プロローグ
「俺たち、死ぬのかな……」
「そんなことはねえっ……って言いたいところだが、無理だろうな」
あきらめきった男たちの声は掠れ掠れで、今にも息絶えそうな程にか細かった。
三人の男が灼熱の陽射しが降り注ぐ砂の海で、残り僅かな水分をやりくりして何とか生き延びている――いや、生き延びていたと言うべきか。
命の水は全て体内に吸収され、それも汗となり既に蒸発してしまった。
屈強な身体つきの男たちが為す術もなく、息絶えようとしている。
リーダー格の男は今更ながらに、何故こうなったのかと己の判断ミスを悔やんではいるが、何を反省したところで後の祭りだ。
「はぁ、はぁー、あん? はっは……は。とうとう幻覚まで見えてきちまったぜ。鉄の棺桶を背負った人の姿が見えやがる」
仲間の一人が零した自嘲的な呟きに反応して、二人も男が見つめる先へと目をやった。
陽炎が立ち昇り、視界が揺らぐ砂の海を誰かが黙々と歩を進めている。それは自らの願望が見せた甘い幻惑ではないかと目を擦るが、それは消えることなく、三人の元へと向かっている。
「人だと……それも一人」
「馬鹿な。この灼熱の砂階層にたった一人で挑むハンターなんているわけが」
「だが、三人が同じ幻覚をみるってのは……まさか魔物か?」
三人はそれなりに場数を踏んできた中堅と呼ばれて差支えのないハンターたちだ。人型の魔物を見た経験はある。だが、灼熱の砂階層に現れるという情報は一度たりとも耳にしたことは無い。
朦朧とする意識を懸命に繋ぎ止め、何とか頭を働かせる。
灼熱の砂階層の魔物は鳥、サソリ、トカゲ、棘の生えた植物、蛇系ぐらいしか聞いたことが無い。人型は闇の森林階層や犬岩山階層にいるらしい。という情報までは得ていた。
それ以上はもう考える気力が失われていた。徐々に大きく鮮明になっていくそれを見つめることしかできない。
鉄の棺桶も異様ではあったが、それを背負う人物もまた妙であった。
直射日光を避ける為にフード付きのマントを羽織るというのは常識なのだが、その色彩が魔物が跋扈する迷宮には相応しくない。
原色に近い黄色と緑の縦縞模様なのだ。奇抜な格好と言うのは目につきやすい。つまり、魔物に狙われやすいということになる。そんなものを迷宮で着込むのは余程腕に自信があるか、無謀なバカの二択しかないのだ。
一人でこの灼熱の砂階層に現れるということは、必然的に前者ということになる。が、その小柄な体格を見る限り、どうしても信じられない思いがあるのは当然のことだろう。
そんなことを考えている間にも距離が縮まり、気が付けば巨大な鉄の塊を背負う者の影に、彼らは入っていた。
「大丈夫ですか?」
それは身を労わる優しい声だった。男は霞む目でその声の主を見上げる。
奇抜なデザインのフードに隠れていたのは、金色の髪に蒼い瞳の少女のようだった。その顔は幼く、高く見積もっても18に届くかどうかにしか見えない。首も細く、体格も華奢なようで、ハンターに向いているとはお世辞にも言えない、そんな女性だった。
「あ、ああ、悪いが水を持っているなら分けてもらえないだろうか。金なら幾らでも出す」
あまりに特異な状況に頭が思考を休もうとするが、生きる為に言葉を振り絞る。
少女はその言葉を聞くと、まるで女神の肖像画のような慈愛溢れる笑みを浮かべ、くるっとその場で回転をして男に背を向けた。
少女が背負っていた巨大な鉄の塊が露わになる。それは、さっきまで見えていた鉛色とは違い、鮮やかな色彩をしていた。
四分の三程がガラス張りで、そのガラスの奥には幾つもの細長い円柱が並べられている。それは一つ一つデザインが異なり、男たちが見たこともない言語が色彩豊かに描かれている。
その円柱の下には細長い凸があり、どういう仕組みなのか端で光が点滅している。
