かなり心配かけたようで、乱れた前髪から覗く瞳が潤んでいる。説明不足で申し訳ない。
謝罪も説明も後に回すとして、今はこの場から離れないと。再び〈結界〉を張って風船を作り始めた俺を見て何をするべきか理解してくれたようで、盾を引き寄せて出番を待っている。
前と同じように大空へと浮かび上がると、タイミングを計ったかのように巨大サメの体が海へと沈んでいく。
その際に腹の部分が見えたのだが、そこには短く太い足が何本も生えていた。どうやら水陸両用だったようだ。
五指将軍の内の一人を倒したことが広まれば俺への警戒度が高まりそうだが、死体は海底へと沈んでいき戦闘現場を目撃した証人もいない。
俺を追って倒されたという事実がある以上、何らかの関与は疑われそうだが犯人は自動販売機だなんて、荒唐無稽過ぎて誰も疑わないだろう。
「あ っ」
「どうしたの……ハッコン……急に……大声出して……」
同じ方法で冥府の王の腕を撃退したのだった。死体の傷を視られたら俺の仕業だとバレるなきっと。どうか、このまま海底で魚たちの餌になって浮かび上がってきませんように。
そう祈りながら俺たちは犬岩山階層の空を彷徨い続けていた。
八章はこれにて終了となります。
話数も200を越えてかなりの長編になっていますが、今後ともよろしくお願いします。




