転送陣
目的は達したので集落を目指して戻っている最中なのだが、俺は荷台ではなくラッミスに運ばれている。
荷台で揺られるのも悪くなかったのだが、やはり定位置は彼女の背中だな。
女の子に背負われて落ち着くというのも妙な話だが、例えるなら三日ほど旅行に出かけていて家に帰った時の感覚に近いかもしれない。安心感が半端ないのだ。
ラッミスが加わったことで大量の敵が現れても捌けるだろうと、大通りを真っ直ぐ進んでいるのだが、昨日までと比べて敵が少ない。
それどころか、遭遇した敵も戦闘意欲が薄いというか、昨日までの死に物狂い感が消え失せていた。特に豊豚魔は仲間があっさりやられると、慌てて逃げるようになった。
前までは動けなくなるまで恐怖を感じることなく襲い掛かってきていたというのに。
この変化に気づいたのは俺だけではなく、全員での話し合いの結果、ある結論に達した。
「あれだな、指揮官、あの水に巻き込まれて死んだんじゃねえか」
荷台に足を投げ出して、縁に頭を置いて寛いでいるヒュールミが、苦笑いを浮かべながら放った一言に全員が顔を見合わせている。
指揮官の存在はキコユたちにも教えていたので、納得しているようだ。
「あの激流に呑み込まれたら人間も魔物も一網打尽だろ。あの溶岩人魔を後方から操って、入り口の結界をどうにかしようとしていたのかも、しんねえな」
そうか。溶岩魔人から距離を置いて後をつけていたのなら、水流の直撃を喰らったことになる。死んでいてもおかしくない。
この階層の指揮官は一度も出会うことなく退場したのか。敵ながら哀れな。
「では、この階層での問題は解決したと考えて良いのでしょうか」
「たぶんな。確証はないが、これ以上調べようがないからな」
荷台の縁に両手を置いて会話に参加してきたキコユに、ヒュールミが頭を掻きながら答えている。
あの後、水の流れた先を調べに行ったのだが、先が分岐路になっていて更に複雑な道が連なっていたので、諦めて帰ってきた。
もし、激流に巻き込まれていたら、助かる確率は殆どないだろう。
「まあ、別の場所にいたとしても迷路の結界は解けないだろうからな」
「ダンジョンが安定するまで、この階層の住民は全て清流の湖階層へ、一時的にだが避難してもらうことにしておる」
殿を担当していた熊会長が歩調を速めて追い付いてきている。
この階層って人が訪れないのなら、手放しても問題がないだろうから賢明な判断かもしれない。
「んじゃまあ、清流の階層に戻るだけか」
「書類が山のように溜まっておるのだろうな……」
やっと戻れるという安堵と待ち構えているであろう仕事量を比べ、熊会長の顔が何とも言えない表情になっている。
そんな熊会長に癒しのハチミツレモンジュースを渡そうかと思っていると、俺の側面に触れる小さな手があった。
「ハッコンさん、大きなお世話かもしれませんが、ラッミスさんと話をしたいなら通訳しますよ?」
キコユが荷台から身を乗り出して、俺に触れながらそんなことを口にした。
心の声が読めるキコユを間に挟めば、不自由なくラッミスと会話ができる。それは魅力的で即座に「う ん」と答えたかった。だけど、俺はその言葉を呑み込んだ。
ちんけなプライドだけど、俺は自分の力で彼女と会話がしたい。
もっと言葉を流暢に操れるようになるか〈念話〉を覚えるのが先かはわからないが、自分の力で彼女との会話を成立させたい、という願望がある。
それにキコユに頼むのは、もう一つ問題があるからな。プライベートな会話内容も全て聞かれてしまうということだ。
いつか、ラッミスと二人っきりで思う存分、気が済むまで話をしたいという夢があるから、今は辛抱をしなくてはならない。
「い い」
「そうですか。差し出がましいことを言って申し訳ありません」
「う う ん ありがとう」
キコユは純粋な親切心で言ってくれただけ。だから、感謝をしても非難をすることはない。
必ず、いつの日かもっと話せるようになるから、それまで待っていてくれ、ラッミス。
「ん? ハッコン何か言った?」
「う う ん」
今はもどかしくて返せる言葉も少ないけど、いつか、声が枯れるぐらい話をしような。
「転送陣の魔力充填よーし! 不具合なーし! 魔力の流れ正常!」
ヒュールミが指差し確認をしながら、転送陣の周りをぐるぐる回っている。
