誤算
ヒュールミとキコユは扉の前まで下がり、直ぐにでも逃げられる位置で様子を窺っている。
ラッミス、ミシュエル、ヘブイが駆け込んでいくが、双対鬼は大欠伸をしたまま構えを取ろうともしない。
武器も手にせず質素な布きれを上半身と下半身に巻き付けているだけの格好なので、己の肉体のみで戦うスタイルのようだが、それがどれだけ甘い考えなのかその身をもって味わうがいい。
間合いに入ったミシュエルが大剣を薙ぎ炎の軌跡が、双対鬼の体へ斜めに走る。
更に伸ばした二つの鋭利な棘が生えた鉄球が、左右の頭を挟み込むように左右から激突した。
そして間髪入れずにラッミスの拳が相手の腹へと突き刺さる。
呆気ないものだ。こっちの能力を甘く見ていたのだろう、敵は防御することもなく全ての攻撃が命中した。
どの攻撃も尋常ではない破壊力を秘めている。特にミシュエルとラッミスの破壊力は散々目にしてきたので、まともに喰らえば階層主であろうが再起不能となる一撃だ。
「人間を甘く見過ぎで……なっ! 逃げてくださ、がはあっ!」
勝利を確信した笑みを浮かべていたミシュエルの姿が視界から消えた。
何が起こったかわからない俺の耳に何かが激突して崩れる音が届く。それが何かを判断する前に俺は〈結界〉を発動させる!
視界の高さが一気に数十センチ下がった。床の位置がラッミスの足元から膝辺りに変わっている。こ、これは俺たちの体が〈結界〉ごと地面に埋まったのか!?
見上げると結界の上部には馬鹿でかい拳が叩きつけられ、青い半透明の壁に亀裂が走っていた。
《ポイントが2222減少しました》
はああああっ!?
あの、怪獣の様な八足鰐の体当たりを受けた時ですら1000ポイントの減少で済んだというのに、この双対鬼が殴りかかっただけでここまでポイントを消耗するダメージなのか。
「潰レナイゾ」
「コノ青イノ食エルノカ」
二つの鬼の頭が首を傾げて俺たちを見下ろしている。
言動は馬鹿っぽいがその実力が桁外れだ。全員の攻撃が命中したというのに平然と立ち、振り下ろされた一撃は今まで経験したどの攻撃をも上回っていた。
「えっ、えっ、何で倒れてないのっ」
ラッミスも手ごたえがあったのだろう。傷一つ負っていない双対鬼を見て唖然としている。
彼女にとって今まで自分が本気で殴って壊れなかった存在は、これが初めての経験なのかもしれない。
甘かったのはこっちだったのか……今思えば、階層主と正面から正々堂々戦うのはこれが初めてだった。
八足鰐も炎巨骨魔も搦め手で倒し、死霊王はラッミスとの共同作業で倒しはしたが、あれは冥府の王の配下だったので、本来の階層主よりかは実力が劣っていた気がする。
闇の森林階層の老大木魔に至っては、俺たちは一切手を出していない。
それでも今までの戦いぶりから考えても勝ちは確実だと見込んでいた。それが、どれだけ甘い考えだったのか思い知らされた。
「ざんねん ざんねん ざんねん」
言葉を組み立てる思考時間も惜しい。ラッミスへ敵の異常性を伝える為に残念を連呼した。それだけで、ラッミスは何となくだが理解してくれたようで後方へと跳び退る。
「これは、桁外れです! 撤退してください!」
ヘブイが叫び扉まで懸命に走っている。俺たちも相手に背を向けて扉まで全力で駆けている。
背を向けたことにより俺は正面から双対鬼を見る羽目になったのだが、二つの顔が嬉しそうに邪悪な笑みを浮かべ、緩んだ口からは白い蒸気のような物が吐き出されている。
俺たちを当然見逃すつもりはないようで、その巨体からは想像もつかない健脚で直ぐ後ろに迫っていた。
これじゃ逃げ切れない。何とか足止めしないと、〈灯油計量器〉にフォルムチェンジだ!
ノズルから灯油を足元の床にぶちまける。警戒して足を止めてくれたら、それはそれで助かるのだが、躊躇うことなく灯油まみれの床へ踏み出した。
「ウゴガッ」
「滑ル」
理想的な足の取られ方をして前のめりに倒れた。隙だらけな状態だがこちらの攻撃が一切通用しなかった。今、襲い掛かるのはあまりにも無謀だろう。
今は逃げることだけを考えよう。あっ、吹き飛ばされたミシュエルはどうなった!
あの剛腕を生身の体で喰らったのだ、タダで済むとは思えない。
激突音がした方向へと視線を向けると、黒八咫に掴まれボタンの上にそっと乗せられたミシュエルの姿があった。
あの二匹で回収していてくれたのか、ありがとう!
