甘い誘惑
「さてと、俺たちの願い事を話す前に、眠り続けている息子について語らせてもらおうか。この水晶が何か……ヒュールミならわかるんじゃねえか?」
コンコンっと巨大な水晶を小突きながら、その目はヒュールミを捉えている。
「おそらく、水晶の棺……だと思うぜ」
「ご名答。さすがだな」
二人のやり取りを聞いてもさっぱりなのですが。水晶の棺ってこの世界では有名なのだろうか。
「水晶の棺ってなんだろう」
「なんすかそれ」
あ、うん。取り残されているのは俺だけじゃないようで、ほっとした。
「っと、説明がいるよな。オレが知っている範囲だが、水晶の棺ってのは大昔に作られた魔道具だ。どっかの権力者が永遠の命が欲しいって駄々こねて、町中の魔道具技師や薬師を集め、不老不死になるものを開発しろ三年以内に、って無茶振りをしやがったんだ。困り果てた魔道具技師たちが、無理して何とか作り上げた逸品らしいぜ」
不老不死になりたいって権力者あるあるネタだな。おまけにタイムリミット三年って無茶にも程があるだろ。当時の魔道具技師に同情するよ。
「何百年も研究されてきた不老不死をたった三年で、どうこうできるわけもないだろ。苦肉の策として魔力を封じ込めた水晶の棺を作り、この中で眠れば永遠の命が保証されますって説明したわけだ。まあ嘘じゃないんだぜ。本当に中に入れば永遠の命が手に入る代物だ。その中では時が凍結しているからな。永遠に時が止まったまま、その姿を保つことができる魔道具。それが水晶の棺だ」
間違ってはいないが、望んでいた物とはかけ離れているな。個人的にはかなり頑張ったと称賛の言葉を贈りたいぐらいだが。
「ヒュールミ、詳しい説明ありがとうよ。でだ、その水晶の棺に息子が眠っている理由なんだが。こいつは負の加護があってな、その影響で日常の生活もままならなかった。日に日に悪化する息子を見ていられなくて、助ける手段を見つけるまで水晶の棺で眠ってもらうことにしたってわけだ」
この子はずっと、この歳から時が止まったままなのか。
余りに殺風景で寂しそうなので花でも飾ってやりたいが、団長たちが世話をする暇もないか。造花みたいなのが商品でなかったかな。
「あ、あの、負の加護って何?」
ラッミスは恥ずかしそうにすっと手を挙げて質問を口にした。
俺もわからないことを聞いてくれるから本当に助かる。
「そうか、あまり知られてなかったな。加護ってのは、知っての通り善き神から与えられた超常の力だ。ラッミスなら怪力。ハッコンなら結界か。んでもって、負の加護ってのは悪しき神より与えられた碌でもない力だ。魔物を引きつける魅了。身の回りで良くないことばかりが起きる不幸とかだな」
加護という響きからプラスになる力が与えられるものだと思い込んでいたが、負の加護なんてものが存在するのか。
「聖職者として補足しますと。この世界には百もの神が存在します。善き神は人々の助けになる加護を、悪しき神は人々を苦しめる加護を与えると言われていまして、悪しき神の加護を持つ者の大半は早死にする定めですね」
そういやヘブイって聖職者だったな。すっかり忘れていたよ、その設定。
「まあ、うちの三つ子の内、二人は何の問題なかったんだが、こいつだけが負の加護を得てしまってな。その加護ってのが――」
「腐食です。触れたモノを腐らせる力でありながら、己の肉体も徐々に腐っていく最低最悪な加護」
言葉を引き継いだフィルミナ副団長の顔が苦渋で歪んでいる。
「それだけならまだしも、この子は超回復の加護を生まれつき得ていたのです。身体が腐り続ける痛みを味わいながら、超回復により体が再生されていく。死ぬまでその痛みを永遠に味わい続けなければならないの」
「情けねえことによ、こいつが腐食の加護を押し付けられて、身体中に激痛が走っているのを暫く気づかなかったんだぜ。そして、俺たちが気づいた時には痛みで動くこともままならなくなっていた。情けねえ親だろ」
帽子のつばを下げ、表情が読み取れなくなったが、今どんな顔をしているのかは容易に想像がつく。紅白双子――本当は三つ子だが面倒なので双子でいいか。彼らも黙って俯いて、拳を握りしめている。
「団長。今、加護を押し付けられたと仰いませんでしたか? その加護は後天的に得たものなのですか」
「ああ、そうだ。昔、俺と嫁が対立していたハンターチームがあってな。一度壊滅状態まで追い込んだが、生き残りが俺たちへの復讐に、古代の呪いの品を使ってこいつに負の加護を与えやがったんだ」
「それは……邪神の像ですか。悪しき神の加護を一つ与えることが可能な呪われた像。確か、自分の命を生贄にして発動させる筈でしたが」
「ああ、そいつは笑いながら死んでいったよ。俺たちを苦しめる為に子供を狙った下種野郎は、俺たち家族を見て満足そうにな。その時は目の前で自害した男の意図がわからなかったんだが……まさか、こんなことになるなんてな」
日頃の飄々とした態度からは想像もつかない壮絶な過去だ。ここまで話を聞けば馬鹿でもわかる。団長と副団長の願いが何であるか。
