熱気と寒気
寝込みを襲って勝利という悪役側のような戦法で勝利を収めたわけだが、勝てば官軍負ければ賊軍という言葉もあるように、勝たなければ意味がない。
これはゲームじゃないのだから、何十分も粘りながら相手のHPを削る戦法なんて使えない。姑息であろうが手段を選んでいたら死ぬだけだ。
と、心の中で言い訳を終えたところで、改めて双対鬼の死体を見た。
二つの頭の一つは潰されて原形を留めておらず、もう一つは切り飛ばされて生首が転がっている。第三の首が生えて復活という展開もなく完全に死んでいる。
その証拠に俺のポイントが激増している。下層の階層主だけあってミシュエルとラッミスと俺で三分割された筈のポイントだというのに一気に100万ポイント以上増えた。今後はポイント不足で悩まされることはないだろう。
ちなみに、今までなら〈念話〉を取るか悩む場面だが取る気はもうない。これは貯金して300万ポイントを必要とするランク3へのバージョンアップを目指すつもりだ。
「ええと、双対鬼を吸収してもいいですか?」
キコユが畑の欠片を手にした状態で吸い込みたくてうずうずしている。これだけの強敵だったのだから吸い込めば、畑の欠片にかなり力を与えることになるのではないだろうか。
「ちょっと待ってくれ、貴重な部位があるからな。そこを回収したら構わねえよ。ラッミス手伝ってくれ」
「はーい。ハッコンはみんなに飲み物渡しておいてあげてね」
作業が一段落するまで休憩することになり、俺はその場に降ろされた。
全員の好みは把握しているので飲み物を選び一人一人に渡していく。
ヘブイはちらちらと何度も上階へ繋がる階段に視線を向けている。早く行きたくて仕方がないといった感じだが、今までのことがあったので単独で暴走するのは止めようと自重しているようだ。
「っと、終わったぜ。キコユ、吸っていいぞ」
「ありがとうございます!」
喜び勇んで飛び出したキコユが土の球を死体に押し付けると、あの巨体が一瞬で消え失せた。あの土の球の仕組みが不可解すぎる。
「ヘブイ、待たせて悪かったな」
「いえ、ほんの三分程度なら問題ありませんよ」
そういって笑みを返すぐらいの余裕はあるようだ。
落ち着かない様子のヘブイが今何を考えているのかは理解している。上の階には置いてきたタシテが気がかりなのだろう。
あの時、両足を潰され出血をしていたので、普通なら死んでいるだろうが回復薬や加護や魔法によって止血の手段があってもおかしくはない。
「敵は掃討したと思うけどよ、油断すんじゃねえぞ」
ミシュエルを先頭に階段をゆっくりと上がっていく。
二階はかなり酷い状態になっていた。逃げるのに必死でよく見ていなかったのだが、双対鬼が追いかけてくる際にぶつかった壁には大穴が開き、地面も数か所陥没している。
「扉まで行かなくてもいけそうだな」
ヒュールミが壁に手を当てて、そう判断した。
階段付近の内壁の大穴は人が余裕で抜けられる大きさで、そこから中へと侵入する。
「うわっ、寒い」
「何だ、さっきより気温が下がってるぞ。真冬みたいじゃねえか」
「めっちゃ寒いっす! ここ本当に砂漠のど真ん中っすか」
「どういうことでしょうか、ハッコン師匠」
「おかしいですね。夜間の寒気が流れ込んだとしても外気より寒い何てことは、あり得ないと思うのですが」
中に入った途端、仲間の吐く息が白くなり、気温が一気に下がったのが見て取れた。
本当にどういうことだ。あまりの気温差にみんなが寒がっている中で平然としているのは俺とキコユと二匹ぐらいだ。
「えっ、この寒さ……この感覚」
そのキコユは落ち着きがなくなり辺りを見回している。どうしたというのだろうか。
中には滾る爆炎団の死体が転がり、何体かは双対鬼に踏まれ圧縮されている。タシテは何処に行ったのだろうと三階への階段近くの壁際に目をやるとそこには――氷に包まれたタシテがいた。
「はああっ、氷漬けだとっ!?」
砂漠に最も相応しくない状況にヒュールミが目を向いて驚いている。
仲間たちもその光景が理解できず硬直しているようだ。ただ一人、キコユを除いて。
「これは、まさかっ! 皆さん、ハッコンさんの周りに集まってください!」
珍しく慌て取り乱した声を荒げるキコユの言葉に、意味もわからないながらも全員が従う。ここで俺に求められている役割は〈結界〉か。
状況が把握できていないが取りあえず〈結界〉発動だ!
