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序章、人の死が遺したもの

あの日の夜も、携帯電話の向こう側で、君の好きな歌が流れていた


トゥルル


トゥルル、トゥルル……


「出ねえ!!」


 何度かめのコール音に毒づいて、アカマツはアパート二階への階段を駆け上がる。

 カンカン、寂れた鋼、錆び。静かな住宅街に響く音。

 携帯電話を必死に呼びかけながら、目的の部屋へ向かう。


「出ろ!!」


 タカサカ駅のバス停から、一息もつかない勢いで、アパートまで走り抜けた。アカマツの息はすでに上がっていて、額に汗が滲んでいる。

 大学のバスの中から、ずっとコールし続けている携帯電話も音沙汰が無い。昼休みに、あの電話がかかってきて、嫌な感じがして慌ててこのアパートに向かった。

 アカマツの恋人の部屋に。

 おかしいとは思っていた。いつもはどんなことがあっても必ず大学へ来ていたはずだったのに、この数日間、姿はおろか連絡すらつかなかった。

 チャイムを鳴らすことすら忘れて、たどり着いた目の前の部屋の白いドアを叩く。

 一度、二度、三度。スローモーションに時間が流れる。

 未だに、コールしている携帯電話からは、何も音沙汰はない。そして部屋からも返事は無い。近くにある曇りガラスの窓から部屋の中を覗くが暗い。

 ガチャガチャと、ドアノブを乱暴に回す。

 鍵が閉まっていると思ったが、その思いとは裏腹にドアはいとも簡単に開いてしまった。


「?」


 白い扉をゆっくりと開けて、アカマツは中を覗く。

 玄関にはいくつかの観葉植物の鉢と目覚まし時計が何故か一つ。サンダルと運動靴とブーツらしきもの。靴箱の上には芳香剤が観葉植物の陰に隠れるように一つ。柑橘系の甘い匂いがふわりと鼻をくすぐった。


「………?」


 人の気配がしない。

 何回か、この部屋に来たことがあるアカマツだったが、いつもと微妙に雰囲気が違った。

 部屋が閑散とした闇に包まれ、感じたことの無い寒さを感じさせた。


「♪〜♪」


 耳を澄ますと奥の部屋から音が流れているのにアカマツは気づいた。

 この部屋は玄関を通して、左にトイレと風呂場。玄関の奥にキッチン、その奥に狭いリビングが一つ。独り暮らしには少し狭い構造をしている。

 奥の部屋、扉を一つ跨いだその先の部屋から何かのメロディーが流れている。どこか機械らしい音楽が。

 アカマツはゆっくりと靴を脱いで、リビングの方へ向かう。普段なら無断で上がったら半殺しになるところだが、非常識だとも言っていられない。


「××?」


 恋人の名前を呼びかけながら、ゆっくりとそのドアを開けて部屋の中を覗く。

 部屋の中は、クリーム色のカーテンが閉まっていて、昼の陽気を完全に打ち消していた。

 薄暗い部屋の中には、カーペットの上にキレイに畳まれた布団、布団の反対側の壁には、机と本棚が整頓されていた。

 その近くにはとても小さい白いテーブルがあった。その白いテーブルの上には、光っているピンク色の携帯電話。SoftBank820SH、彼女の携帯。それが、振動しながら着信メロディーを鳴らしていた。

 鳴らしているのは、いうまでも無いアカマツの携帯だった。聞こえた何かの音楽は、この携帯の着信メロディーだった。


「…………」ぴっ。


 その携帯の通話のボタンを切った。切った画面には十数件の着信アリが映し出されている。

 出るはずも無い携帯を片手に、アカマツは周りを見渡す。どこかに出かけているかもしれないと思ったが、近頃の彼女の様子を見ていれば、それも分からない。

 携帯の着メロが消えた瞬間、アカマツの周りから音が消えたように静かになっていた。


「××?」


 もう一度恋人の名前を呼ぶ。返事は無い。当たり前。

 静かになった部屋で耳を澄ますと、かすかに何かの音が聞こえてくるのに気が付いた。

 ざー、ざー、ざー、ざー、ざー、と。

 何かが流れている音だった。


「……水?」


 キッチンの水はこの部屋に来る通路でちらりと見ていたが、蛇口の水はしっかりと止まっていたはずだった。この部屋の中に水が出る場所は限られてくる。キッチン、トイレ、浴室。または空耳か。

 彼女の携帯を持ったまま、アカマツは部屋を出て、右側にあるトイレ、浴室がある部屋に向かった。彼女は入浴中なのか、そしたらもしかして裸?とか変な妄想も持ったが、アカマツの体は嫌な汗をかいていた。服がべたつく嫌な汗。心の中では分かっている、どの部屋にも光は灯っていないのだから。

 ざーざーざーざーざーざーざーざーざーざー

 浴室。トイレではなくバス。そこが音の根源だと分かった。


「××?」


 三度目の恋人の名。浴室の中に向かって声をかけるが、返事は無い。

 ざーざーざーざーざーざーざーざーざーざーざーざーざー

 不気味な水の音。規則正しく、何かが流れている。

 意を決して浴室に入ると、アカマツはその光景に凍った。

 その光景、浴槽のふちに手を突っ伏している有機物。人間。それに気づくのに、数秒。恋人だと気づくのにさらにもう一秒。さらにもう一秒で浴室の床に転がる果物ナイフ。それでも目の前の現実だけは時間がどのくらいあっても受け入れられない。


「あ、あ、あ、あ…ッ」


 鼻に衝く異臭。

 眼がおかしくなったかと思うほどのあか

 規則的な水の音。

 冷たい浴室。


 最悪の現実が目の前にあった。


「リ、エ? り、リエええええええええええええええええええええええええええ!!!!」


 恋人、リエは目の前で手首を切って死んでいた。

 




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