闇の森林階層
赤の光が消えると、そこは薄暗く殺風景な室内だった。
壁際に魔道具の灯りが幾つか設置されている。壁は木製の丸太を繋ぎ合わせただけのようだ。今まで見たことのない転送陣の部屋だな。
ということは、俺が一度も来たことのない階層ということか。
別の階層に飛ばされはしたが、ラッミスもヒュールミも一緒だ。〈結界〉を発動させたのは間違いなかった。一先ずは安心だが。
「ラッミス、ハッコン。そうか、全員一緒なんだな……だけど、何故だっ!」
地面の魔法陣は仄かに赤い光を宿している。
俺から離れて跪いて地面を調べているヒュールミが拳を叩きつけて、歯を食いしばっている。自信があっただけに、今回の誤作動は許せないのか。
「どういうことだっ! 転送陣に問題はなかった。俺たち以外は清流の湖階層に飛べた筈。いったい、何がっ!」
「ヒュールミ。勘違いかもしれないけど、転送陣が動き出した時、ハッコンの頭から赤い光が出てたような……」
ラッミスがさっきからずっと俺の頭頂部を見つめているのは、その為か。
勢いよく立ち上がったヒュールミが俺に飛び付くと、強引に体をよじ登り頭の上に乗っかった。
「これは……そういうことか。転送陣ではなく、ハッコンに誤操作を起こす魔法を仕込んだのか」
頭の上で正座して納得しているのは別に構わないけど、詳しい説明が欲しいのですが。
「ヒュールミどういうこと?」
「ああ、すまねえ。ハッコンの頭に魔法陣が貼りつけていやがる。日頃は全く見えないが、転送陣に反応して発動する仕組みらしい。取り敢えず、解除しておくぜ」
ヒュールミが指を滑らせて何やらしているので、そっちは任せておこう。
しかし、転送陣の誤作動の原因がまさか俺だったとは。でも、いつ頭に魔法陣なんて仕込まれたんだ。寝ている間か? でも、ケリオイル団長が裏切ることを決めたのは、あの数日だろうし、その時に俺は一度でも眠っただろうか。
「これはおそらく、魔法陣を仕込んだ特殊な紙か魔道具を使用したんだろうな。冥府の王ぐらい膨大な魔力を保有していたら、触れるだけで魔法陣を貼り付けられるだろうぜ」
触れるだけでか。でも、頭頂部を誰からに触られた記憶は――あるな。
団長たちを取り逃した時、〈結界〉を破壊されて頭を触られた。あの時か……完璧にしてやられた。敵に回すと厄介な人だな、本当に。
「まあ、今度こそ転送陣の誤操作はなくなる。これからは安心して使えるが、その魔法陣の厄介な点がもう一つあってな。発動後に転移した場所の魔力を喰う作用もある。その魔力を利用して次の転移を邪魔するって寸法だ。迷路階層の転送陣もそれで動かなくなったみてえだな」
だから、魔石を使わないと動かなくなっていたのか。じゃあ、今回も転送陣は動かないのだろうか。
「今回は直ぐに魔法陣を消したから、転送陣の魔力はそれ程、食われてねえけど、それでも数日は魔力が充填されるまで待つべきだろうな」
「じゃあ、丁度いいね。どっちにしろ、階層のいざこざを解決しないといけないし」
暗い空気を吹き飛ばすように手を打ち鳴らし、ラッミスがいつもの笑顔を向けている。
そうだな。やるべきことがあるのだから、気持ちを切り替えないと。
「だな。まずは、ここがどの階層なのか調べてみるか」
ラッミスが俺を背負い、ヒュールミと一緒に扉に近づく。扉も木製のようだが、自然豊富な階層なのだろうか。
ヒュールミがノブを掴み、ゆっくりと開いていく。
隙間から見える光景は、まず丸太の杭が並んで打ち付けられた壁。その先には鬱蒼と木々が茂る森。それも、陽が殆ど通らないのか森全体が暗く、闇に沈んでいるかのようだ。
「ここは第七階層だな」
「ええと、闇の森林階層だっけ」
「そうだ。植物系の魔物が多く生息する、結構ヤバいところらしい」
一概には言えないそうだが、下の階層であればある程、危険度が増すらしく清流の湖階層が第三だったことと比べると、かなり危険な地帯だということだ。
「見える範囲の壁は健在で、破壊されていないようだ。集落も壊滅していないのか」
「これ以上はここから見ているだけじゃわからないよ。行ってみないと」
「それもそうだな。ハッコン、ちゃんと守ってくれよ」
「ま か せ て」
そっと扉を開けて二人が並んで進み出る。
壁の内側には丸太小屋や木製の建造物が建ち並んでいるのだが、見渡せる範囲に人がいない。
ただ、集落内だというのに結構な数の木が生えていて、道の真ん中や家の玄関前にもあるな。正直、邪魔以外の何物でもないと思う。
「木の配置が不自然過ぎるぞ。道のど真ん中に木を植える馬鹿はいねえだろ」
「うん、邪魔だよね。それに、少し大きな木と小さな木が並んで生えているのも多いし」
集落内に生えている木は殆どが俺より低く、形も普通の木とは異なり妙な形をしている。根元の幹が二つに割れていたり、太い枝が二本生えていて、まるで――。
「この木、人間みたいに……見えない?」
ラッミスの呟きに俺もヒュールミも返事ができないでいた。
同じことを思っていたからだ。並んで生えている木も、親子が手を繋いで逃げているように見えなくもない。