俺が周囲に〈結界〉を張ったのとほぼ同時に、辺り一面が白で埋め尽くされた。
「えっ、雪? 灼熱の階層で?」
「おいおい、灼熱の砂階層に冷気を操る魔物がいるなんて初耳だぞ。それもこの規模、尋常じゃねえぞ」
この吹雪は威力も相当なものらしく〈結界〉の維持で減っていくポイントの減少表示が滝のように流れていく。
さっき、ポイントを補充できて助かったな。
暫く吹き付けていた吹雪が弱まると、そこは一面の銀世界だった。この光景だけを見せたら、ここが灼熱の砂階層だと誰も信じてくれないだろう。
外の寒さが不明なので〈結界〉を発動させたまま辺りを警戒していると吹雪が消え、氷漬けのタシテの背後から一人の女性が姿を現した。
それは息を呑む程、美しい女性だった。切れ長で涼やかな目に鼻筋の通った顔。顔色は真っ白で温かみが一切感じられない。腰まで伸びている髪も同様に白く、それが女性の幻想的な美しさを後押していた。
服装は白のコートでロシアの人たちが着ていそうなデザインだ。
そんな女性を見て誰もが連想したのだろう、仲間の視線が全てキコユに向いていた。
身長や顔の造りの差はあるが、あまりに似ているのだ。服装、髪、肌が。姉妹と言われても納得できるぐらい。
そんな俺たちの視線に反応することなく、キコユはボタンと黒八咫と共に〈結界〉の外に一歩踏み出した。
「貴女は雪精人ですね」
これは質問というより確認なのだろう。その声にも態度にも揺るぎがなく確信を持った問いかけだった。
女性は一度頷いただけで返事はない。
「どうして、こんなことをするのですか。雪精人は無暗に人を殺したりしない一族ではないですか。私たちを敵とみなしているのなら間違いです。そこにいる男に会いに来ただけです」
雪精人らしき女性が隣のタシテを一瞥すると、タシテごと氷が砕け散ると凍った死体ごと崩れ落ちた。
「なっ、何を!」
「何故、雪童が一緒にいるの」
初めて発せられた声は小さく辛うじて耳に届く声量だったが、とても澄んではいたが抑揚がない冷たい話し方。
「この人たちは仲間です」
「人間はクズ。貴女も知っているでしょ」
相手の言いたいことはわかる。キコユから詳しく聞いた話によると、雪精人とは成人の日を迎えたその日に強力な魔力を得て一気に大人へと急成長する種族だ。
大人の雪童は雪精人となり膨大な魔力を有し、冷気を自在に操ることができる。目の前の女性のように。
それだけではなく、大人になる直前に首を刎ねることにより、首から上は国を亡ぼす程の呪いを込めた存在になり、首から下はどんな呪いをも解呪する雪の彫像となるそうだ。
その価値は言うまでもなく、昔から多くのハンターやごろつきだけではなく、力を求めた国家が敵に回ることもあったそうだ。その結果、雪精人は絶滅の危機に瀕していた。
「確かに私も人間に追われ生きてきました。ですが、信頼できる人もいます! 人だけじゃなく頼れる畑さ……ええと、そういう方はいっぱいいるんです!」
ここで転生した畑を例えに出しても冗談と思われるだけだよな。
キコユの叫びに少しでも耳を傾けて理解を示してくれたらいいのだが。
期待を込めて相手に目を向けると眉尻が吊り上がり、人形のように感情の感じられなかった顔が怒りに染まっていく。
「可哀想……騙されているのね、人間どもに」
「違います! 誤解です! 私たちは敵ではありません!」
再び強く吹き荒れ始めた吹雪がピタリと止んだ。キコユの言葉が届いたのだろうか。
「敵ではない?」
「はい」
「じゃあ、冥府の王の配下なの?」
「えっ?」
そう来たか。そもそも、雪精人が何でこの場に居るのか。その理由として考えられることは幾つかある。一つはタシテに連れてこられた被害者。盗賊まがいのこともやっていたのだから、誘拐監禁なんてお手のものだろう。
もう一つはタシテの仲間。もしくは冥府の王の配下。つまり敵側だということだ。
今思えばヒントはあった。タシテたちの一団があの灼熱の砂漠をどうやって越えることができたのか。この女性がいれば冷気で温度調節も可能となる。
「違うのね……よくみたら、その鉄の箱。冥府の王が仰っていたハッコンとかいう魔道具にそっくり」
知らぬ間にあちら側では有名人になっていたのか。今更フォルムチェンジしても誤魔化せないだろうな。
「そう、敵なのね」
「貴女は冥府の王の配下なのですか」
「ええ、私は薬将軍のスルリィム」
二十指将軍クラスか。加えて絶滅の危機にあるキコユと同種族。
迫害に遭って魔王軍の傘下となった感じか。戦い辛い、厄介な相手が現れたな。