「すまねえな、無駄に長話をしちまって。話を戻すが、俺たちの望みは、こいつの負の加護を無くしてやることだ。その為なら何でもしてきたし、これからも何でもやるつもりだ」
「私も同じ意見ですし、この子たちも」
「兄貴は俺たちを庇って負の加護を受けたからな。復活したら三人で一緒にバカやりたいぜ」
「兄貴だけショタだけど、逆にナンパで需要が有りそうだ」
双子の口調は軽いがその瞳に宿る光は鋭い。家族としての強い決意がひしひしと伝わってくる。
団長と副団長、紅白双子が家族なのにも驚かされたが、願いを叶えたい理由がそんなにも重いものだったとは。
家族の為に愚者と呼ばれようが、奇行と嘲られようが、躊躇うことなく目的に向かって突き進むことができた理由がこれだったのか。
「俺たちが何を求めて、何の為にダンジョンを制覇しようとしていたのか、理解してもらえたよな。水晶の棺の効力は残り僅かだ。あと長くて二年、早ければ一年持つかどうか。俺たちには時間がねえ。転送陣がまともに動けない今、手段を選んでいられる状態ではなくなっちまった。そこで、お前らに相談がある」
そこで一旦言葉を区切った団長に視線を向けると、凍てつくような冷たい光を湛えた瞳がつばの縁から見えていた。
何だ、この目つき。さっきまでとはまるで違う、感情を一切感じさせない瞳は。
「俺たちと一緒に冥府の王へ寝返らねえか?」
団長の口から出た予想外過ぎる言葉に――思考が止まりかけた。
正気を疑ったが、あの目は冗談を言っている目じゃない。自分が何を口走ったのか理解をしている。
不意に影が差したかと思うと、俺たちを庇うようにミシュエルとヘブイが一歩前に進み出た。
「ケリオイル団長。それが何を意味するかわかって口にしているのですか」
「ああ、わかっているぜ、ミシュエル」
ミシュエルの厳しく問いただす声にも平然と返している。
それを聞いてミシュエルが大剣を鞘から引き抜き、構えを取った。
「団長、おかしいっすよ! 冥府の王はみんなを殺そうとしたやつだよ! バカな考えはやめて――」
「シュイ、俺たちは愚者の奇行団だぜ。馬鹿なのも愚者なのもわかりきっていたことだろ」
彼女の必死な叫びも団長の心を揺らがせることはなかった。
彼ら四人はそこに佇んだまま、こちらをじっと見つめている。
「何で! そんなの間違っているよ! 今も平然とダンジョンに住む人たちを殺そうとしているんだよ! 思い直して!」
「わかっているさ。そんなこと言われるまでもねえ。だがな、俺は家族以外の世界中の人々よりも家族が大事だ。ダンジョンに住む人の命と引き換えに息子の苦痛を拭ってやれるなら、喜んで差し出すぜ」
狂気すら感じさせる親の愛。
俺たちがどうこう言ったところで、その考えが変わりそうにない。
最近では、団長たちのことも気に入ってきていたのに、何でこんなことになったんだ!
「なあ、団長さんよ。冥府の王に寝返るって話だが、その方法はどうすんだ?」
激昂するわけでもなく冷静な口調でヒュールミが疑問を投げつける。
「それか。この階層にいた指揮官が取り持ってくれるそうだ。やつは通信用の魔道具を隠し持っていてな。冥府の王の命令で始めっから俺たちと接触する予定だったらしいぞ。俺たちは階層を制覇して願いを叶えたい。奴は……まだ解放されていない最終階層には、ダンジョンの意思により手出しができないらしくてな。俺たちを使って最終階層を突破させて、このダンジョンを完全に支配したいらしいぜ。願いを叶えた直後にダンジョンの制御が緩んだところを乗っ取る、って手筈らしい。利害の一致ってやつだ」
団長たちに手を貸してダンジョン制覇をさせたいのか。
確かにお互いに利益がある、手を組んでもおかしくはないのかもしれない。けれど。
「冥府の王がそれを守る保証は何処にもねえだろ」
ヒュールミの言う通りだ。あの冥府の王が律儀に約束を守るか?
都合よく利用して使い捨てるとしか考えられない。
「ああ、そうだな。俺もそれを考えたさ。でもな、今、転送陣もまともに動かねえで、ダンジョン攻略も碌にできない状態だ。冥府の王の目論見を潰して、ダンジョンを正常化させるのにどれだけ時間が必要なんだ? 俺たちにはそれを悠長に待っている時間はねえんだ。罠だとわかっていても、それにしがみ付くしか……ねえんだよっ!」
団長の苦悩が激昂と共に吐き出された。
全てを理解したうえで、決断を下した団長たちに俺たちの言葉はもう届かないのか。
「やはり、このような結末になりましたか。危ういところが昔からありましたからね、貴方たちは。本当に残念ですよ」
既にモーニングスターを両手に握りしめているヘブイが、更に一歩前に出る。
「聖職者らしく神の名を借りて、俺たちを説得しないのか?」
「ここで説得して心が揺らぐ程度の決意なら、そもそも、こんなバカな提案に飛び付いたりしないでしょうに」
「違いねえな。でだ、お前らの中で俺たちと共に行く気がある奴はいねえのか。冥府の王はダンジョン最終階層の手前まで運んでくれるそうだぞ。俺たちが一番乗りしたら、どんな願いも叶うんだぜ。悪い話じゃねえだろ」
それに対する答えは――全員が構えを取った。