「この階層には人間を木にする魔物がいるって聞いたことがあるぜ。抵抗力の強い大人やハンターは少し体が痺れる程度で殆ど影響を受けないようだが、女子供や老人はヤバいとかなんとか」
だから、低い木ばかりなのか。そう思ってみると、どれも人間のようにしか見えなくなってきた。木の表皮の皺や窪みが恐怖に歪む人の顔に見えてしまい、直視するのが辛い。
静まり返った集落に人の形に見える木。本来なら、その不気味さに怯える場面なのかもしれないが、ラッミスに背負われて、上にヒュールミが乗っているので怖さは殆ど感じない。
そういえば、魔物の手によって木に変えられたと仮定しても、大人の男やハンターたちはどうなったんだ。
ヒュールミの情報が確かなら、木になっていないということになる。
「生き残りを探すか。ラッミスもハッコンも油断しないでくれよ」
ラッミスが静かに頷き、慎重に集落内を進んでいく。
木が点在しているが、建物の損傷は少ない。全く争いがなかったわけではないだろうが、建物には軽度の傷があるだけで、瓦礫と化している建物は未だに一件もない。
大通りらしき場所に出ると、遠くから争うような音が響いてきた。
人の声と木と木を打ち鳴らすような、甲高い良く響く音が聞こえる。
「誰かいるみたい! 本気で走るから、ヒュールミ、ハッコンに掴まって!」
「お、おう!」
前は俺とヒュールミを繋ぐ改良版背負子があったのだが、今はそれが無いのでヒュールミはどうするのかと思えば、俺によじ登った。そして、頭の上にうつ伏せになってしがみ付いている。
これがラッミスなら巨大な胸が押し付けられて、感触はなくても見るだけで眼福なのだが、ヒュールミは胸部が潰れているか判断もできない。
「今、失礼なことを考えなかったか、ハッコン」
「こうかをとうにゅうしてください」
動揺して変な返しをしてしまった。至近距離から半眼で睨まれているが、そっちは見ないようにしておこう。
ラッミスの本気走りにヒュールミは振り落とされないように必死でしがみ付いている。土煙を上げて疾走するラッミスが大通りを駆け抜け、曲がった先には門があった。
門が少し開いていてそこから魔物が侵入してきている。
木の根を足のように動かして歩く巨木や、ニンジンに手足を付けたような動く野菜。巨大な花から蔓が触手のように伸びている植物までいるな。
そして、そんな植物たちと戦っているのが、この階層のハンターや住民のようだ。
数は三十程度か。殆どが斧を手に戦っている。木が相手だと斧が有効なのだろう。
小さなニンジンもどきは素早い動きでハンターたちを翻弄しつつ、身体から汁を飛ばして目潰しを狙っているようだ。
斧は素早い相手には不利なので手をこまねいていたのだが、何処からか飛来した矢がニンジンもどきを地面へと張り付けていく。
「参人魔は任せるっす!」
良く響く可愛らしくも高い声と特徴的な語尾。姿を見なくても誰か直ぐにわかった。
声の聞こえた方に視線を移すと、家の屋根の上から弓を構えているシュイがいた。今も次々と矢を放ち、ニンジンもどき――参人魔を矢で貫いている。
「悪花魔には近寄らないようにしてください。臭いを嗅ぐと幻覚を見せられますので!」
棘のついた鉄球を叩きつけて、ハンターたちに注意を促している男にも見覚えがある。
凛々しい表情でまともなことを口にしていたから、一瞬わからなかったが。
「靴に植物の汁が付いた方は後で、渡してください。体に害を与える成分が含まれているおそれがありますので」
口元が若干緩んでなかったら完璧だったな、ヘブイ。
こんな時でも、靴にこだわるのは流石と褒めるべきなのだろうか。
何にせよ、二人が無事でよかったよ。
「うちも加勢するよ!」
「オレは降りるぜ」
ヒュールミが慌てて飛び降りると、ラッミスが突っ込んでいき動く巨木を拳で粉砕した。
「おや、ラッミスさんではありませんか。助力感謝いたします」
「あっ、やっほーラッミス! それと、ハッコオオオオオオオン! 待ってた、待ってたよおおおおおおっ!」
冷静に返すヘブイと屋根の上で絶叫を上げるシュイ。
あの歓迎は俺の商品が目当てだよな、どう見ても。
目が爛々と輝き口元から涎が零れている。後で腹いっぱい食べさせてあげるから、今は戦闘に集中して。
「説明は後にするね。まずは、この敵、ぶっ飛ばしていいんだよね」
「はい。あの巨木、老木魔を担当していただけると助かります。皆さん、こちらの魔道具を背負った女性は我々の仲間です」
「おお、そうか! 助かるぜ」
「あれが、シュイが散々言っていたハッコンって魔道具か!」
俺のことはこの階層のハンターたちにも知れ渡っているようだ。
じゃあ、さっさと敵を片付けて自動販売機としての役割を果たさないと。
ラッミスが戦闘に加わったことで、動きが遅いが頑丈な巨木があっさりと粉砕されていき、戦況がハンター側へと一気に傾いた。
門の内側に侵入していた魔物を全て追い払うと、蔦が巻き付いて動かせなくなっていた門をラッミスの加勢で一気に押し込み、集落の門が閉じる。
生き残りのハンターたちが歓声を上げ、疲れ切った表情で地面に座り込でいるのだが、その間を素早く駆け抜け、迫りくる一人のハンターがいた。
さてと、俺ごと齧られる前に飲食料を準備しますか。