よく見ると円柱だけではなく、酒の入っている瓶のように見える、飲み口が細くなっている入れ物や、四角い紙の箱のような物も並べてあった。
そして、下の方には長く細い口が開いてあり、どのような目的でつけられたのか男たちには皆目見当がつかない。
死が直前に迫っていたというのに、このあまりに理解不能な光景に、男たちはただ黙って眺めるしかできないでいる。
「あ、これはシトウアンアイキという魔法の道具です。この穴に硬貨を入れてもらえれば、金額によって商品が購入できます」
思考力が落ちていた彼らでも、その説明は理解できた。いや、極限状態だからこそ、多くの疑問を追求せずに物の本質を素直に受け入れられた。
ここに並んでいる不可思議な商品を買い取ることが出来る機械。あの瓶のような物の中には透明の水が入っているように見える。アレを買うことが出来れば。
もう使い道がないと思っていた金の詰まった袋を取り出し、そこから一番高額の金貨を取り出して穴に入れようとする。
「あっ、銀貨で充分ですよ」
命のかかっている場面だ。最も価値のある金貨を支払うことに迷いがなかった男だったが、少女の指摘に従い金貨を袋に戻し、代わりに銀貨を取り出した。通常時であれば銀貨でも飲み物一本と交換するには高すぎる金額なのだが。
細長い穴に銀貨を投入すると、商品の下に配置された凸が赤い光でコーティングされる。
「この光っている部分を押せば、上の商品を一つ購入できます」
男は恐る恐る、水が入っていると思われる容器の下の凸を押す。
ガタンと何かが落ちる音がしたかと思えば、シトウアンアイキと呼ばれていた鉄の箱の下部に何かが現れた。
「購入された商品は下の取り出し口から受け取れます」
少女の言葉に操られるように男は手を伸ばし、それを掴んだ。
「冷たいっ!? 何だこの手触りは」
驚愕する男はまじまじと手の中のソレを見つめる。
透明のガラス瓶かと思いきや、軽く力を入れただけで簡単にへこむ謎の材質。容器の上部には見たことのない文字と、山頂に雪の積もった絵が描かれている。
手の平に伝わる心地の良い冷たさ。中は澄んだ水で満たされ、見ているだけで残された希少な水分である唾が湧き出てくる。
「蓋を捻ってもらうと開きますので」
蓋をねじ切る勢いで慌てて回し、解放された飲み口に齧り付く。そして、中身を一気に煽った。
パサついていた口内が水で満たされていく。喉を程よく冷えた水が通り過ぎていく快感に思わず体が震える。一気に半分ほど飲みきったところで、男はようやく味わうということを覚える。
何だこの水は。乾ききった今なら泥水だって喜んで飲めるが、この水はべらぼうに美味い。そう断言できた。男が今まで何度も口にしてきた水とは比べ物にならない、いや、以前これと似たような水を何処かで。
男はその記憶の糸を懸命に手繰り寄せ、その答えを引っ張り寄せた。
「霊峰の湧水に匹敵するぞ」
思わず呟いた言葉に、残りの二人が反応する。彼らはリーダー格の男から当時の話を散々聞かされていたので、それが最高の褒め言葉であることを即座に理解できた。
二人が顔を見合わすと我先にと銀貨を投入し、三人とも同じ水を購入する。そして、貪るようにして飲みきると、そこで初めて一息を吐く。
「うめええええええっ! なんだこりゃ!」
「ただの水がこんなに旨いって、ありかよ!」
全身に水が行き渡り、彼らは見る見るうちに生気を取り戻していく。
ただ水を500ml体内に入れただけだというのに、さっきまでとは見違えるぐらいの力強さを感じさせる。
「皆さん、他にもスナック菓子や携帯食料、温かいスープ。炭酸の入った甘い飲料、お酒も取り揃えていますよ」
満面の笑みを浮かべ、最高の誘惑をしてくる少女に、彼らは抗える術を持たなかった。