俺たちはそのまま合流すると扉を抜け、一気に階段を駆け下りる。逃げる際に後方へ灯油を撒くのは忘れていない。
強引に立ち上がっては転んでいる音が後方から何度も響いてくる。
「ゴロズウウウウ!」
「逃ゲルナアアアッ!」
逃げるなと言われて逃げない人はいない。
転びながらも追ってきている双対鬼は壁をぶち抜き、床を陥没させながら這いつくばった体勢で駆けている。まるで四足歩行の獣のようだ。
足下の滑る感覚に慣れてきたのか、転ぶ回数が減り距離が再び縮まっている。仲間は後ろが見えないからいいが、俺はその大迫力の光景を目の当たりにしている。
鬼気迫る表情の巨大な鬼の顔が二つ、あらゆるものを破壊しながら接近してくる姿はホラーゲームも真っ青だよ!
二階の残っていた罠が次から次へと発動しているが、双対鬼は蚊が刺した程度にしか感じないのだろう。全く気にもしていない。
逃げている状況はこんな感じだ。ヒュールミの身体能力では追い付かれると判断して、ラッミスがお姫様抱っこで担ぎ、キコユはヘブイの後ろに乗って落ちないように支えている。
シュイは何度も後方へ矢を放っているが、全て弾かれ足止めにもなっていない。黒八咫が音波を飛ばすと少しだけ移動速度が落ちたが、その程度の効き目しかなかった。
「ねえ、ハッコン! 後ろでどがしゃーんとか、ごがーんって音しているけど、どうなっているのぉ!?」
「あたりがでたらもういっぽん」
「それって誤魔化す時に使うよねっ!」
「あー、あれだ見ない方がいいぜ」
ヒュールミは俺の体が視界を遮っているので良く見えないようだが、それでもチラチラと双対鬼の姿が見えているのだろう、顔色が優れない。
このままでは追い付かれると判断して、自動販売機の商品であるライターを取り出すと地面に撒いている灯油に引火する。
視界が一気に赤で染まり怯んでいる双対鬼も燃え上る。予め灯油をぶっかけていたので、その体はあっという間に炎で包まれた。
だけど、この程度で奴が死ぬとは思えない。ここは逃げの一手を貫くべきだ。
魔物の死体が散乱する一階を駆け抜け、後方からは煙が体中からくすぶった状態の双対鬼がまさに鬼の形相で追いかけてくる。
これだけ死体があると灯油をばら撒いても効果が薄そうだ。どうしたらいい、考えろ。相手を足止めする方法を何でもいいから考えろ!
日本一の大きさをほこる氷の自動販売機になるには天井が低い。それになったところで、あの攻撃を受けたらポイントがあっという間に0になり、スクラップになるだけだ。
水、氷、炎どれも俺の能力じゃ効き目は薄い。
灯りで目を眩ます方法はどうだ。昼間でも自動販売機の蛍光灯を付ける裏技を知っているが、俺は自在に点灯させられるから全く無意味だし、砂漠の柱内部は明るいのでするだけ無駄だ。
ローションを大量にぶちまけるしかないのか。
「メシイッパイ」
「肉ダ肉ウウウウゥゥ」
俺たちを追いかけていた双対鬼は急に立ち止まると、床に転がっている無数の死体を鷲掴みにすると、そのまま骨ごと貪りだした。
そうか、この双対鬼は飢えていた。怒りよりも空腹が優先されたのか。むしろ、怒りを喰うことにより誤魔化しているのかもしれない。
ストレスが溜まったら馬鹿食いする人って結構いるから、そんな感じなのかもしれないな。
何にせよ、俺たちにとっては都合のいい展開だ。今の内に屋外へ。
あれが食事をしている間は大丈夫だろうと考え、商品から焼き肉のたれを選ぶと魔物の死体に振りまいておいた。
味覚が人間に近いなら味付けがあった方が飽きない。この焼き肉のたれは本格的でちょくちょく買い求めていた商品だ。
双対鬼は床に胡坐をかいて本格的に食事をしている。もう、こちらへの興味を失ったようだが油断は大敵。砂漠の柱から出るまでは注意を怠らないでおくぞ。
一階の扉をラッミスが押し開き、そこから仲間たちが次々と外へ跳び出す。そして、扉を閉めると緊張感と死の恐怖から解放された面々がその場に座り込んでいた。
外は真っ暗で夜になっていたことに全く気づいていなかった。砂漠の柱内部の魔道具の灯りが付いていた事にも気づかないぐらい余裕がなかったってことか。
「まだ、ここは危険だ。外壁沿いに移動するぞ。扉からいつ奴が現れるかもわかんねえからな」
みんなは残った力を振り絞って、外壁に手を触れながら移動を始める。
ミシュエルは移動する前にヘブイが治癒してくれたようで、今は安らかな寝顔を見せている。命に別状はないようで気を失っているだけらしい。
まずは一安心だ。
しかし、敵の強さが想定外過ぎた。いや、それ以前に……仲間の強さとラッミスの成長に目が眩んでいた。
本来、階層主というのは準備を万全に整えて、策を練って討伐する相手だ。今までが上手くいきすぎていたので完全に慢心していた。
あれが階層主のあるべき姿。何十、何百ものハンターが挑み返り討ちにされてきた階層の主。それも、ここはダンジョン内でも深い階層。下がれば下がる程、敵は強力になる。それは階層主も含まれているのだ。
「ハッコン、どうしたらいいのかな……」
いつもなら元気に「いらっしゃいませ」とでも返すところだけど、本当にどうしたらいいのだろうな。俺もわからないよ。




