それぞれの物語へ
最近キコユが今まで以上に変だ。この数日、小さなミスを繰り返している。
商売をしている時も上の空で聞き逃しや、お釣りを間違えているようだ。そんな彼女をボタンと黒八咫が心配そうに見守っている姿を何度も目撃していた。
心ここにあらずという有り様で、道を歩いているだけで人に何度もぶつかったりしている。
これは思ったより重症だな。余計なお世話でも俺が積極的に関わるべきだと判断して、声を掛けようと思っていたのだが、一足先にキコユが相談を持ち掛けてきた。
「今晩、お話があります。時間はありますか?」
「いらっしゃいませ」
言葉だけ抜き取るなら恋愛関連の告白のようにも思えるが、別の告白をされるのだろう。
深刻な表情で彼女は一体何を語ろうというのか。
相談を持ち掛けてくれたのは嬉しいが、その内容には不安がある。何を言われようと動揺しないようにしないと。
購入者が途絶え集落内を行きかう人々も消えた深夜。
約束の時間にキコユが黒八咫とボタンを引き連れて現れた。両腕で畑の欠片である土の球を大事そうに抱えながら。
「夜分にすみません」
「い い よ」
夜は冷え込むので温かいスープを彼女に渡しておく。
少しだけ緊張の色が薄れた彼女が一口飲んで、ほぅと息を吐いた。
「ハッコンさん、私たちはダンジョンを去ろうと思っています」
小さく呟くように吐き出した言葉に、俺はあまり衝撃を受けなかった。ただ、そうなのかと納得している。
「異変が解決もしていない状況で離れるのは、身勝手なことだとは重々理解しています」
そんなことはないさ。キコユが抜けるのは痛いけど、キミがここにいるのは別の目的の為だろ。感謝はしても咎める理由なんてない。だけど――
「何故、急にこんな事を言い出したのには理由があります。成人となって魔力が増大したことにより、この畑さんの欠片から声が聞こえるようになりました。本体のある場所へ運んでもらえたら本来の力を取り戻し復活できると。微かな声でしたが、確かにそう言ってくれたんです。そして、その為の道は畑さんの欠片が開いてくれるそうです」
彼女が畑の欠片を愛おしそうに撫でながら微笑む。
ずっと畑に転生した人と会う為だけに苦心してきたのだ、その喜びはひとしおだろう。
畑の人は確か魔王軍の領地内で彼女たちを逃がす為に犠牲になって、その後どうなっているのかわからないのだったか。唯一の道には巨大な土の壁が立ち塞がっていて、その壁を越える方法がなかったという話だ。
立ち去る理由は理解できた。だが、疑問がある。どうやってダンジョンから出るつもりなのだろう?
今は外とダンジョンは冥府の王の手によって隔離されている。外に出る為の手段が無い筈だ。
俺が悩んでいるのを感じ取ったのか、キコユが俺の体にそっと手を触れて考えを読み取ってくれた。
「以前、ヒュールミさんに話を聞いたのですが、転送陣に膨大な魔力を注ぎ込めば、一時的に外へと繋げることができる……かもしれないそうです。それは確証もなく危険を伴うのでお勧めはできないそうですが」
それを試そうというのか。今のキコユなら魔力の条件は満たしている。
だが、それは可能性であって博打要素が強すぎるのではないか。
「それはわかっています。それでも、私は畑さんの元へ駆けつけたいのです!」
髪を振り乱して強い口調で言い放つキコユに、俺は口を挟むことができなかった。
人には優先順位がある。世界中の人々を敵に回しても息子を助けたいと願った、ケリオイル団長たちのように。
彼女にとって畑に転生した人は何よりも大切な存在。それは自分の命を懸けるに値するのだろう。
「う ん」
「わかっていただけましたか。私の魔力ならこの子たちも一緒に運べるでしょう。この後すぐにここを発つことにします。皆さんに話せば引き留められるかもしれませんから。それに、皆さんの顔を見たら決意が揺らぎそうで」
そんな風に寂しそうに笑ったらダメだよ。キコユは大事な人を助けたいんだろ。だったら、胸を張って笑顔で元気よく別れの挨拶をしないと。
こっちのことは大丈夫、俺やみんながいるからね。だから心配しないで安心していいよ。
むしろ、今日までありがとう。キコユと黒八咫とボタンがいてくれて本当に助かった。楽しい日々を過ごさせてくれて感謝だよ。
「こちらこそ、ありがとうございました。色々ありましたけど、私も凄く楽しかったです」
「クワックワッ」
「ブフゥー」
キコユに倣って黒八咫とボタンも頭を下げている。二匹とも彼女と行動を共にすることを決めているのだな。
彼女がいなくなることで、俺の心の声を読める人がいなくなるが、それは以前に戻っただけの話。
むしろ、今まで頼りっきりで最近は話すことに関して努力をしてこなかった。初心に戻ってもっと頑張らないとな。
立ち去る彼女に相応しい言葉はどれだろうか。やはり、これしかないか。
「またのごりようをおまちしています」
朝になりキコユがいなくなったことが知れ渡り、彼女が何処に行ったか知らないかと熊会長から訊ねられたので、俺は去り際に彼女から預かった手紙を手渡した。
熊会長の指示で親しかった人たちが会長室に集められ、代表してヒュールミが手紙を読み上げる。
「皆さん、お世話になりました。勝手ながら最愛の人を助ける為にダンジョンの外へと向かうことにしました。身勝手な私をお許しください。畑さんを助け出した暁には必ずここに舞い戻ってきます。どうぞ、それまでお体ご自愛ください。だってよ」
堅苦しい挨拶ではあるがキコユの誠実さが伝わってきた。
「ダンジョンの外へ向かうとあったが、転送陣では出られないのではないか?」
「会長、それがよ……馬鹿げた魔力を注いで当人が飛ぶのであれば、何とかなるかもしんねえんだよ。キコユなら黒八咫とボタンを連れて飛ぶのも不可能じゃねえな」
ヒュールミの説明に熊会長が腕を組んで唸っている。
「だけど、今それが可能なのは爺さんぐらいだと思うぞ。それぐらい魔力を必要とするからな。おまけに上手くいく保証はねえ」
「この方法は使えぬということか……キコユが無事、外へ出られたことを祈るしかあるまい」
「キコユさんの気持ちはよくわかります。私もハッコン師匠が危機に陥ったら、全てを投げ捨ててでも助けに向かうでしょうから」
「ちゃんと想い人に会えるといいっすね」
「そうですね。僅かでも可能性があるのであれば、行動に移すべきです。失ってから後悔するよりは」
ヘブイは思うところがあるのだろう。手を組み合わせて神にキコユの無事を祈っていた。
この場に居る誰もがキコユを責めるような発言をしなかった。むしろ、その無事を願い応援している。
「寂しくなるね、ハッコン」
「いらっしゃいませ」
キコユが戦力としていなくなるのは、正直かなりの痛手だ。あの膨大な魔力と冷気を操る能力があれば今後の戦いが楽になっただろう。
それに飛行能力と音波を操る黒八咫には何度も助けられた。
ボタンもそうだ。ラッミスに匹敵する怪力で荷台を引っ張ってくれたおかげで、どれだけ旅が楽になったか。二匹の存在は大きかった。
だけど、それはもう過ぎたことだ。彼女たちが今まで力を貸してくれたことを幸運だと思わないと。
今、この機械の体が感じる寂しさは戦力を失ったことではなく、共に過ごした日々に対するものだ。
俺の商売敵として競い合ったことも、強敵に挑んだことも忘れないよ。必ず、もう一度会おう。その日を楽しみにしているからね、キコユ。