前回、転送陣の細工を見抜けなかったのが悔しかったようで、念には念を入れて何度も確認をしている。ここまで慎重な彼女を見るのは初めてかもしれない。
「では、先に一人で試させてもらおう。住民の安全を確認するのは会長としての責務だからな」
転送陣の真ん中に進み出た熊会長が、口元に笑みを浮かべた。
「今度こそ大丈夫だと自信はあるが、そうだな、誰かに試してもらうべきか。会長失敗したら、すまん」
「信頼しておるよ。それに、ここで失敗するなら、先に乗った意味があるというもの。後悔はせん」
熊会長は人の上に立つ者として尊敬に値する。今後の清流の湖階層のことを思うなら、後方に控えて指揮を執ることだけを考えるのが正解かも知れない。
でも、それでも人々の為に自ら率先して危機に立ち向かうのは立派だと思う。
市長や議員なんて綺麗ごとを口にする人は山ほどいるが、実際に自らを危険に晒して人々の安全を守ろうという人がどれだけいるのか。
ヒュールミが転送陣の端に触れ、何やら呟いている。起動させるキーワードのようなものらしい。
転送陣から青い光が溢れ出し、熊会長の体が光の中へと消えていく。
前回は赤い異なる光が出ていたが、今回は正常な光の色だ。
天井まで到達した光が消滅すると、そこに熊会長の姿はなかった。
「魔力の流れも正常。あっちの転送陣との繋がりも……感じられる。うっし、成功だ!」
拳を握り締めて喜んでいるヒュールミ。
強気の発言をしていたが、不安はあったようだ。
「んじゃ、順番に飛んでもらうか。次はあんたらからでいいぜ」
迷路階層の住人が五人ずつ転送陣で運ばれ、次にキコユたちが飛んでいった。彼女たちは一旦、清流の湖階層に移動して、今後どうするか決めるそうだ。
俺たちに力を貸してくれると助かるが、キコユたちには目的があるので無理強いはできない。
「よっし、残るはオレたちだけだ。一緒に行くぜ」
ヒュールミも転送陣に入り、俺もラッミスに背負われたまま中に進む。
久しぶりに清流の湖階層に戻れるのか。離れてから一ヶ月近いのかな。正確な日数を数えていなかったから曖昧だが、夏の盛りは過ぎているよな。
俺たちがいない間に何かあったとしても、あそこには老夫婦も門番ズもいる。今は始まりの会長も滞在しているから指揮系統の心配も不要だ。安心して戻れるというのはありがたい。
「発動するぞー」
「いいよー」
「いらっしゃいませ」
俺とラッミスが元気よく返事をする。
向こうに着いたら、常連に飲食料品を売り捌かないと。
カリオスもゴルスもきっと待ちかねている。新たな〈自販機コンビニ〉の商品を見せつけて驚かせてやるか。
始まりの階層から移動してきた住民のその後の生活も気になっている。特に孤児院の子供たちは元気にやっているだろうか。
また、甘い物や好きな食べ物を出してあげないとな。
やるべきことを頭で整理している間に転送陣が起動して、足元から――赤い光が滲み出てきた。
……えっ、何で赤い光がっ!?
「どういうことだ! 転送陣におかしなところは何もなかっただろっ!」
異変に気づいたヒュールミが転送陣を睨みつけ、頭を振り乱し叫んでいる。
「転送陣から出ないとっ!」
「駄目だ! 起動してから転送陣から離れると下手したら、身体の一部だけが飛ばされることになる!」
腕や半身だけ転移とかしたら大ごとだぞ!
どうすればいい。もう数秒で転移が始まる。何かできることはないのか……。
「嫌だっ! もう、ハッコンと離れたくない」
背負っていた俺を下ろすと、正面からラッミスが抱き付いてきた。
俺だってラッミスと離れ離れになりたくはない。でも、この状況だと前回の二の舞だ。全員が何処に飛ばされるかわからない。
せめて、全員同じ階層に飛ばされるなら、マシだが。全員が一緒に……一緒!?
「こ っ ち に」
気落ちして今にも膝を突きそうなヒュールミに向かって、最大音量で呼びかける。
虚ろな瞳が俺を捉え、反射的に反応して俺の元に走ってきた。
そして、ラッミスと同様に俺にしがみ付いている。
一か八かの賭けだが、分の悪い勝負ではない筈だ。俺は二人を包み込むように〈結界〉を発動させた。
これなら、二人も含めた状態で転移できるのではないか。
階層へのランダム転移はもう諦めるしかないが、せめて二人と一緒に同じ階層へ。
赤く禍々しい光が視界を埋め尽くすと、ラッミスとヒュールミが目を閉じて俺の体を強く抱きしめている。
頼む、全員が同じ場所へと転移してくれ!




